アニメ様365日[小黒祐一郎]

第76回 『じゃりン子チエ』(劇場版)

 はるき悦巳のマンガ『じゃりン子チエ』は、大阪の下町を舞台にしたコメディだ。キャラクターもドラマも滅法面白く、アニメ化される前から人気作だった。僕も単行本を買って愛読していた。その初の映像化が、高畑勲監督の劇場版『じゃりン子チエ』だ。東京ムービー新社の作品で、制作の主体はテレコム・アニメーションフィルム。作画監督は小田部羊一、大塚康生、美術監督は山本二三。当時のテレコムで、この強力な布陣だ。当然、ビジュアルの見どころは多い。作画に関しては、小田部羊一の繊細さと、大塚康生のダイナミックなアニメーションが同居しているのが素晴らしい。いい芝居が沢山ある。それと全編を通して、キャラクターの歩き、走りがいい。
 公開は1981年4月11日。高畑勲監督の劇場長編は、1968年の『太陽の王子ホルスの大冒険』以来だ。この原稿を書くまですっかり忘れていたが、同時上映は、植田まさし原作の『フリテンくん』だった。マンザイブームが盛り上がっている頃の映画であり、主人公のチエ役は中山千夏だったが、それ以外の主要登場人物には西川のりお・上方よしお、やすしきよし、ザ・ぼんち、笑福亭仁鶴、島田紳助・松本竜介、桂三枝、京唄子、鳳啓助と、関西の漫才師やタレントを起用。その全てがハマり役であり、作品を活気あるものにしていた。特に西川のりおのテツ役については、今では、これ以外の配役は考えられないくらいだ。
 見事な映像化だった。映像作品としてしっかりとできており、なおかつ原作に忠実だった。僕は原作のセリフを暗記するくらい読み込んでいて、初見時に「ここのセリフは原作どおり」「ここはセリフが少し違う」等と確認しながら観たくらいだ。劇場公開時にはそんな事を思いもしなかったが、今ではこの映画を、実に「邦画的」だと思う。僕が、名画座で昔の邦画を観るようになったのは、ごく最近の事で、あまり偉そうな事は言えないのだけど、『じゃりン子チエ』を観返す事があると「邦画だなあ」と思う。どの監督の作品に近いかと言えば、成瀬巳喜男だろうか。この映画で特に印象的なのは、チエと母親のヨシ江が、テツに内緒で会うシークエンス、そして、チエとテツとヨシ江が、遊園地に行くシークエンスだ。いずれも味わいのある場面で、邦画的だと思うのもそういったところだ。勿論、単に日本らしい風景や生活を描写しているから、邦画的なのではない。空気感や情緒の出し方の問題なのだろう。
 原作と高畑監督の相性もよかった。前にも書いたが、高畑監督は「人間を冷静に観察し、描写していく演出家」であり、コメディタッチの題材であっても、生真面目な目線で物語っていくようなところに、その作家性があると思う。そういった高畑監督の作り方が、『じゃりン子チエ』にぴったりとハマっていた。高畑監督の客観性が、原作のユーモアを際立たせていた。オープニングに西川のりおの「ホーホケキョ!」、本編中にザ・ぼんちの「ありぃ?」という、彼らの持ちネタが入っている。後者はアフレコ時のアドリブかもしれないが、そういった流行のお笑いを高畑勲が取り入れてるのも、なんだか愉快だ。
 「第31回 『赤毛のアン』その後」で「高畑作品では、冷静な観察者の位置にいるキャラクターが非常に重要なのだろうと思う」と書いた。『じゃりン子チエ』も同様だろうと思う。『じゃりン子チエ』でも、チエやテツに対する観察者的なキャラクターは何人かいるが、その親玉は、テツの恩師である花井のオッちゃんだろう。花井のオッちゃんはインテリであり豪傑。出番は決して多くないのだが、彼が登場した途端に、劇中の人間関係が安定して、観ていてホッとする。高畑監督自身は決して豪傑ではないはずだが、劇中の登場人物で、高畑監督に一番近いのが彼なのだろう。これは根拠らしい根拠もなく、直感による発言だが、間違っていないような気がする。劇中の花井のオッちゃんが、テツやチエに向けるセリフを、高畑監督自身の言葉のように感じてしまうのだ。
 この映画の構成に関して、ひとつだけ不満があった。この映画の最初では、ヨシ江は家出している。それが花井のオッちゃんの計らいでチエ達のところに戻ってきて、一緒に暮らすようになる。しかし、まだ関係がギクシャクしていた。そこで、またも花井のオッちゃんのアイデアで、3人で出かける事になる。それが前述の遊園地に行くシークエンスだ。そこで、チエの活躍があり、テツとヨシ江の関係が柔らぐ。まずは、めでたしめでたしだ。その後に、そこまで脇役だった猫の小鉄、アントニオJr.の対決のエピソードが始まり、その決着がついたところで映画が終わる。小鉄もアントニオJr.も、人気キャラクターだったし、対決自体も面白かったので、それをやった事自体に文句はないのだが、猫のエピソードがクライマックスでいいのか? と思った。そこまでチエ、テツ、ヨシ江の話で進めてきたのに、猫のエピソードで終わったために、映画としてまとまりがよくない。物語として終わっていない気がしたのだ。
 終わり方が気になったのには、別の理由もある。公開前の「アニメージュ」1981年1月号(vol.31)に、原作と決定稿脚本を比較する記事が、掲載されていた。その記事では、小鉄とアントニオJr.の対決の後に、チエが学校で「ウチのお父はん」という作文を発表するエピソードが入り、それが終わったところでエンドマークが出る事になっていた。その記事を読んでいたので、猫の対決を観ながら「この後に、チエの作文の話が入るのだな」と思っていたのだが、作文のエピソードはなく、エンディングが始まった。それで面食らってしまった。ただ、原作どおりに作文の話をやったなら、しんみりした終わり方になってしまうはずであり、そのあたりは難しい。いまだにあの終わり方でよかったのだろうか、と思う。

第77回へつづく

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(09.03.02)