アニメ様365日[小黒祐一郎]

第468回 サイコフレームの奇跡

 『逆襲のシャア』クライマックスでサイコフレームが起こした奇跡に関して、どのように受け止めればいいのか分からなかった人が多かったはずだ。“サイコフレームの奇跡”というのは、前回触れた現象の事だ。ひとつは敵のモビルスーツまでがアクシズを持ち上げるのに協力をした事であり、もうひとつがサイコフレームの力によってアクシズが針路を変えて、地球が救われた事である。どう受け止めたらいいのか分からないのは、何が起きたのか理解しづらいというのもあるし、その展開に違和感があったからでもあるはずだ。

 それまでの展開と“サイコフレームの奇跡”にはギャップがあった。クライマックス直前まで、この映画はドライなタッチで、ギスギスした人間関係や、それから生じる悲劇ばかりを描いてきた。人間というのは愚かで、救われない存在である事を観客に伝えるために話を進めてきたようなものなのに、クライマックスで、敵のパイロットまでが地球を救うために命を投げ出す。つまり、いきなり甘く、ウェットな展開になる。初見時には「ええっ! なんで!」と思った。設定的な事を理解しても違和感は残る。
 サイコフレームの力がアクシズの落下を止めた件については、それまでの展開とリアリズムのレベルが違っている。クライマックスに至るまで、人物もメカもリアルタッチを基調として、説得力あるものとして描いてきたのに、最後にいきなり説得力がなくなってしまった。説明も足りないし、設定的な部分を理解したとしても、納得しづらい。たとえ、サイコフレームによって巨大な力が発生し、それにアムロやチェーンの意志が絡んでいたとしても、アクシズの針路を変えてくれるなんて都合がよすぎはしないだろうか。ハードなメカアクションものから、ファンタジーにでもようになってしまったかのようだ。観客に「結局は不思議パワーで解決かよ!」と突っ込まれても仕方がないだろう。
 サイコフレームに関しては、ファーストシーンから伏線を引いており、作り手が、最初からサイコフレームでアクシズ落としを止めるつもりだったのは間違いない。気になるのは、ここまで話を練り込んだ作品で、どうして“サイコフレームの奇跡”の部分だけが、ユルくなっているのかだ。サイコフレームでアクシズを止めるにしても、もっと納得できるように話を持っていく事はできたはずだ。どうしてそれをやらなかったのか。まるでわざと観客に違和感を持たせるように作っているのかようだ。

 以下は、僕の解釈だ。作り手の意図についても書くが、それも僕の想像だ。“サイコフレームの奇跡”は『逆襲のシャア』における。“救い”である。人間とは愚かなものであり、そのために人の世には悲劇がつきない。それは劇中のセリフで語られているような、地球に住んでいるからとか、スペースノイドだからといった問題ではない。宇宙で暮らす人達もまた愚かである事を、この映画は描いている。人間や世の中に対するネガティブな描写を重ねていく。しかし、物語には“救い”が必要だ。少なくともエンターテインメント映画には必要だ。観客にとってだけでなく、おそらくは作り手にとっても必要だ。
 繰り返しになるが、クライマックスに至るまでに『逆襲のシャア』は親子の断絶、憎しみ、嫉妬、行き違いによる悲劇などを描いてきた。いや、そうではない。人間にもいいところはある。今は対立ばかりしているかもしれないが、いつかは心をひとつにできるかもしれない。そういった希望が“サイコフレームの奇跡”として提示されている。
 シャアはサイコフレームの光に対して「こ、これは、サイコフレームの共振……。人の意思が集中しすぎて、オーバーロードしているのか? なのに、恐怖は感じない。むしろ、温かくて、安心を感じるとは!」「そうか……。しかし、この温かさを持った人間が、地球さえ破壊するんだ。それを分かるんだよ、アムロ!」と言っている。シャアはサイコフレームの力の本質を理解したようだが、それをはっきりとは言葉にしてくれない。サイコフレームが発していたエネルギーには、人間の精神のポジティブな部分が集約されていたのだろう。それに対してアムロは「分かっているよ! だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ!」と応える。会話の内容が飛躍しているようであり、アムロのセリフの「世界に人の心の光を見せる」というのがシャアの計画の事を指しているのか、現在起きている現象の事を指しているのかは分からない。シャアに同調しているようでもあり、これから起きる事を予言しているかのようでもある。
 本編の最後に、サイコフレームの光に包まれたアクシズを、地上の人々が見上げている描写がある。アムロが言ったように、地上の人々は「人の心の光」を観たのだろう。ひょっとしたら、それで世界の人々の心に何か変化があったのかもしれない。人々が、よりよき人間に少し近づいたのかもしれない。『機動戦士ガンダム』第1作の考え方で言えば、皆が少しだけニュータイプになったのかもしれない。だとしたら「重力に魂を縛られている人々の目を覚まさせる」というシャアの目的も、ある程度は達成された事になる。ただ、劇中で描写されているサイコフレームの光を見ている人達の数は、あまりにも少ない。それがまた切ない。


 『機動戦士ガンダム』第1作では、宇宙で暮らすようになっても戦争に明け暮れる人間に対する“救い”として、人の革新である“ニュータイプ”の概念が提示された。それに対して『逆襲のシャア』では、人の心の光であるところのサイコフレームの光による奇跡が描かれた。しかし、“サイコフレームの奇跡”はあまりにも説得力のないものだった。そうなっているのは、以下のような理由ではないのか。観客にとっても、作り手にとっても“救い”は必要であるが、作り手は、愚かな人間に対する“救い”などというものが本当にあるとは信じられなかった。説得力のあるものとして“救い”を描く事はできるが、それをやっても嘘になるだけだ。だったら、説得力のない、まるで絵空事のような奇跡として描いてやろう。そう考えたのではないか。
 これは僕にとって納得できる解釈だ。できる事ならば、人間同士は分かり合いたい。人間とは愚かなものであるが、できる事ならよりよき存在になってもらいたい。しかし、それはきっと無理なのだ。人間に対して希望を持ちたいという気持ちと、それに対する諦めが、“サイコフレームの奇跡”から感じられる。希望を持ちたいが、能天気にそれを信じられないのが『逆襲のシャア』という映画なのだ。

第469回へつづく

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(10.10.12)