アニメ様365日[小黒祐一郎]

第169回 カメラで撮られた世界としての『クリィミーマミ』

 ここ数日、『クリィミーマミ』について書いていて、自分がいかにこの作品が好きだったのかを思い出した。作品にも、キャラクターにも思い入れして観ていた。また、脚本や演出を意識して観た作品でもあり、「この話はここが残念」とか「今回は演出がよかった」といった見方もしていた。『クリィミーマミ』で名前を覚えたスタッフも多い。それから、昨日の原稿で触れるのを忘れていたけれど、最終回3部作において、マミがファィナルステージをやり遂げようとした理由について、劇中で触れていないのが面白いと思う。シリーズ構成的には、それをセリフで言わせないのがポイントだったのかもしれない。キャラクターやストーリーについての話は、前回までで一段落。今日はテクニカルな面について触れたい。
 「第161回 『魔法の天使 クリィミーマミ』」で「ファンタジーではあるが、基本的にリアル志向の作品であった。作品世界に関しても、人物に関しても、現実味のあるものとして描いていた」と記した。これは作劇についてだけでなく、演出や画面作りについても同様だった。端的に言えば『クリィミーマミ』は「現実世界にカメラを置いて、人間や事物を撮ったかのように作られたアニメ」であり、画面設計=レイアウトに力を入れて作られた作品だ。細かく見ていけば、やり切れていないところもあるし、全話全カットがそのように作られているわけではないが、基本にそういった方向性があった。魔法少女ものに限らず、当時の他のTVアニメと比べても、リアルな印象の作品だった。
 それはチーフディレクターである小林治の演出プランであり、彼をはじめとする『クリィミーマミ』スタッフの多くが所属していた亜細亜堂の作り方だ。後年の話になるが、小林治が監督を務めた『きまぐれオレンジ☆ロード』について取材した際に、それに関する話をうかがった。小林監督は「どう思われているか分からないけれど、自分はこういった作品でも、たとえば世界名作劇場と同じような作りにしたいと思っている」と話してくれた。他のスタッフに聞いた話だが、『きまぐれオレンジ☆ロード』では「流PAN、全面透過光の背景などは使わない」という約束事があったそうだ。アニメならではの派手な画作り(それは安易な作りになりやすい)を排し、可能な限り、現実感のあるものとして作ろうとしていたわけだ。
 同じ亜細亜堂の芝山努が手がけていた頃の『ドラえもん』でも、「実写で撮った場合に、ありえないところにカメラを置かない」という約束があったはずだ。例えば、のび太の部屋を見せるカットなら、天井より高い場所にカメラをおくような画面(「どっから撮ってんだよ!」と突っ込まれるような画面)にはしないという事だ。『クリィミーマミ』も同様の考え方で作っていたのだろう。ひょっとしたら魔法がらみなどの場面にはあるかもしれないが、基本的には流PAN、全面透過光の背景はなかったはずだ。ありえない場所にカメラを置いたりもしない。
 「第162回 エピソードで振り返る『クリィミーマミ』1」で書いたように、1話「フェザースターの舟」を観て僕は「ずいぶんと垢抜けた作品が始まった」と思ったが、どうして垢抜けた感じになっているのか、よく分からなかった。今観返すと、どうしてそう感じたのかが分かる。デザインのよさや、SFチックなセンスのためでもあるのだが、主には「実写で撮ったかのような、カメラを意識した画面作り」であり、「きっちりと画面が設計されている」から垢抜けていると思ったのだ。高畑勲が手がけた『アルプスの少女ハイジ』を観ると「洗練されている」と感じる。『クリィミーマミ』の方がずっと華美ではあるが、そこに『ハイジ』に近しいものを感じていた。
 1話「フェザースターの舟」では小林治自身が絵コンテ・演出を務めており、優がローラースティックで街を駆け抜け、それを俊夫や警官が追うシークエンスで、そういった画面作りの方向性がはっきりと示されている。まず、目につくのが、縦を効果的を使った画面構成だ。小さな坂の上から下までを1カットに収めており、その坂を優がローラースティックで下り、次いで、彼女を追った俊夫とみどりが下り、他のカットを挟んで、同ポで自動車が坂道を上る。あるいは陸橋の下を通り過ぎる優を見せた後に、トラックバックして、陸橋の上で優に呼びかける俊夫を映す。陸橋の下の動きと上の動きを1カットで見せているわけだ。いずれも遠景の、凝った画面構成であり、シークエンスを臨場感のあるものにしている。小林治・芝山努コンビの代表作である『ど根性ガエル』でも、縦を効果的に使った画面構成があった。それは彼らの得意技だったのだろう。また、このシークエンスには、地面スレスレにカメラを置き、ローラースティックで駆ける優を、アオったかたちで撮った構図が数カットある。これも臨場感のある映像だった。優が遮断機が下りかかっている踏切を突っ切るカットも画面をきっちり設計しており、感心する。やはり、全体に現実味がある。その後に登場するフェザースターの方舟にしても、手前に競馬場のスタンドを置いたり、鳥を飛ばしたりして、巨大感を表現。これも、きっちりと画面を設計し、現実味のあるものとして作られた画面だった。
 魔法という曖昧なものをモチーフにした作品を、そういったリアル志向で作った事が面白い。この作品で魔法が使われる時、必ず発光現象があったり、物が浮いたりしているのに注目したい。たとえば、マミが部屋の中で変身すると、室外に光がこぼれる。フェザースターの方舟が接近すると、地面が揺れて、ゴミ等が宙に舞う。シリーズを通じて、そういった描写を執拗に入れ続けている。魔法という形のないものを、物理現象として表現しようとしているわけで、それもリアルを目指す演出だった。
 制作的な事に触れると、そういった演出を支えていたのは、レイアウトシステムであったようだ。少なくとも『クリィミーマミ』の亜細亜堂担当回においては、原画作業に入る前に、演出家と作画監督がレイアウトをチェックするシステムになっていた。世界名作劇場のような特殊な例を別にすれば、TVシリーズで、作画作業前に各カットのレイアウトをチェックするシステムが確立するのは、1980年代中盤以降であり、亜細亜堂のやり方は先進的だった。ただし、これは『クリィミーマミ』に限った事ではない。亜細亜堂は、というか小林治・芝山努コンビは、元々レイアウトに関する意識が強く、『クリィミーマミ』以前の『ときめきトゥナイト』でも、同様のレイアウトシステムを採っていた。それ以前にも小林、芝山コンビがレイアウトを描いて、原画マンに渡していた作品もあったそうだ(それ以外に芝山努がレイアウトマンとして参加した作品があるのは、言うまでもない)。
 レイアウトシステムは、カメラで撮ったような現実感のある画面を作るだけでなく、フレームへのキャラクターの収まりをよくする等の効果もあったはずだ。また、そういった画面構成に、見事に応えた小林プロダクションの存在も大きい。同社のエッジの効いた美術は『クリィミーマミ』になくてはならないものだった。

第170回へつづく

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(09.07.16)