アニメ様365日[小黒祐一郎]

第344回 『王立宇宙軍』と宮崎駿

 昨日『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に関する記事のコピーを入手した。前回の原稿で「どうして当時、あんなに戸惑ったのか」について書くと予告したが、その前に、この記事に触れておく。「キネマ旬報」1987年3月下旬号に掲載された対談記事「山賀博之VS宮崎駿 現実からはみ出した部分で 何か新しいものが見えるとき」だ。ちなみに、宮崎駿は『王立宇宙軍』の企画成立に、ほんの少しだけ関わっている。
 まず、対談の冒頭部分を引用しよう。


宮崎 「オネアミスの翼」を見て、よくやったと思って感心したの、俺。はったりとかカッコつけみたいなものが感じられなくて、正直につくってるなと、とても気持ちよかった。
山賀 ありがとうございます。
宮崎 内容については、ものすごく感心した所と、これでいいのかという部分があるけれど、この映画が、若い同業者の諸君に、非常に大きな刺激になると思ったんです。賛否両論、激しく分かれるかと思うけど、それでも刺激になる。アニメ・ブームの最後の隙間を見事に利用して、やったなとね。それと、映画をつくる時に一番大事なものは、表現したいものと情熱を持つことだと思う。当然、やりとげるには試行錯誤はあっただろうけど、こうしたいというのが、途中で崩れず最後まで持ちこたえてたんで、気持ちよかった。
山賀 制作が終ったばかりで、この映画を見て、誰かが何か言って、それに答えるのは、まるっきり初めてで、あっ、どうもありがとうございました、という言葉以外出てこないんです。
宮崎 正直にお互い話せばいいんじゃないかな。僕の趣味からいって、うまくやったなと思うのは、デザイン。建物とか街のデザインを最後まで統一して。全部つくったでしょう、三十年位前の日本みたいな感じの。服装から何から、電車の高架線まで含めて、工夫してあって、隅々まで目が届いている。俺なんか、とてもできないな。やりたいと思っても、その専門の人がいないと、とてもできないから。それで、なぜそういう世界にしたのか、ちょっと聞きたいんだね。


 宮崎駿は、基本的に『王立宇宙軍』を肯定している。同じ若手スタッフが手がけた『プロジェクトA子』に対して否定的だった(第299回 宮崎駿の「セーラー服が機関銃撃って……」発言)のと好対照だ。山賀博之は、異世界を舞台にした理由を語り、そうした事の背景として、若者にとっての現実、フィクションについて語っている。2人とも『王立宇宙軍』という作品の本質的な部分に触れており、刺激的な記事だ。
 引用部分で注目したいのが、宮崎が『王立宇宙軍』の美術デザインを誉めている点だ。彼自身が、画面を設計する事に関して、アニメ界の第一人者だ。そして、意図して映像の情報量を上げていく『王立宇宙軍』の画作りが、宮崎作品の影響を受けていないわけがない。宮崎作品の延長線上にあるともいえる『王立宇宙軍』の美術デザインについて、半ばお世辞かもしれないが、彼が「俺なんか、とてもできないな」と言っているわけだ。これはアニメ技術史的に考えると、ちょっとした事件だ。
 対談は、宮崎が『王立宇宙軍』を評価しているところから始まり、山賀の意図にも大筋では納得し、その上で“どうして、ロケットの描写を、実在するロケットのようなものにしたのか?”“ロケット打ち上げに情熱を持っていたのはシロツグではなくて、老人達だったはずだ。それなのにクライマックスで、老人達が先にあきらめるのはリアリティがない”と突っ込んでいく。そして、この映画は、若い人間達の気持ちを描いてはいるが、それを語るだけの“状況論でしかない”“正直に作った結果、現実にからめとられてしまっているように見える”“状況から飛び出していく物語であるかのように見えながら、実は飛び出していない”と指摘する(“ ”でくくった部分は、引用ではなく、僕が要約した文章だ)。
 宮崎は『王立宇宙軍』が若者の状況と気持ちを描く映画である事を理解し、その上で、作り手が状況を突破する気がないと言っている。現実を突破する気がないというのがどういう事かというと、ロケット打ち上げに成功して、それで生き甲斐を感じたとしても、ロケットはその後、軍事利用されるだろう。シロツグはそれに参加するか、リイクニとビラを撒くか。そういった人生を選ぶしかない。そうやって現実にからめとられてしまうのだ。そういったストーリーにしているのは、状況を突破する気がないからだ。順序立てて話されているわけではないが、整理すると、そういった内容になるようだ。それに対して、山賀は、現実を突破する事を描くのではなく、その過程にいいものがあるのではないか。それを伝えるのが、この作品の狙いだと言っている。
 どちらの言い分も分かる。現実の中にいる若者が、現実を突破するのを見たい。突破できなかったとしても、作り手達がシロツグ達に託した夢や希望を見たいという宮崎。自分達の現実に近い世界を描く事に力を注ぎ、そういった日常の延長の中で、普段目にするものとは違ったものを見せようとした山賀。この対談を読んで、改めて『王立宇宙軍』という作品が、若者のために若者が作った映画であるだな、と思った。当時はそうは思わなかったが、クライマックスでシロツグが見せた決意と熱意も、宇宙に出た彼が達した境地も、いかにも若者らしく、青くさい。しかし、その場面にあったのは、青くささゆえに描けた感動でもあった。
 脱線して、別の話題。この対談の中で、以下のような宮崎の発言がある。この映画が言っているのは、状況論であり、現実にからめとられてしまったのではないか、という文脈だ。


そこでロケットを飛ばした結果、生甲斐をそこで感じても、次にまた現実にからめとられるだろうという中に生きているという、やりきれなさもよく分かる。だから、俺だって、アナクロニズムのマンガ映画をわざと作っている。


 これは面白い。彼はやるせない現実を突破するため、マンガ映画を作っているのだ。会話の中で、ポロリと出た発言なので、どのくらいマジメに受け止めていいのか分からないし、これが全てでもないのだろう。ではあるが、マンガ映画を作り続けていた理由のひとつとして、それがあるのは納得できる。自分で「アナクロニズムのマンガ映画」と言ってしまっているのも面白い。

第345回へつづく

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(10.04.09)