アニメ様365日[小黒祐一郎]

第405回 クリエイター主義と『ロボットカーニバル』

 『ロボットカーニバル』最後の作品が、大友克洋監督によるENDINGだ。OPENINGの後日談であり、OPENINGとで1セットの作品だ。集落を破壊したロボットカーニバル(この場合のロボットカーニバルは作品ではなく、キャタピラで走り回るタイトルロゴだ)は、その後、海を渡り、都会で活躍した。しかし、現在、ロボットカーニバルは、誰もいない砂漠で朽ち果てようとしている。崩れていくロボットカーニバル。しばらくして、男が通りかかり、彼は崩れたロボットカーニバルのパーツを持って帰る。それは銀色の球だった。球の中から小さな踊り子ロボットが現れて、男の子供達は大喜び。ホノボノとして終わるかと思いきや、最後には意地悪なオチがつく。やっぱり『ロボットカーニバル』はアブナイ存在なのだ。オムニバス作品『ロボットカーニバル』を、綺麗にまとめるオチになっていた。
 ここまでの10回の原稿を読んでもらえば分かるように、『ロボットカーニバル』の8本の作品はバラエティに富んでおり、それぞれ監督の個性が色濃く出ていた。作りも凝っており、非常にゴージャスなフィルムだ。僕のようなアニメマニアにとっては、たまらない作品だった。では、アニメファンにとってこれがメジャーな作品だったかというと、決してそんな事はなかった。僕の周りにいたアニメをかなり観ているファンでも、『ロボットカーニバル』をスルーしてしまった人が多かった。「メモリー オブ ロボット・カーニバル」のインタビューでも「さっぱり売れなくて、がっかりした」と話してくれた監督もいる。
 「メモリー オブ ロボット・カーニバル」で別の監督が「『ロボットカーニバル』は、お客さんを待たせすぎた作品だったかもしれない」と発言している。あまりに制作に時間をかけてしまったために、いい形で発表できなかった。これは納得できる話だ。北久保弘之は「明治からくり文明奇譚 〜紅毛人襲来之巻〜」を作るのに2年かけたという。1985年の『くりぃむレモン PoP CHASER』の後に企画を始めたとすれば、確かに2年ほどかかっている事になる。
 『ロボットカーニバル』がリリースされたのは1987年。OVAは、新タイトルが次々とリリースされていたが、初期にあった「クリエイター主義」の勢いは弱まっていた。『BIRTH』に皆が期待してた頃とは、ずいぶんと事情が違っていた。例えば1年前の1986年に『ロボットカーニバル』が発表されていれば、もっと注目を集めていただろう。そんな事はありえないが、『BIRTH』がリリースされた1984年に公開されたとしたら、絶賛されたはずだ。そうなればOVAの歴史が、もっといえばアニメの歴史が変わっていたかもしれない。
 クリエイター主義の権化のような作品ではあったが、『ロボットカーニバル』は、「クリエイター主義」の盛り上がりには乗りそびれた。そういう事なのだろう。それは『ロボットカーニバル』というタイトルにとっても、アニメにとっても、残念な事だった。

第406回へつづく

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(10.07.09)