【アニメスタイル特報部】
『チェブラーシカ』中村誠監督インタビュー
後編 ロシアの観客に言われて、いちばん嬉しかった言葉

── 韓国の撮影スタジオ(ファンゴ・エンタートイメント)で制作されたのは、どうしてなんですか?
中村 当初、このプロジェクトは1年間ぐらいの撮影期間で作らなければいけないと言われていたんです。それで、オリジナル版が制作されたロシアの「ソユーズムリト・フィルム」というスタジオも見ましたし、日本にあるパペットアニメのスタジオも見たんですけど、韓国のスタジオに行ったら、そこのスタッフがいちばん若くて活気があったんです。スタジオも体育館ぐらいの広さがあり、そこで作った映像やセットなんかも見せてもらって、技術力の面でも申し分なかった。それで、最終的に韓国のスタジオを選んだんです。ロシアで撮ってたら10年かかっちゃうかもしれないけど、ここでなら1年で撮れる! と思って(笑)。
── 2ヶ月間のテスト撮影をされたそうですが、そこで何か発見があったり、思わぬ壁にぶつかったりとかしましたか。
中村 うーん、壁にぶつかったりはしなかったですけど、やっぱりアニメーターそれぞれに個性がありまして。アドリブを入れてくる人もいるし、言ったとおりの事しかやらない人もいるし。最初なので、アレンジの方向も全然間違ってたりとかして、「そういう事はやらん!」とか言ったりはしました(笑)。その段階で、一応12フレーム撮影のテストもしたんです。第1作が作られた当時の撮影カメラのシャッタースピードはどのくらいだったのか、といった事も調べて、それを再現するために色々やってみたんですけど、まあダメだろうと。やっぱり24フレームで今のようなかたちで撮っていこう、という結論に落ち着きました。それがテスト撮影中のいちばん大きなトピックと言えますかね。
── 撮影中、スタジオに常駐しているメインスタッフはいたんですか? 日本側でも、ロシア側でも。
中村 いや、いません。基本的には韓国に任せていました。撮影の段取りとしては2ヶ月ぐらいをひとつの区切りとして、まず最初に僕と助監督が韓国に行って、その2ヶ月で撮影するカットの打ち合わせを担当アニメーター全員とする。撮影の指示をして、シートのチェックもして、動きが分かりにくいところは実際に僕が演技をしたりして、それが終わったところで僕らは日本に帰る。それからしばらくして、まずレイアウトの画像が韓国からインターネット経由で送られてくるんです。あるカットの最初の1コマ目とか、あるいはそのカットでキモになる途中の1フレームとか。それを僕がチェックして、アングルや配置のバランスをいじって、さらに細かい演出指示も付けて撮影OKという返事をして、向こうのスタジオで撮影に入る。で、上がってきたムービーをまた同じように見て、OKならOKだし、リテイクならリテイクをする。そんなやり方を1年半、ずっと繰り返していました。

── 撮影は6ライン同時に並行して進められたそうですね。
中村 ええ。最初は3ラインでしたけど、最終的には6つが並行して動いてました。
── コンテは中村監督が描かれたんですか。
中村 いや、僕が描いたところと、ロシア人が描いたところが混ざってます。現場で僕が変えちゃったところもありますけどね。奇術師が手品をするシーンと、マーシャと奇術師が一緒に手品をする最後のくだりは、僕が全部コンテから描いています。
── 撮影前から全話分のコンテはできていたんですか。
中村 ええ、全部できていました。海外の作品って、日本のアニメに比べて、リップシンクに関して凄くシビアなんですよね。だから、まずコンテを起こしてから、音声をロシア語で全部録ったんです。
── ああ、いわゆるプレスコ方式なんですか。
中村 そうです。それに合わせてロシア側でビデオボードを作ってもらって、撮影はそのビデオボードをもとに進めていきました。
── 旧作が作られた当時と現在とでは、パペットアニメの作り方も違っていますよね。特に違うところはどこだと思いますか?
中村 いちばん大きいのは、やっぱりCGの存在でしょうね。昔なら、例えば何かが宙に浮いたり跳ねたりするシーンを撮る時は、その物体を支える針金とかを、背景と同じ色に塗って「見えない事」にする……というようなやり方だったと思うんです。ただ、今は針金よりもしっかりした土台を使っても、あとでCGで消す事ができる。その変化は大きいですよね。あとは、シャボン玉の一部をCGで作ったり、アオリのショットで空を合成したり。そういう部分は、今だから簡単にできる事だと思います。
── 撮影はフィルムではないんですよね。
中村 ええ。デジタル機材を使っています。
── じゃあ、40年前にはできなかった、撮影したその場で映像をチェックする事もできるわけですね。
中村 できます。リアルタイムで画をチェックする事が可能になったので、それも大きな違いでしょうね。撮ったばかりの画と、前に撮ったコマとの連続性をチェックできる機械もあったりして、そういう意味では凄く楽です。
── モブシーンなんかもデジタル撮影だからこそチャレンジできた?
中村 うーん、それは必ずしもそういうわけではないと思います。結局40人のキャラクターがいれば、40人分のパペットを少しずつ動かして撮影するという手間は変わりませんから。昔みたいに、フィルムを現像するまで映像がチェックできない時代だと、「やべえ、こいつだけ動かし忘れてた!」みたいな事もあったかもしれませんけど(笑)。
── 手前と奥のモブを別々に撮って、あとでデジタルで合成しているカットもある?
中村 部分的にはあります。サーカスでマーシャが1本のロープの上で踊るシーンがあって、俯瞰のショットがあるんですけど、そこでは彼女が踊っているシーンと、その下に見える観客席のモブは別々に撮っています。そういうところで現代の技術は使ってますね。

