第112回 『ザブングル』と悪ノリ
DVDで『戦闘メカ ザブングル』を観返して、本放映当時、自分がどんなふうにこの作品が好きだったのか、その気分を思い出した。作画等の技術的な問題とは別に、作りの粗さはあったし、前回(第111回 『戦闘メカ ザブングル』)書いたように、シリーズ後半は失速してしまうのだが、それでも『ザブングル』には、『ザブングル』にしかない魅力があった。その魅力がなにかと言えば、やはり登場人物のエネルギッシュな生き方、あるいは肩の凝らない雰囲気だったのだろう。それと同時に、人間関係やものの考え方にちょっとドライなところがあり、それも大人っぽくていいと思った。
それから、『ザブングル』は、シリーズを通じて「悪ノリ」を持ち味にしていた。前回触れたパターン破りや、脇役の自己主張や、饒舌なナレーションも、悪ノリの一部だった。悪ノリは、本作の魅力のひとつになっているのだが、作っているうちに勢いづいてそうなってしまったのではなく、そうやろうと意識して悪ノリをやっているように感じられるところがあった。本作の身体を使ったアクションの面白さは、『未来少年コナン』を意識したものと思われるが、やはり『コナン』のように上手にはやれていなかった。それについても「頑張って笑わせようとしているなあ」と感じる事があった。
メタフィクション的なネタで、笑わせるセリフが多く、それも『ザブングル』の悪ノリを代表するものだった。たとえば、ジロンが主人公であり、他の人物が脇役であると、登場人物がセリフで言ってしまう事があった。ジロンが、ダイクに「(お前は)サブキャラだからな、ブリッジに行ってよ」と言ったり、アイアン・ギアーのクルーの1人が、戦闘中に自分の攻撃が当たらないのを「どうせ、俺は当たらないようになっているんだろうな。主役じゃないから。クソ!」と嘆いたり。イノセントの上官が、部下に人任せにしないで自分で戦うように命じた時に「出番を多くしてやろうという、私の配慮が分からんのか」と言ったり。
作品の方向性や、セリフ回しに対してキャラクターが言及する事もあった。キッド・ホーラが「はっはっは、もう遊びの時間はお終いだ」といかにも悪役らしい事を言った後で、「ちょっとパターンだな」と自分で突っ込んだり、新しいランドシップでアイアン・ギアーに迫る敵役が「パターン破りの『ザブングル』と言えども、後継艦が敵になって来るとは思うまい!」と言ったり。「パターン破り」が売りの作品だったが、まさか劇中で「パターン破りの……」と言い出すとは思わなかった。ナレーターも、メタ的な視点でコメントをしていた。前回までのあらすじ部分で「えらく段取りいいけれど、ラストが近くなったかな?」と言ったり、「愛さえあれば万事解決と、いかないところが、シリアスドラマのつらさです」と言ったり。
そういったメタフィクション的なギャグの集大成が、ラス前の49話「決戦! Xポイント」だ。イノセントが放った大型ミサイルを、ジロンが、ウォーカー・ギャリアで受け止める(これもかなりメチャメチャな展開だ)のだが、その前の彼のセリフが凄まじい。「そう簡単に死ぬかよ。アニメでさ!」である。主人公が「これはアニメだ」と言ってしまったのだ。これには唖然とした。『ザブングル』の全話の中で、一番インパクトのあるセリフだった。放映後しばらく、僕はこのセリフをどう解釈すればいいのかで悩んだ。最終回「みんな走れ!」では、人型に変形したアイアン・ギアーが初めて空を飛ぶ(「翔べ! ガンダム」で、アムロが、ガンダムで空中戦をやったような要領で飛ぶ)。その前に、ラグがコトセットに飛べるはずだと耳打ちするのだが、その理由が「マンガだから」だった。49話「アニメでさ!」のインパクトが強すぎて霞んでしまったが、「マンガだから」も相当なセリフだ。
今になって観返すと、過剰な悪ノリがあるのをもったいないと思う。そういった部分があるために、普遍的な価値を持った作品になりそこなっていると感じるからだ。ただ、少なくとも、僕は本放映時はそういった悪ノリを楽しんでいた。たとえ、ギャグとして滑っても、滑った事を楽しんでいた。
第113回へつづく
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(09.04.22)