大橋 生意気なんですよねえ(笑)。長髪になったのもその頃(注1)。フーテンかルンペンかっていう感じで。で、フリーになってからはお手伝いみたいな仕事で食いつないでいた。
小黒 その頃ですか、『ファイトだ !! ピュー太』は?(注2)
大橋 ああ、そうですね。月岡さんが、ナックという会社にいて、その下で林静一さんと鈴木欽一郎さんが仕事をしていた。それで、欽ちゃんから頼まれた仕事なんです。当時、林さんはすでにアニメーション離れをしかかっている頃だと思うんだけど。何本放送されたか知らないけれど、確実に1本はやってる。
あとは、『巨人の星』の動画をやったり……あ、あと、この時期には、『アパッチ野球軍』をやってるんです。ダンちゃん(森下圭介)が作画監督で、彼が風プロというスタジオを作ったんだけど、そこから仕事をもらって。結構やったんじゃないかな。あと、ポスターとかソノシートといったものに使う画は、俺が大体描いているはずですよ。
小黒 今で言う、版権ものですね。
大橋 あれもね、自分用のキャラクターデザインを作ったんです。漫画家の園田光慶の画に似せて、頭身を高くして、格好よく描いた……と言うか、描かせてくれたのね。そういう事を許してくれると嬉しいんだよね。そういうのがアニメーションをやるよさなんだけど。そんな事があると、またアニメーションも楽しいかな、って思うようになって(笑)。
小黒 ははは。
大橋 そうそう、Aプロダクションにいたこともあるんですよ。
小黒 えっ、そうなんですか。
大橋 20日間だけど(笑)。俺も結婚して子供が生まれる頃だったので、ちゃんと勤めなくちゃと思ったんですけどね。でも、難しかった。
小黒 Aプロとは意外な話でしたね。
大橋 でも、この頃、はっきりと転機になったのは、『あしたのジョー』を観た事だね。これはもうびっくりした。
小黒 と言うと?
大橋 まあ、とにかく毎週視聴者として楽しみにできる、っていう事が大きかったんだけど、特にね、原作よりも巧いんじゃないかと思えるような画を描く人がいたんだよね。しびれるような止め画。また、エンディングの力石が格好よくて。で、演出も格好よかった。で、虫プロの作品にちょっと憧れが出てきたんだよね。
そんな頃に、虫プロ最後の頃の作品で、『国松さまのお通りだい』というのがあって、俺と同期の玉さん(玉沢武)が玉沢動画舎という会社を作っていたんだけど、そこから、やってもらえないか、という話がきたんだよ。しかも、『国松』は『あしたのジョー』のスタッフが制作しているっていうんで。そのスタッフには、俺も凄く関心を持っていたんで、半年ぐらいローテーションに入ったんです。そうしたら、スタッフがどうも俺に関心を持ってくれたらしいんだ。
小黒 おお。
大橋 当時、虫プロに遊びに行ったら、ある人が『ジョー』の最終回のコンテを見てたんですよ。それはほんとに凄いコンテだったんだけど、それを「それはどうだ、あれはこうだ」って説明してくれるんです。それが、当時設定をやっていた丸山(正雄)さん。勿論、丸山さんの名前は毎週画面にクレジットされていたから知っていたんだけど、何やってる人か全然分からない(笑)。
小黒 ははは。確かに、設定っていう役職はよく分からないですよね。
大橋 で、丸山さんは、俺の原画を見ていてくれたんだよね。俺は、『国松さま』をやる時に、『あしたのジョー』のスタッフとやるんだから、俺もちばてつやの画のそっくりにしようと思って、割と原作に忠実にやったんですよ。だから、キャラクターデザインとは変えてしまっていた……らしいんだよ(笑)。でも、それを認めてくれたらしくて、『国松さま』が終わった時点で、出崎(統)さんと丸山さんが、ウチを訪ねてきてくれたの。で、「虫プロは潰れちゃうけど、新しく会社を興すんで、仲間として来てくれないか」という話をしてくれたんだ。その場には、杉野さんは来なかったけど、杉野さんも俺の画を見てくれてはいたらしい。
杉野さんとは『国松さま』の時に打ち合わせで顔を合わせたり、帰る方向が一緒なんで電車の中で話をした事はあったんだけどね。こっちは「憧れのあの人か」「あの画を描いた人か」と思ってたんだ(笑)。
小黒 なるほど。
大橋 とにかく、この時はミーハーだったね(笑)。当時は、どちらかと言えば、出崎さんよりも、画を描いていた杉野さんに対する憧れがあったかもしれない。で、そうなると、ついていきたくなっちゃうんだよね。それで、マッドハウスに行きます、という事になったんだ。
小黒 じゃあ、マッドハウスには、立ち上げから参加しているんですね。
大橋 そうです。最初は阿佐ヶ谷の材木屋さんの2階だったかな。人数は……たぶん、アニメーターは10人はいたと思うんだけど。アニメーターでは川尻(善昭)さんや佐々門(信芳)さんがいたね。で、机を1列に並べて、そこに座らされたんだけど、俺の隣が杉野さんだった。
最初にやった仕事が『ガッチャマン』なんだけど、杉野さんが描く『ガッチャマン』がキャラ表よりいいんですよ。凄いとは思っていたけど、直に見るともっと凄い。ただ、杉野さんもムービーの作品だけは苦労したみたいね。
小黒 と言うと?
大橋 『ど根性ガエル』をみんなでやったんだけど、東映にいた、芝山(努)さんと小林(治)さんのプライドが凄くてね。つまり……なんか凄い火花散ったんだよね。
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(注1)長髪
この頃から『ロボットカーニバル』の頃まで、長い間、長髪は彼のトレードマークだった。『ロボットカーニバル』当時の雑誌やムックの記事では、当時の彼の写真を見る事ができる。ちなみに、現在の彼はスキンヘッドである。
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(注2)『ファイトだ !! ピュー太』 1968年放映のTVアニメ。原作・ムロタニツネ象。現在、1エピソードのみソフト化されているが、その1本がトバしたセンスと技術で作られた傑作にして、大怪作。後にイラストレーターとして知られるようになる林静一は、東映動画を経て、この作品にアニメーターとして参加しており、当該エピソードにその名を見ることができる。同エピソードに大橋学が参加している可能性もあり、今回の取材時にビデオを観ていただいたが、確証を得るには至らなかった。
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