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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第37回 エヴァ雑記「第四話 雨、逃げ出した後」

 第参話の戦闘の事でミサトと対立したシンジは、それをきっかけにしてミサトのマンションを出てしまう。だが、彼はどこか遠くに行くわけでもなく、第3新東京市の周囲を歩き回る。まるでミサトに迎えてもらうのを待つように。「第四話 雨、逃げ出した後」は、「第参話 鳴らない、電話」の後日談であり、TVシリーズで唯一、庵野監督が脚本の役職でクレジットされていないエピソードだ。元々第参話は、シリーズ構成では「初めての、TEL」というタイトルで、戦いの後でトウジとケンスケから電話がかかってくる話だった。「EVA友の会」に掲載された薩川昭夫の取材記事に依れば、当初の脚本ではトウジとケンスケがエントリープラグに入り、そして、戦闘終了。シンジ、トウジとケンスケがそれぞれ別の部屋で怒られて、廊下に出たところで顔を合わせて笑い出す。つまり、第参話の段階でシンジはトウジとケンスケと友情を結ぶはずだった。ところが絵コンテを進めている間に、そのプランに無理があるのではないかという意見がスタッフから出て、新たにトウジ達と和解する第四話が作られる事になり、第参話の脚本も書き直された。TVシリーズの他の話数は何らかの形で庵野監督が脚本に関わっているのだが、後から作る事が決まった第四話には、ほとんど関わっておらず、薩川昭夫がプロットから決定稿まで書いている。
 この話でよく話題になるのが、ラストの約50秒の沈黙だ。駅のホームにいるシンジと、彼を迎えに来たミサトが言葉を発する事ができず、約50秒間黙って見つめ合う。あえて台詞を云わせず、カットも割らず、緊張感で2人の気持ちを表現する大胆な演出だ。ちなみにコンテで描かれた秒数は60秒。総尺の都合で、編集で約10秒を切ったのだろうか。沈黙の後、シンジは「ただいま」と云い、ちょっと間を置いてミサトが「お帰りなさい」と返したところで、第四話は鮮やかに終わる。長い沈黙は「第弐拾弐話 せめて、人間らしく」にもあった。緊張感の強さに関しては、第弐拾弐話の方が上かもしれない。

 前回に引き続き、トウジとケンスケにもスポットが当てられる。感心したのは、ケンスケの描写だ。独りでミリタリーごっこをしていたケンスケは、家出したシンジと出逢い、話をする。シンジに元気がないので、彼は気を遣う。まず世間話をしてシンジの様子を窺い、蝉が増えている話題に対してシンジが「生態系が戻ってるって、ミサトさんが云ってた」とコメントしたので、「ふうん、ミサトさんね」と返す(この台詞を云うところで、ケンスケをアップにしているのがポイント)。それで「全く羨ましいよ。あんな綺麗なお姉さんと一緒に住んでて、エヴァンゲリオンを操縦できて……」と続ける。シンジの言葉から、瞬時にミサトがシンジが依存したい相手である事を読み取り、それが彼のマンションで出逢った若い女性であろうと判断したのだ。頭の回転はかなりよい。そして、「自分は世界一孤独で不幸だ」といった顔をしたシンジに対して、自分も母親がいないのだと云い、更に「碇と一緒だよ」とダメ押しをする。この段階でケンスケは、シンジに母親がいない事は知らないはずなので「俺も孤独だよ」という意味で、母親がいないと云ったのかもしれない。僅かな会話で、閉ざしていたシンジの心をゲットしてしまった。会話の糸口を見つけ、持ち上げ、自分の弱みを見せて、最後に一気に近づく。驚くべきコミュニケーション能力の高さだ。放映当時、メインスタッフの1人に聞いたのだが、ケンスケには「旅館の息子」のイメージがあったのだそうだ(勿論、実際の設定では旅館の息子ではない。念の為)。周りには大人の従業員が大勢いて、宿泊客も毎日訪れる。幼い頃から色んな大人と接してきて、他人の顔色を見るのが巧くなってしまった子供だ。第参話でも、ケンスケがその人付き合いの巧みさで、トウジを上手にあしらっている部分があった。シンジがコミュニケーションが不得手であるのに対して、ケンスケは過剰なまでにコミュニケーションに長けている。『エヴァ』的に云えば、自分が傷つかないためにコミュニケーションをやり過ぎる少年。人間関係に於いて自己防衛が過剰気味なのだ。
 『エヴァ』には、シンジに対比されるかたちで「世の中で上手くやっている男」が何人か登場する。1人がコミュニケーションに長け、オタク的な趣味で自分を慰めるケンスケ。もう1人が意識的に男らしく振る舞おうとしているトウジ。後に登場する、ミサトすらも手玉にとる男、つまり圧倒的に能力の高い人物である加持リョウジ。更にその上に、父権的なポジションで登場した碇ゲンドウがいるという構造だ。

 第四話の英文サブタイトルは「EPISODE:04 Hedgehog's Dilemma」。第参話劇中でも話題になった、ヤマアラシのジレンマ(Porcupine's Dilemma)ではない。Hedgehogとはハリネズミの事だ。敢えてサブタイトルをPorcupine's Dilemmaにしていないのだ。これは視聴者が、何故ヤマアラシではなくハリネズミなのかを考えるところだ。ネルフ本部に連れ戻されたシンジは、またもやミサトに対してウジウジした態度をとる。シンジはミサトに叱ってもらいたかったのだろう。ところがミサトは彼を拒絶する。彼の態度に怒り、第3新東京市から出て行きなさいと云ってしまったのだ。後のシーンでミサト自身が云うように、その怒りこそが、ヤマアラシのジレンマ。つまり、身を寄せ合おうとしているからこそ出した棘だった。『エヴァ』のLDジャケットは、劇中に出てきた様々な単語(台詞の場合もあり)をキャラクターの背後にギッシリと詰め込んだ構成となっている。このデザインは僕のアイディアだ。第参話、第四話を収録した第2巻のジャケットは、キャラクターはミサト。その背後の文字群では「棘」を大きく配置した。ミサトと「棘」で第参話、第四話の内容を象徴できると思ったからだ。
 そのミサトとのやりとりの中で「叱らないんですね。家出の事。当然ですよね。ミサトさんは他人なんだから」とシンジは云っている。これについて、ミサトは答えていない。確かにミサトは他人である。ましてや、彼女が他人とのコミュニケーションを軽くしたい人間であるならば、シンジが望むように叱る事はないのかもしれない。「ミサトさんは他人なんだから」という言葉に対する、ミサトの回答は「第25話 Air」まで待たねばならない。


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■第38回 エヴァ雑記「第伍話 レイ、心のむこうに」に続く


(06.05.23)

 
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