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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第40回 エヴァ雑記「第七話 人の造りしもの」

 「え、碇ってあんな美人に保護されているの?」という男子生徒の台詞を聞いて、『フリクリ』みたいな言い回しだなと思った。勿論、作品が発表された順番は逆だ。「第七話 人の造りしもの」は、脚本の榎戸洋司の持ち味が出たエピソードなのだろう。コンテを担当している事もあり、庵野監督のカラーもギンギンに出ている。「人はエヴァのみにて生きるにあらず」「事実は往々にして隠蔽されるものなのよ」「多分帰りは遅いから、なんかデバって」「極秘情報がダダ漏れね」「奇跡を待つより捨て身の努力よ」「人間の手で、直接」「♪ブラとパンツはどこかいな」「それって、家族じゃないか」と硬軟共に印象的な台詞が多い。
 シリーズを通して見れば大筋から外れた話だが、物語だけでなく、映像も丁寧に作り込まれており、観ていて気持ちがいい。ゲストメカであるJ.A.(ジェット・アローン)はその名前が特撮映画のキャラクターに由来しているだけあって、登場場面の描写もどこか特撮ライク。掌にミサトを乗せた初号機が、J.A.に手を伸ばすカットも特撮物風だ。J.A.を作った日本重化学工業共同体の時田シロウを演じたのは、洋画の吹き替えも多い大塚芳忠。アメリカンな喋りがイカしていた。

 第七話は「ミサトとは、どんな女性か」という話である。前にも書いた様に、第弐話で明るくて気さくなミサトは本当の彼女ではないのかもしれない、という疑問が提示された。例の「ちとわざとらしくハシャギ過ぎたかしら。見透かされているのはこっちかもね」の台詞だ。この話はその続きである。冒頭の朝食シーンで、シンジはガサツでズボラな彼女の生活態度に呆れる。これはこれで微笑ましい場面だ。ところが彼女は、学校で行われるシンジの進路相談に行く事について「これも仕事だから」と云ってしまう。彼女は冗談のつもりだったのだが、シンジがそれを真に受けた様子なので「しまった」という顔をする。この「しまった」の顔が重要だ。やはり、気さくなお姉さんは彼女の演技なのか、と思わせる描写だ。トウジとケンスケがやってきたところで今度は、素敵なお姉さんとして彼に接する。そして、シンジが学校に出掛けた後、彼が自分に皮肉を云った事について、彼の感情表現が豊かになってきたのだと喜ぶ。更にその直後にネルフのスタッフに電話を入れて、シンジのガードについて確認する。短いシーンだが、ここで彼女は「ガサツでズボラな独身女性」「有能な女性軍人」「素敵なお姉さん」「シンジの事を親身になって考えている保護者」と、4つの顔を見せるのだ。やや余談めくが「これも仕事だから」の部分で、水道の蛇口が2人の気持ちを表現する演出に使われている。2人が互いに云いたい事を云ってる時には、水が勢いよく出ており、ミサトの言葉を受けて「仕事ですか」とシンジが云ったところで、水道の蛇口が止められる。止められた蛇口には水が残っており、水滴が落ちそうになっているが落ちずにいる。つまり、云いたい事はあるが口に出せなくなってしまったという意味だ。視聴者がそこに注目するように、蛇口に残った水を透過光で光らせている。キッチンに於けるA.T.フィールドの間接的表現である。
 その後、ミサトは気張った恰好で学校に現れる。これは「素敵なお姉さん」の顔だ。彼女はシンジのために気合いを入れてお洒落をして来た(わざわざ普段と違う車に乗って、目立つ様に急ブレーキをかけている)のだが、ガサツな彼女が外面を作っていると思い、シンジは不満を感じる。その後、J.A.の完成披露記念会に出席するため、軍服を着込み、凛々しい顔つきで旧東京に出掛けていく。これは「有能な女性軍人」の顔だ。彼女の変貌ぶりにシンジは驚く。物語後半、原子炉を積んだJ.A.が制御不能になり、ミサトはそれが自分の任務ではないのにも関わらず「やれる事をやっておかないと、後味が悪いから」という理由で、身を投げ出してJ.A.を止めようとする。その英雄的な行為にシンジは感動し、彼女を「見直した」と云う。ところがその翌朝、再びミサトは「ガサツでズボラな独身女性」に戻ってしまい、シンジは不機嫌になる。昨日の活躍は何だったんだ。そんなシンジに対して、トウジとケンスケは「羨ましい」と云うのだった。ミサトのみっともない姿は、他人には見せない本当の顔だ。そんな素顔を見せるのは、シンジが家族だからだと説明する。その言葉で、自分とミサトとの関係が近づいている事に気づいたシンジは、笑顔で前に向かって歩き出す。これこそがハッピーエンド。実に綺麗なラストだ。冒頭の朝食シーンで、シンジはミサトの恰好をトウジ達に見られると恥ずかしい、と云っていた。彼は意識していないが、その時にすでに家族として振る舞っていたのだ。また、トウジ達は「素敵なお姉さん」はミサトの作った外面だと知りつつも憧れ、騒いでいたのである。彼等はシンジよりも少しだけ大人だ。