▲客席のモブのなかに、見覚えのあるキャラクターが……

── そういえば、劇中に『霧の中のハリネズミ』のハリネズミ君が出てきますが、あれはどうして?
中村 あれはまあ、軽いジョークです(笑)。『チェブラーシカ』の世界では動物も人間も混じって暮らしているので、モブシーンにハリネズミがいてもいいよな、と思って。それでサーカスの観客の中にハリネズミを登場させようと思って、人形を作ってからノルシュテインに見せて「出していい?」って訊いたんです。
── あ、もう先に作っちゃったんですね(笑)。
中村 ええ。それで「いいよ」と言ってもらえたので、出してしまいました。元々、その人形は動かすための造形はしてなかったんですけど、スーパーバイザーを務めてくれたチーフアニメーターが「俺なら動かせる」と(笑)。それで、少しだけ歩いてもらったんです。
── それでクレジットに「協力:ユーリ・ノルシュテイン」と出るわけではない?
中村 そうじゃないです(笑)。プロジェクトの最初に取材させてもらった時、カチャーノフの話とかをいろいろ聞かせてもらって、助言を与えてくれた事に対するスペシャル・サンクスです。
── 現場レベルでは色々な国のスタッフが参加していますが、資本としては日本なんですか。
中村 そうです。
── 「なんでロシアのものを日本で作るんだ」という声もあったと思うんですが……。
中村 ええ、それは言われましたね。僕はもう最初の段階で、何度も「お前なんかに作れるわけがない」と罵倒されましたから。
── それに対して、どう対処されたんですか?
中村 いや、対処はしてないです。それはやむを得ない事だと思いましたから。例えば『鉄腕アトム』や『ドラえもん』の続編を突然ロシアで作ると言われたようなものですからね。当然、反射的に「何言ってんだ」となるわけで、そういう声に対して、僕は黙って聞いていただけです。そういう意味では、ロシア人スタッフの方が大変だったと思う。それだけのプレッシャーがある中でスタッフとして参加して、もし失敗したら、僕なんかよりも遥かにクリエイターとしてのダメージは大きいはずですから。僕はもうロシア側からの意見は素直に聞いて、丁寧に作っていけば最終的にはきっと認めてもらえるだろうという事だけを目印に、じりじり進んでいったという感じです。
── 「日本のアニメ」っぽくならないように気をつけていたところはありますか。お話の面でも、描写の面でも。
中村 うーん、そこはあんまり意識してなかったかな。リアクションについては多少、気にしてましたけどね。観ている人は気がつかないかもしれませんけど、驚く時のリアクションとかって、日本人や韓国人はどうしても少し控えめになっちゃう。そのあたりは若干オーバーにするつもりで撮影してました。それでもロシア人から「ここ、ちょっと控えめすぎない?」と言われて直したところもありましたね。逆に、どうすれば「日本のアニメ」っぽくなっちゃうのか、僕にはよく分からないですけど(笑)。
── 例えば、チェブラーシカの可愛さの表現にしても、あんまりやりすぎないように、とか。
中村 ああ、確かに「媚びない」ようにしようとは思ってました。やっぱりチェブラーシカはその佇まい自体が可愛い、というのが正しいと思うので、あんまりファンシーな方向に走らないようにしてました。自分で「僕、可愛いでしょ?」とか思っているわけではないし。
── その他に、撮り方の面で気をつけていた事はありますか。
中村 あんまり極端なカメラ芝居はしないようにしようとは思ってました。つまり、PANショットを入れるとか、ズームを多用するとか。テンポを維持しなきゃいけない時なんかには、例外的に入れるようにしていましたけど、基本的にはそこで起こっている事を、カメラの存在を意識させないようにそのまま撮るというスタンスを守っていました。要するに、カメラ自体が芝居をしないという事です。
── 基本的にはキャラクターと同じ目線を守って、なるべく「なんという事のない感じ」で撮られていますよね。
中村 ええ。やっぱり、カメラ芝居って難しいですからね。アニメに関しては分からないですけど、カメラのアングルや動きでキャラクターの感情表現が描ける現役の映画監督って、ポン・ジュノとスティーヴン・スピルバーグぐらいじゃないかな(笑)。だから自分ではできないだろうし、今回の方法論としてそれはやるべきではないだろうな、とも思っていました。

