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第35回 エヴァ雑記「第弐話 見知らぬ、天井」
第壱話と第弐話は、2本で1セットの構成である。第壱話は初号機の出撃で終わっているが、第弐話はその直接的な続きではない。最初に少し初号機と第3使徒の戦闘シーンがあるものの、それはシンジの夢であり、第弐話冒頭の時点ですでに初号機は第3使徒を倒している。その戦闘はBパートで回想として見せるトリッキーな構成となっているのだ。後述するマニアックな構図や、人間描写等も含めて、エキセントリックな印象の強いエピソードである。
スタッフを見ると、第壱話と第弐話はGAINAXの総力戦である。第壱話も第弐話も絵コンテは庵野秀明監督、摩砂雪副監督の2人、演出は鶴巻和哉副監督。作画監督は第壱話が鈴木俊二、第弐話が本田雄だ。鈴木俊二が貞本義行のキャラクターデザインに忠実に描こうとするのに対して、本田雄はアニメ的に洗練された描線で画面をまとめる。方向性こそ違えど、いずれも『エヴァ』作画のスタンダードだ。戦闘シーンの原画は、第壱話の国連軍対第3使徒が磯光雄なら、第弐話の初号機対第3使徒は吉成曜と本田雄(他の原画マンも戦闘シーンを描いている。念の為)。対第3使徒の戦闘は、絵コンテ段階では、もっと特撮ヒーロー的(有り体に云えば「ウルトラマン」的)なのだが、完成した画面ではそれはやや押さえられている。幾つかのカットでは、コンテの特撮ヒーロー的なキメが、アニメ的なダイナミズムに置き換えられている。これは作画段階での本田雄の判断であるらしい。絵コンテ集(富士見書房・刊)をお持ちの方は、見比べてみるといいだろう。
第弐話の戦闘シーンでは、A.T.フィールドの処理の見事さも忘れ難い。基本は透過光処理なのだが、透過光のないコマを入れているのが効いている。これもコマ送りポイントのひとつだ。このA.T.フィールドの動きのパターンは作画のアイデアではなく、演出サイドの指示だそうだ。
摩砂雪副監督のコンテによる、マニアックな画面(人物を画面の端に配置する構図等)が続出している点も、第弐話の重要なポイントだ。摩砂雪コンテを本田作画がかたちにする事で、映像がより切れ味のよいものとなっているのだろう。改めてこの話を観ると、『エヴァ』の演出スタイルに、摩砂雪副監督の仕事がいかに大きく影響を与えているのかがよく分かる。
『エヴァ』ではシリーズを通じて、会話シーンでキャラクターが互いの顔を見ない場合が多い。これはテーマと結びついた特殊な演出であり、早くも第弐話でそれが見られる。ミサトとリツコの会話に於いて顕著であり、Aパートで会話するシーンが三度もあるのにも関わらず、2人は一度も目を合わせていない。トレーラーに乗っているシーンでは、リツコがミサトの方を見た時にはミサトが違う方向を向いており、ミサトがリツコの方を見ると今度はリツコが目をつぷるという念の入りようだ。人類補完委員会との会議でもゲンドウは途中から俯いているし、エレベーター前でシンジとゲンドウが対面するシーンでは、目が合った途端にシンジが顔をそむける(余談だが、本放映当時にLD解説書編集スタッフでこの目線の特殊な演出について最初に気づいたのは、声優博士こと小川びい君であった。彼にそれを教えてもらい、僕は記事を書いた。彼に感謝する意味で、ここにそれを記しておく)。それに対して、この話でシンジとミサトは何度も互いの目を見て会話をしている。それは彼等が互いに相手の中に入っていこうとしているためなのだろう。
第弐話はシンジとミサトの関係が始まるエピソードでもある。ミサトは、父親と一緒に暮らせないのを残念がる事もなく、独りで暮らすのが平気だというシンジを引き取る事にし、自分のマンションへと連れて行く。ミサトは彼に対して快活に接し、一緒に食事をする。風呂に入ろうとしたシンジは温泉ペンギンに驚き、彼女の前でフルチン姿をさらしてしまう。小ネタだが、ビール缶とツマヨウジの缶でシンジの股間を隠すギャグは秀逸で、あれは絵描きでないと思いつかないアイデアだ。長谷川眞也のミサト作画も炸裂しており、楽しい場面だが、キモとなるのはフルチン直後の台詞だ。「ちとわざとらしくハシャギ過ぎたかしら。見透かされているのはこっちかもね」とミサトのモノローグ。次のカットでは、風呂に入ったシンジの「葛城ミサトさん……。悪い人じゃないんだ」というモノローグ。ミサトはシンジの気持ちを和ませるために、意識的に明るいお姉さんとして振る舞っていたのだ。そして、シンジもそれに合わせておどけたのかもしれないと、彼女は考えた。そして、モノローグ以降の台詞から、実際にシンジがミサトに合わせていたのであろう事が分かる。見逃してしまいそうな描写だが、実に『エヴァ』らしい。僕は、ここから『エヴァ』的な人間描写が始まっているのではないかと思っている。
面白いのは「ちとわざとらしく……」も、シンジのモノローグも、コンテにはないという事だ。コンテでは当該カットのミサトの台詞は「あれが昨日のヒーローとはね。意外と大物なのかしら」であり、シンジのモノローグのカットは、コンテでは台詞がない。コンテからアフレコまでの間に、庵野監督の中で、更にドラマが煮詰められたのだろう。コンテ通りなら、第弐話のミサトは根っから明るいお姉さんで終わっていたはずだ。
『エヴァ』らしいと云えば、第壱話についた第弐話の予告ナレーションにも痺れた。「エヴァは使徒に勝つ。だが、それは全ての始まりに過ぎなかった。父親から逃げるシンジ。ミサトの傲慢は、自分が彼を救おうと決心させる。次回、見知らぬ、天井。この次もサービス、サービス!」である。勿論、痺れたのは「ミサトの傲慢は、自分が彼を救おうと決心させる」の部分だ。人が人を救おうと思う事は、傲慢でしかない。その価値観が、実に『エヴァンゲリオン』的だ。
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■第36回 エヴァ雑記「第参話 鳴らない、電話」に続く
(06.05.19)
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