アニメ様365日[小黒祐一郎]

第234回 押井守版『ルパン三世』

 1985年の映画の話題といえば、幻に終わった押井守版『ルパン三世』がある。前にも別のコラムで触れているが、改めてこのタイトルについて書いておく。
 僕達が、この映画の事を知ったのは「アニメージュ」1984年10月号の巻頭特集。特集のタイトルは「'85年夏 監督・押井守 映画『ルパン三世』決定!」だ。特集に掲載された押井版『ルパン三世』のビジュアルは、押井守と天野喜孝の手によるイラストがそれぞれ1枚だけ。この段階で、まだデザインがあがっていなかったのだろう。
 1978年の『マモー編(『ルパン三世』)』、1979年の『ルパン三世 カリオストロの城』に続く、3本の劇場版になるはずだったタイトルだ。元々、宮崎駿のところに来た企画だったが、宮崎は今の自分がやるべきではないと考えて、押井守を監督として推薦した。当時、フリーになっていた押井は、宮崎の事務所に居候していたのだそうだ。
 押井は、これを前衛的な作品として作ろうとしていたようだ。以下、特集のインタビュー記事から抜粋する。


AM 今回のルパンで何を描こうとしているのか教えてください。
押井 今回の作品の場合は、テーマがとても抽象的なものなのでそれをことばで説明するのはむずかしいのですが……ぼくはいまの時代を射程に入れて、壮大な、現実意識にまでくい込めるような虚構の世界を作りたいと考えています。
AM 壮大な虚構とはどういうことですか?
押井 「インディ・ジョーンズ」や「ブレードランナー」はよくできた虚構というか、安心して見ていられる額縁のある虚構です。だから見終わったあとも「ああ、すごく楽しかった」っていうふうに終わる。だけど、それだけなんですよね。映画の内容が見終わったあとの自分の現実にかかわってきて、現実そのものが映画を見る前と後では、ちがって見えるっていうことはない。ぼくが作りたい映画っていうのは、そういうものじゃなくて、実際にその映画が観客の現実認識にも影響をあたえるようなすさまじい力のある、あふれてくるような虚構なんです。


 今読むと「ぶち上げ過ぎたよ!」と思うけれど、当時の彼は、本気でそんな映画を作ろうとしたのだろう(いや、その後も同じつもりで『GHOST IN THE SHELL』や『スカイ・クロラ』といった作品を作っているのかもしれないが、それは別の話)。記事を読んで「本当にそんな映画ができるのかな」とも感じたけれど、僕はこの企画にちょっと期待した。虚構がモチーフになった作品という事で、僕らを魅了した『うる星やつら2 ★ビューティフル・ドリーマー★』のような作品。あるいはその発展形になるだろうと思った。
 『ルパン三世』ファンとしても、僕は、押井がアバンギャルドな作品を作る事に関して「ありだろう」と思った。ここまでにTVシリーズ、劇場版で、様々な『ルパン三世』が作られており、『ルパン三世』というタイトルが、作り手によってまるで違ったものになってしまうという事は了解していた。むしろ、作り手のカラーの違いを楽しんでいるようなところもあったからだ。若干の不安は感じていたはずだが。
 その特集には「現在決定しているスタッフ」として、以下のスタッフ名が挙がっている。


監督・脚本/押井守
脚本/伊藤和典
アート・ディレクション/天野喜孝
画面構成/金田伊功
原画/森山ゆうじ、山下将仁、北久保弘之、森本晃司、庵野秀明
演出助手/片山一良


 豪華なメンバーだ。驚くべきは掲載できるビジュアルが何もない段階で、参加する原画マンを発表している事だ。アニメーターに注目が集まっていたこの時期にしても異例だ。名前が挙がっているメンバーは、押井自身が声をかけたスタッフだったようだ。
 特集記事によれば、押井は、天野喜孝に映画全体のデザインを担当させるつもりだったようだ。イメージボードのようなラフなものではなく、建物や装飾にいたるまで緻密に設計させようとしていた。金田伊功の画面構成とは、レイアウトを描く役職ではなく、押井が描いたコンテをチェックし、カメラワーク等についてアイデアを出す仕事だったようだ。記事だけでは、具体的な事がいまひとつ分からないが「作品イメージの統一と、密度の高い画面作りをするために、彼の感性を借りたいと考えています」と押井は語っている。映像面においても期待が膨らむ企画だった。
 しかし、脚本を読んだプロデューサー達が、その難解な内容に難色を示し、押井版『ルパン三世』は頓挫。代わりに、別スタッフによる『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』が制作される事になった。
 押井版『ルパン三世』が実現しなかったのを、残念に思う理由はいくつかある。
 まず、この企画が成立していたら、この後の『ルパン三世』ヒストリーが違ったものになっただろう、という事だ。『バビロンの黄金伝説』以降、アニメ『ルパン三世』は保守的な方向に流れていく。押井版『ルパン三世』ではなく、『バビロンの黄金伝説』が作られた事が、『ルパン三世』ヒストリーの分岐点になったように思えてならない。
 押井守ヒストリーとしても同様だ。この後の彼の作品で、作家性とエンターテインメントが両立したものは多くはない。もしも、押井版『ルパン三世』が『ビューティフル・ドリーマー』と同じような、作家性とエンターテインメントが両立したものとして完成していたなら、彼の歩みも違っていただろう。
 素朴に押井版『ルパン三世』が観たかったというのもある。もし、実現していたら、当時の彼がどんなふうに、ルパン、次元、五右ェ門、不二子、銭形を描いたのかが気になる。『うる星』の直後だから、虚構をモチーフにしつつも、エネルギッシュなフィルムにしていたのではないかと思う。猥雑でもあったかもしれない。それを観てみたかった。押井守と金田伊功の相性がどうだったのかも気になるし、金田が『ルパン三世』と押井ワールドを、どのように料理したかも気になる。

第235回へつづく

(09.10.22)