── 監督として「ここを観てほしい」という見どころはありますか。
中村 あんまり「ここがポイント」というつもりで作っていたわけではないんですよね。どちらかというと、チェブラーシカやゲーナが生きている世界を再現するという事に注力していましたから。ある1ヶ所というよりは、全体を観て、この世界を体感してほしいです。
── ところで、昨年TV放映された『チェブラーシカ あれれ?』という2Dのショートアニメも、チェブラーシカ・プロジェクトの一環なんですか。
中村 そうです。あの時点で映画の撮影はほとんど終わっていて、ロシア側での手応えもある程度は得ていたんです。でも、日本の子供達にとってはまだ十分に認知度があるわけではないので、チェブラーシカというキャラクターを広く知ってもらうためにどういう方法があるかと考えた時、あの5分間の枠で何かやってみようと。
── 中村さんも関わられてるんですか。
中村 僕は監修として、映画の『チェブラーシカ』の世界観からなるべく逸脱しないように、シナリオからコンテまで全部チェックしていました。監督は工藤(進)さんに頼んで、キャラクターデザインは岸田(隆宏)さんがやってくださって。
── 豪華メンバーですよねえ。
中村 ええ(笑)。岸田さんには僕が撮った映像を観てもらって、これを2Dでやるにはどうすればいいかと話し合った結果、岸田さんの方から「筆ペンでやる」と。それであの画ができたんです。
── なるほど。そして、2010年にようやく映画本編も完成するわけですね。6年越しで作り終えられて、手応えはありましたか。
中村 いちばん最初にロシア大使館でロシアの子供達に見せて、それからロシアで現地のお客さんにも観てもらったんですが、凄く反応がよかったんです。そこで、第一義として掲げていた「ロシアの人達に楽しんでもらう」という目標をクリアできたので、その手応えはありましたね。「面白かったよ」という言葉もかけてもらったんですけど、いちばん多くもらったのが「監督ありがとう!」という言葉だったんです。それは凄く嬉しかった。きっと最初はロシアの人達も、なんだかよく分からない日本人が『チェブラーシカ』を作るという事で不安だったと思うんですよ。でも、ちゃんと自分達が楽しめるものとして帰ってきてくれた。胸が熱くなりましたね。お客さんも手を叩いて喜んでくれて、日本だとありえないですけど、上映中のスクリーンを背にして記念写真を撮ってる人もいました(笑)。
── まあ、あまり推奨できる行為ではないですけれども(笑)。それでは最後に、これから作品を観る日本の観客に向けて、何かメッセージをお願いします。
中村 マニアックな見方をしたい方は、ロシア語版を観てください。今回のインタビューを読んでいただければ、どんな事を考えながら作っていたかも分かると思いますし、いかにオリジナル版のカチャーノフ・テイストを守ろうとしているか、そのあたりを細かく観ていただければ面白いと思います。
 もうちょっとライトに楽しみたい方は、日本語版で。ロシア的な哀愁の部分は抑えめにして、アドリブをいっぱい加えて楽しい感じを出しました。大橋のぞみちゃんの声も可愛いので、こちらも観ていただけると嬉しいです。
── 両方観てもらえるとなお嬉しい、という事ですね。
中村 まあ、そうですね。……でも、お金がかかっちゃうので、無理せずに(笑)。

●『チェブラーシカ』中村誠監督インタビュー おわり

2010年11月18日
取材場所/東京・東宝本社
取材/岡本敦史、小黒祐一郎
構成/岡本敦史


●関連サイト

『チェブラーシカ』&『くまのがっこう ジャッキーとケイティ』公式サイト
http://www.cheb-kuma.com/

(10.12.17)