 シンジは「ガサツでズボラな独身女性」が本当のミサトの姿だと納得した。それは構わない。では、我々視聴者の立場としてはどうだろうか。冒頭の朝食シーンでの様々な彼女の顔を見ると、単純に、ガサツでズボラであるのが本当の姿で、他の顔が作った外面だとは思えない。ひょっとしたら、作っている部分も含めて全てが本当の彼女であり、人間というものは1人で幾つもの顔を持つ存在であるというのが正解なのかもしれない。この話では、まだ彼女が「奇跡を待つより捨て身の努力」をしてしまう理由は分からないし、リツコがセカンドインパクトの説明をしている時に顔を背けていた事の意味も説明されていない。第壱話から始まったシンジとの関係のドラマはここでひとまず終了するが、ミサトの内面の描写はこれからも続いていく。いずれにしても第拾八話で加持が云うように「人は他人を完全には理解できない」のであり、だから、自分は他人を理解しようとするのだ。

 第七話は「組織と個人」の話でもあり、「嘘」や「情報操作」の話でもある。いや、むしろそちらの方がこの話のメインだ。ゲンドウや加持(彼はこの話では声のみが登場)はEVAに関する情報を操作し、時田シロウ達は別ルートから正確な情報を入手。リツコは世間に流布しているセカンドインパクトの原因についての情報が真実ではない事を告げているし、ミサトがトウジ達に見せた外面も「嘘」であり、「情報操作」と云えるだろう。J.A.の暴走もゲンドウ達にとって仕組まれた事であり、ミサトの活躍がなくても活動が停止していたはずだ。リツコはそれを知っており、ミサトに黙っていた。しかし、そのリツコすらもゲンドウへの報告の場面で、隣にいる正体不明の男を疑わしそうな目で見る。リツコが云うように「真実は往々にして隠蔽されるもの」であり、「とかくこの世は謎だらけ」なのだ。この話のサブタイトルは「人の造りしもの」。J.A.も、情報も、誰かの外面も、人間が作ったものなのである。
 ミサトやシンジは、ゲンドウの掌の上で踊っていただけだった。だが、この話のラストが気持ちがいいのは、その後でいつものミサトがいる日常に戻り、「それって、家族じゃないか」の台詞に繋がるところだ。脂っこい大人の思惑とは関係なく、個人の暮らしや幸福は存在する。ゲンドウの策謀が明らかになった直後に描かれているからこそ、最後のシンジの笑みは爽やかなのだ。


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[DVD情報]
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■第41回 エヴァ雑記「第八話 アスカ、来日」に続く


(06.05.26)

 
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