第434回 『LILY-C.A.T.』
アニメージュで、僕が初めて2ページ以上の記事を担当したのが『LILY-C.A.T.』だった。『LILY-C.A.T.』は1987年9月1日にリリースされたOVA。68分ほどの作品だ。原作・監督はベテランの鳥海永行、キャラクターデザインは梅津泰臣、制作はスタジオぴえろ(現・ぴえろ)だ。僕はこの『LILY-C.A.T.』を、1987年9月号(vol.111)でカラー4ページの記事にまとめている。これは自分で出した企画ではない。鈴木敏夫編集長に、やってみないかと言われたのだろう。
記事の構成としては、メインビジュアルのイラスト。鳥海監督への取材。登場人物紹介。フィルムストーリー。コラム的に梅津泰臣とモンスターデザインを担当した天野喜孝のコメント、美術の見どころ、声優陣の解説。4ページの記事としては盛りだくさんだし、構成も単調にならないように気をつけている。写真も丁寧に選んでおり、見映えも悪くない。
ただ、この記事については、お膳立てができていた。アフレコ時のキャスト勢揃いの写真は、ビデオメーカーが用意してくれていた。梅津泰臣と天野喜孝のコメントも、自分で取材したのかどうか覚えていない。ひょっとしたら、ビデオメーカーさんからコメントをもらって、原稿にまとめただけかもしれない。鳥海監督には取材したが、電話でだった。記事のメインビジュアルは梅津泰臣の描きおろしイラストで、これは自分で発案して、原稿を依頼した。あとはビデオメーカーに用意してもらった35ミリフィルムをザクザクと切って構成した。
構成に関しては、ほとんど悩んでいないはずだ。誰かにアドバイスをしてもらったどころか、打ち合わせもロクにやっていないような気がする。お膳立てをしてもらった事もあり、作業はスムーズに進んだし、記事らしい記事に仕上がった事については満足したけれど、本ができあがった後に、あれ、これでよかったのかな? とは思った。要するに、盛りだくさんな記事ではあったけれど、読者に何を伝えるかという事について、焦点が絞れていなかった。焦点が絞れていないのは、自分で何を伝えるのかを考えていないからだ。この時はそんな余裕もなかったのだが、後の仕事では改善されたはずだ。
今、その記事を読み返すと、ちょっと作品を持ち上げ過ぎているところがあったり、逆に地の文で「『エイリアン』調のよくあるSFものの筋立て」なんて書いてしまっているところがあったりで、苦笑いしてしまう。それから、「人間ドラマ」という言葉を使っている。このフレーズは池田憲章さんの必殺技であり、池田さんのような原稿を目指して、この言葉を使ったのだろう。とにかく経験がないなりに、かっこいい原稿にしようとして頑張っている。
作品内容の話に移ろう。惑星探査を目的とした宇宙船サルデス号には、13人の乗組員が乗り込んでいた。目的の星までは片道20年かかる。乗組員は冬眠装置を使うため、ほとんど歳をとる事はないが、地球に戻れば40年の歳月が流れている。それが分かっていて乗り込んできた彼らは、訳ありの人間ばかりだ。冬眠装置から目覚めてから、13人の中に正体を偽って乗船した者が2人いる事が判明。そして、船内で謎のバクテリアに感染して、乗組員が1人、また1人と命を落としていく。しかも、死んだ乗組員の身体がいつのまにか消失している。正体を偽った乗組員は誰なのか? そして、死体消失の謎は?
13人の乗組員を演じたのは、沖田浩之、勝生真沙子、阪修、大塚周夫、山田栄子、榊原良子、田中亮一、玄田哲章、千葉繁、田中秀幸、塩屋浩三、大竹宏、辻村真人と、なかなか豪華。梅津泰臣はデザインのみで、作画監督は担当していない。そのため、彼の魅力が最大限活かされているとはいえないが、作画レベルが低いわけではない。美術もしっかりとしたものだ。
本作の大筋が『エイリアン』や『遊星からの物体X』に似ているのは、誰の目にも明らかだ。鳥海監督が執筆した小説版のあとがきでも、彼自身が、チラリとその事に触れている(本当の狙いは『エイリアン』や『遊星からの物体X』風の作品ではなく、昔懐かしい「怪猫映画」だったそうだ)が、その是非についてここで語っても仕方がない。『LILY-C.A.T.』のポイントは、謎説きとサスペンス。そして、乗組員のドラマにあった。中盤で、沖田浩之が演じている青年ジロー・タカギと、大塚周夫が演じる中年男ディック・ベリーが、サルデス号に乗り込んだ理由が明らかになる。特にディックの理由が面白かった。大塚周夫の芝居も大変に味があるもので、印象に残るキャラクターだった。
この原稿を書くために、20数年ぶりに本作を観てみた。この作品もDVDになっていないので、アニメスタイル編集部のスタッフに、都内のレンタルショップでVHSのソフトを探してもらった。今の目で観ても、前半の雰囲気の出し方、話の運びは巧い。鳥海監督らしい硬質な作りが気持ちいい。尺が足りなくなったのか、終盤は演出的に弱くなっており、それがもったいない。トータルとして見れば、凡作ではない。やはり、当時の僕がちょっとかっこいい原稿を書きたくなるような作品だった。
第435回へつづく
(10.08.20)