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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第51回 エヴァ雑記「第拾八話 命の選択を」

 船が難破した際に、2人の男が1枚の板を使って難を逃れようとした。だが、2人がつかまったら板は沈んでしまう。こういった場合、1人の男が板を独り占めして、もう1人を死なせてしまっても罪にはならない。これは古代の哲学者カルネアデスが提唱したといわれる倫理についての問題で「カルネアデスの舟板」と呼ばれている。星野之宣のマンガに「カルネアデス計画」という作品があり、庵野監督の『トップをねらえ!』では最終話の作戦名を、その星野作品から引用している。僕が構成・執筆した「トップをねらえ! なるほど大百科」(CD「トップをねらえ!響綜覧」の付録解説書)では、「カルネアデスの舟板」について「この考え方は庵野監督の思想の根底に流れているもの。氏の全ての作品の根底に流れている」と書かれている。この項について執筆した時の具体的な記憶はないが、いくらなんでも僕が自分の判断で「氏の全ての作品の根底に流れている」と断定はしないはずだ。恐らくこの箇所は庵野監督の指示で書き足したのだろう。「第拾八話 命の選択を」は「カルネアデスの舟板」に関する物語だ。英文サブタイトル「AMBIVALENCE」。アンビヴァレンスは、個人の中に矛盾する2種の感情や態度が同時に存在する事で「両価性」と訳される。元々、精神分析の用語である。

 トウジが乗ったEVA3号機は、第13の使徒に乗っ取られてしまう。レイの零号機もアスカの弐号機も3号機によって倒されてしまい、残るはシンジの初号機のみ。ゲンドウは3号機を倒す事を命じるが、シンジはそれを拒む。3号機を倒せば、中に乗っているパイロットを殺す事になるからだ。戦闘中、ゲンドウは使徒を倒さねばお前が死ぬぞと云うが、シンジは「いいよ。人を殺すよりもいい」と答える。
 客観的に見ればゲンドウが正しい。ここでシンジが死ねば、それで3号機の暴走が止まるわけではない。その後、3号機は第3新東京市へ行って破壊を続けるだろう。それは人類全体の危機にも繋がる。零号機も弐号機もすでに倒れている。他の人の命を守る為にも、シンジは3号機を倒さねばならない。後に分かる事だが、ゲンドウは「人間がヒトの形を捨てる事」までしてでも、人類を生き延びさせようとした男である。目的の為には手段は選ばず。そんな彼なら使徒殲滅の為に、3号機パイロットを死なせる事など当たり前だろう。その一方で、脆弱な現代人である僕達としては、理由はどうあれ他人を傷つけたくないというシンジの気持ちが理解できなくもない。死ぬのは厭だが、人を傷つけるのも厭だ。シンジとゲンドウの会話は、シリーズを通じても数える程しかない。互いの意見をぶつけあった唯一の会話が、この3号機を倒すかどうかについてのやり取りだ。この2人の意見の対立が「AMBIVALENCE」であり、彼等は「カルネアデスの舟板」について論争したのだ。

 ゲンドウはダミーシステムを使い、初号機で3号機を倒す。3号機を倒す事自体は間違いではなかったが、それは残酷な選択だった。初号機は3号機を倒した後に、その頭を潰して、身体を引きちぎる。街は血で染まり、最後にパイロットが乗った3号機のエントリープラグを握りつぶす。その初号機の行為が、選択の残酷さを示している。『エヴァ』のオープニングには、シリーズ中で登場する様々な人物やシチュエーションが、先行して描写されていた。オープニングにあった血塗られた初号機の手と足は、この話のイメージだったのだ。
 3号機の初号機への攻撃はその首を絞める事であり、初号機も首を絞める事で3号機を倒した。2体の戦いは首の締め合いだった。これは重要な事である。「第拾弐話 奇跡の価値は」の項でも書いたが、『エヴァ』に於いて「手」は重要なモチーフだ。愛し合う時も、傷つける時も、人間にとって他者や外部と接触する道具となるのが「手」なのだ。「第26話 まごころを、君に」で、2度、シンジがアスカの首を絞めている事と併せて考えたい。『エヴァ』に於いては、人が「手」を使って行う最も残酷な行為が絞殺なのだろう。人と人のコミュニケーションで、最も消極的なのが自分の内に籠もる事であり、過激なものが絞殺とも云えるのかもしれない。

 「第拾八話 命の選択を」では第拾参話に続き、演出・絵コンテが岡村天斎、作画監督が黄瀬和哉。アクションシーンの作画も充実している。EVAや使徒の登場場面では、特撮映画を思わせる画面作りが成功。今回もGAINAX社内チームのエピソードに引けを取らないフィルムとなっている。岡村天斎の演出家としての手並みには感心する。
 この話の前半で、マンションに泊まりに来た加持は、シンジに「他人を知る事」について語る。人は完全に他人を理解する事はできない。自分自身の事だって、理解できるかどうか怪しいものだ。100%理解し合うのは無理だからこそ、人間は他者や自分を分かろうと努力する。だから、人生は面白い。加持は、他人を理解できなくても人生は愉しめると云っている。いや、分からないからこそ、他人を知る愉しみが生まれるのだと云ってるのかもしれない。『エヴァ』の台詞としては非常に珍しい、人間関係についてポジティブな発言だ。勿論、加持自身が世の中を上手く渡っているからこそ、云える事ではあるのだが。他者との関係について悩み続けるシンジには、その加持の言葉は通じなかった。そして、そういった発言をした加持も、やがて物語から姿を消す事になる。


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■第52回 エヴァ雑記「第拾九話 男の戰い」に続く


(06.06.12)

 
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