アニメ様365日[小黒祐一郎]

第156回 新世代の演出家たち

 『宇宙戦艦ヤマト』で始まったアニメブームがいつ終わったのかについては、諸説あると思う。僕の感覚では、話題にしている1983年にすでに終わっていた。アニメブームが終わって、ちょっと落ちついた頃、若い有能な演出家が、次々と登場してきた。それまでの世代の演出家とは、少し傾向が違う演出達だ。年齢は20代。彼らはTVアニメを観て育っており、アニメファンの嗜好も理解できる。おそらく、アニメという表現にも執着を持っている。感受性も豊かで、表現力もある。学生時代にアニメブームを経験し、それをきっかけにしてアニメ界に入ってきたのだろう。
 その若い世代の筆頭が、東映動画の研修生だった佐藤順一、貝澤幸男、西尾大介、芝田浩樹達だ。佐藤順一はこの1983年の『ベムベムハンター こてんぐテン丸』で、貝澤幸男も同じ1983年の『愛してナイト』で演出デビュー。西尾大介と芝田浩樹は『Dr.スランプ アラレちゃん』で演出デビューしている。佐藤と貝澤に関しては、翌年の『とんがり帽子のメモル』での仕事があまりにも素晴らしく、放映序盤でファンになってしまった。特に佐藤順一演出の10話「みんなそろって忘れ草」と25話「二人を結ぶ風の手紙」がお気に入りだった。今でも彼の最高傑作は『メモル』25話だと思っている。僕は『メモル』の頃も東映動画でバイトをしており、バイトに行った時に「佐藤順一が凄い!」と騒いでいたら、働いていた部署の方が本人を紹介していくれた。最初にご挨拶した時に「ファンです」と名乗ったはずで、僕は「佐藤順一(に宣言した)ファン第1号」ではないかと思う。これは自慢してもいいかもしれない。
 亜細亜堂では、この頃、望月智充や本郷みつるが活躍を始めている。望月智充のデビューは、1982年『ときめきトゥナイト』だが、脚光を浴びたのは1983年の『魔法の天使 クリィミーマミ』だった。この作品での彼の仕事も僕達を魅了した。望月智充は早稲田大学アニメーション同好会の出身だった。友達が彼の大ファンで、望月智充が同人誌即売会で出身サークルのブースに顔を出すという情報を入手した友達は、即売会に行って挨拶をした。僕もオマケでついていった。後に、望月智充が「『マミ』で出会った100人の人物」という原稿(記憶で書いているので、タイトルは違っているかもしれない)を、同人誌に寄稿した。その原稿で友達は「ファン第1号」として認定してもらった。僕の肩書きは「その友人」だった。僕もファンだったのだけど、友達の方が情熱的だった。僕が本郷みつるの名前を意識したのは、少し後の『おねがい! サミアどん』だった。『サミアどん』にはテレコム・アニメーションフィルムの片渕須直も参加。彼の名前も、この作品で覚えた。
 シンエイ動画の作品には原恵一、須永司、前園文夫。原恵一は1984年1月20日放映の『ドラえもん』で初コンテ。その後、『ドラえもん』で次々と傑作を生み出し、『エスパー魔美』でチーフディレクターとなる。須永司は『パーマン』でも印象的なエピーソードを残しており(ただ、僕は『パーマン』を観るようになったのは途中からで、チェックしている話数は少ない)、『プロゴルファー猿』でも活躍。前園文夫のプロフィールは、ほとんど知らないのだけれど、やはり若手だったのだろうと思う。『オヨネコぶーにゃん』の前園文夫演出回は、本当に面白かった。
 日本アニメーションには「第155回 『ミームいろいろ夢の旅』」で触れた佐藤博暉、鈴木孝義がいた。日本サンライズには『聖戦士 ダンバイン』で「ハイパー・ジェリル」を担当した今川泰宏がいた。このように1983年頃から、気になる若手演出家が大勢現れた。彼らの仕事にはアニメを変えていくのではないかという可能性が感じられ、僕は彼らを追いかけた。

第157回へつづく

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(09.06.29)