第226回 『BIRTH』続き
今だったら『BIRTH』を「動くだけ動いて、お話はよくわからないところがイカス」ととらえて、カルトな作品として楽しむ事もできるが、当時の僕達にはそんな余裕はなかった。期待していた『BIRTH』が楽しめない作品だった事は、作画マニアにとって、ちょっとしたトラウマになり、その後もトラウマを抱え続ける事になった。少なくとも、僕や周りの人間にとってはそうだった。
『BIRTH』で分かったのは「作画が頑張っているだけでは、作品としてよいものにはならない」という事だった。アクション主体の作品であっても、アクションを活かすために最低限のストーリーは必要だし、しっかりした演出も必要だ。それまで金田伊功の作画がカタルシスを生んでいたのも、ストーリーや演出と結びついていたからだ。ただ、それは、今になって振り返ったからこそ言える事だ。当時は、『BIRTH』で満足できなかった理由を、そんなふうに整理できなかった。ただ当惑した。「アニメーターが主体になった作品は、ダメなのではないか」といった、ネガティブな事までも考えた。
「アニメージュ」1984年10月号に、金田伊功自身が『BIRTH』についてコメントしている。記事のタイトルは「『点数でいえば、50点の出来』とアニメーションディレクター金田伊功氏 オリジナルビデオ『バース』を自己採点」という凄いものだ。10月号という事は『BIRTH』のビデオがリリースされた直後に発売された号という事になる。
この記事では、まずは作品の狙いについて、当初から全編追いかけっこみたいなかたちで、気持ちよくみせたかったと語り、作品の前半部分については、一応、狙いどおりになったとしている。ストーリーがよく分からないという記者の問いに答えるかたちで、ストーリーについて説明。どうやら、クサくなるのを避けるために、説明的な部分を端折ったというのもあるようだ。「でも、いまのままじゃ、何がなんだかわからないだろうなあ。やっぱりラストまで、ちょっとしたアイデアとギャグでもっていって終わりにすればよかったなあ」とも語っている。
同記事では、気持ちよく作品をまとめられなかった理由として、スケジュールの問題を挙げている。尺が60分から80分に伸びたけれど、制作期間は伸びなかった。若手原画マンが動かすのを頑張れば頑張るほど、スケジュールがなくなっていった。「あのペースでもうあとひと月あればね、おもしろい作品ができるとはいいませんが、ラストシーンもふくめて、いまよりはいいものができたと思います」と語り、今回の仕事について自己採点するとどうなるかという質問に対しては、以下のようにコメントしている。
「点数をつけるとすれば、50点の出来だと思います。でも、今回は失敗していますけれど、80分なら理屈ぬきのアクションだけで見せられると思います。設定に3か月位かけられて、作画期間として半年以上あったらなと思います」
作品に対して真摯に向き合った、非常によい記事だ。毎月「アニメージュ」を買っていたし、ほとんどのページに目を通していたはずなのだが、この記事は当時読んだ記憶がない。読みはしたが、本編を観たショックが大きすぎて、内容が頭に入らなかったのかもしれない。僕らが『BIRTH』について感じていた疑問に対する回答は、この記事でほとんど出ていた。おそらくはスケジュールがないところで、ストーリー作りと作画が同時進行で進み、作画的に充実したものにするのを優先したために、ストーリー作りがおろそかになったという事だろう。この記事を読んでホッとしたのは、金田伊功自身が『BIRTH』について、どこが弱いかを分かっている事と、それでもアクション主体の作品についての可能性を信じている点だ。もし、同じチームがもっとよい条件で、似た傾向の企画で、次の作品を作っていたら、もっと楽しめる作品になっただろう。そう信じられる発言だ。当時、この記事を読んで、ちゃんと理解できていれば、トラウマを抱える事もなかったかもしれない。
もう少しだけ続ける。最近になって『BIRTH』を小説化した「SFアクションアニメ バース」(講談社X文庫の1冊で、奥付に表記されたタイトルは「バース または 子どもの遊び」だ。Amazonで検索しても、こちらのタイトルで引っかかる)を古本で購入した。著者は、本作の制作には参加していない首藤剛志。彼がどうしてこの小説を書く事になったのかは「シナリオえーだば創作術 だれでもできる脚本家」の第69回「ほとんど小説家のつもりだった頃」を読んでいただきたい。
この本に目を通して驚いたのは、金田自身によるあとがきだった。あとがきの半分が、OVA『BIRTH』のあらすじの説明と、わかりづらかった内容になってしまった事についてのお詫びだったのだ。彼はファンに対して「反省しています——ビデオを購入された方、ごめんなさい」と詫びている。また、追伸部分では作画の遅れのために迷惑をかけた背景、仕上げ、撮影、音響のスタッフ、キャストに対して、ねぎらいの言葉をかけている。彼の誠実な人柄が伝わってくる文章だ。この文章も、刊行された当時に読んでおけばよかった。
第227回へつづく
(09.10.09)