第395回 『ロボットカーニバル』
『ロボットカーニバル』は、1人のマンガ家と、8人のアニメーターの短編によって構成されたオムニバスOVAだ。オープニングとエンディングを手がけた大友克洋のみ、福島敦子とのコンビであったが、他の7人の監督は、自身で作画も担当している。リリースされたのは1987年7月21日。全体で90分ほどの作品である。
A.P.P.Pの野村和史プロデューサーが、『美少女アニメ くりぃむレモン PoP CHASER』の完成後に「また、企画を出さないか」と、北久保弘之に話を持ちかけたのが企画の始まりだった。北久保は最初、大勢のアニメーターがミュージッククリップを作ったら面白いのではないかと考えたのだそうだが、アニメーターに声をかけていくうちに、話が膨らみ、アニメーターが個人作家として短編を作る企画となった。アニメーターに声をかけたのは、北久保弘之と森本晃司の2人だった。
共通するモチーフは「ロボット」であり、何らかのかたちでロボットを出せば、あとはそれぞれの監督が何をやっても構わない。セールスなども考えなくていい。そんな企画だった。今まで何度か触れてきたように、初期のOVAはクリエイター至上主義で作られていた。その中にあっても、『ロボットカーニバル』の企画は、クリエイター主義が最も色濃く出たものだった。
個々の短編のスタッフは以下のとおりだ。
- オープニング・エンディング
- 監督・シナリオ・絵コンテ/大友克洋
- キャラクターデザイン・原画/福島敦子
- 美術/山本二三
- 「フランケンの歯車」
- 監督・シナリオ・キャラクターデザイン/森本晃司
- 美術/池畑祐治
- 「DEPRIVE」
- 監督・シナリオ・キャラクターデザイン/大森英敏
- 美術/松本健治
- 「プレゼンス」
- 監督・シナリオ・キャラクターデザイン/梅津泰臣
- 作画協力/寺沢伸介、二村秀樹
- 美術/山川晃
- 「STARLIGHT ANGEL」
- 監督・シナリオ・キャラクターデザイン/北爪宏幸
- 美術/島崎唯
- 「CLOUD」
- 監督・シナリオ・キャラクターデザイン/マオラムド
- 原画/大橋学
- 動画/大橋初根、大橋志歩
- 美術/マオラムド
- 「明治からくり文明奇譚 〜紅毛人襲来之巻〜」
- 監督・シナリオ/北久保弘之
- キャラクターデザイン/貞本義行
- メカニックデザイン/前田真宏
- 作画協力/毛利和昭、森山ゆうじ、川名久美子
- 美術/佐々木洋
- 「ニワトリ男と赤い首」
- 監督・シナリオ・キャラクターデザイン/なかむらたかし
- 美術/沢井裕滋
僕はこの作品を、リリース前に試写室で観た。試写といっても、ビデオメーカーか現像所内の小さな試写室だった。試写に参加したのは僕を含めて2、3人だったと記憶している。アニメ雑誌編集者のための試写だったのだろう。『ロボットカーニバル』は制作に長い期間がかかっており、僕は制作中に「アニメビジョン」で、梅津泰臣となかむらたかしに取材している。その取材で『ロボットカーニバル』についても聞いていた。どういった企画なのか、監督達がどんな意気込みで参加しているのかも、事前に知っていたのだ。だから、制作中から期待していた。そして、ようやく完成した作品は、期待以上の仕上がりだった。
内容に関しては、アート的なものもあれば、娯楽作もあった。アクションものもあれば、可愛らしく女の子を描いたものもあった。8作品とも、絵描きとしてのそれぞれのクリエイターの個性が存分に出ており、また仕事の密度も高かった。やる気と才能が迸っていた。僕が満足しないわけがない。大満足だった。
ただ、当時のアニメージュ編集部内での評判は、必ずしも芳しいものではなかった。否定的な意見を言っている人間が確実に1人はいたし、他の人も、僕のように絶賛はしていなかったと記憶している。「黒ちゃん、『ロボットカーニバル』の何がいいの?」「全部いいじゃないですか」「あの作品はここがダメだよ」「だけど……」といった会話を編集部内でした記憶がある。他の編集スタッフと、自分の感想が食い違っていたので当惑した。
ビデオリリース後、僕はカラーを4ページをもらって、アニメージュ1987年10月号(vol.112)で、『ロボットカーニバル』の記事をやった。記事タイトルは「いまだから話せる!? 『ロボットカーニバル』の裏のうら」だ。記事内容はともかく、鈴木敏夫編集長に、タイトルを誉められたのを覚えている。その記事では全監督に取材をし、個々の作品の狙い、裏話などを中心に原稿をまとめた。全作品のフィルムを切り出して、見どころのカットを並べた(梅津泰臣の「プレゼンス」では、ちゃんとスープが入った皿とスプーンのアップを載せている)。
それはいいのだが、最後に記事のまとめとして、僕は署名原稿でコラムを書いた。これがよくない。読み返してガッカリした。自分が『ロボットカーニバル』に感銘を受けた事を表明しつつ、なんだか言い訳みたいな事を書いているのだ。何に対する言い訳だったかというと、編集部内で否定的な意見を言っていた人達に対する言い訳なのだ。編集部内に否定的な意見を言う人がいるという事は、読者にもこの作品にピンとこない人がいるはずだ。そんな心配しないでもいい事を心配して、原稿を書いている。
コラムの論旨を整理すると「この作品はここが素晴らしい」→「だけど、批判的な意見を持っている人もいる」→「作り手の作品に対する思い入れが強すぎで、自分の作品を客観的な目線で作っておらず、バランスがよくない。それが批判的な立場の人の意見であるようだ」→「確かにそうかもしれないし、それは否定できないけれど、個々のスタッフが自分のために作ったプロモーション作品だと考えれば問題ない。1本のオムニバス作品としてはバランスが悪いかもしれないけれど、アニメーターが好き勝手やったお祭りビデオとしては問題ない」というもの。原稿の書き手が、悩みながら書いており、その悩みをそのまま出してしまっている。失敗原稿の典型だ。自分が、しっかり楽しんだのだから、他人の意見なんて気にしないで「『ロボットカーニバル』最高!」と書けばよかった。さらに言えば、今になって観返すと、オムニバスアニメとしても、別にバランスは悪くない。むしろ、抜群にバランスがいい作品だったのではないかと思うくらいだ。
『ロボットカーニバル』の個々の作品については、次回以降で触れる事にする。
第396回へつづく
(10.06.25)