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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第57回 エヴァ雑記「第弐拾四話 最後のシ者」

 以前にも書いたが『機動戦士ガンダム』も『新世紀エヴァンゲリオン』も、クラシカルな父権的ロボットアニメである「ふり」をして始まり、途中でテーマを切り替えている。放映終了後に気がついたのだが、ララァ・スンと渚カヲルは、そのポジションが似ている。いずれもシリーズ終盤に登場した主人公に対する理解者であり、救いを与えてくれる存在かと思わせる。だが、2人とも主人公の手によって命を落としてしまうのだ。違うのはアムロは、ララァを死なせた事の悲しさを抱えてシャアと戦い、シンジは、カヲルを殺した事で自分の内側に閉じ籠もってしまう。その違いに『エヴァ』の本質が見えるというのは、云い過ぎではないだろう。

 「歌はいいね。歌は人の心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」。これが渚カヲルの最初の台詞である。彼の言葉はまるで詩のようだ。カヲルはたった1話限りの登場ながら、レイやアスカに次ぐ人気キャラクターとなった少年だ。有名な話だが「渚」の文字を分解すると「シ」と「者」。つまり、サブタイトルにある「シ者」である。「渚」は、綾波レイの「波」と対にもなっている。彼はゼーレの死海文書に書かれた、最後の使徒なのだ。第12、第14、第15の使徒は人間の心に興味を持ち、心の中を探っていた。その情報収集の果てに生まれた使徒の完成形が、彼であるのかもしれない。
 カヲルはシンジに優しく接し、彼の話を親身になって聞く。シンジの弱さを「ガラスの様に繊細だ」と云い、「好意に価する」と囁き、最後に「僕は、君に会う為に生まれていたのかもしれない」と告げる。殺し文句だ。彼はその巧みなコミュニケーション能力で、シンジを完璧に籠絡した。第弐拾参話でミサトがシンジを慰めようと考えて手を握ろうとしたが、シンジに拒絶されている。それに対して、カヲルは自然にシンジの手を握っている。これも重要な事だろう。「第26話 まごころを、君に」でも、シンジは巨大なレイに対しては怯えていながら、リリスがカヲルの姿になると安心し、喜んでいる。シンジにとってカヲルは、救いを与えてくれると思える存在だったのだ。また、彼にとって女性とは、プレッシャーを感じる存在であったのだろう。
 人と人のコミュニケーションがテーマのひとつとなっている本作で、最もコミュニケーション能力に長けていたのが、人にあらざる者だったとは、何という皮肉な事だろうか。このエピソードの最後で、カヲルを殺してしまった事を嘆くシンジに対して、ミサトは彼に生き残る意志がないから、死んだのだと云う。それに対して、シンジは「冷たいね、ミサトさん」と応える。ここでのシンジとミサトの関係は、シンジとカヲルの関係と対比されるものである。カヲルの優しさに対して、ミサトは毅然とした態度で現実的な事を云った。だから、シンジは「冷たいね」と発言したわけだ。誰だって、時には甘やかしてほしいものだ。ミサトもここで優しい言葉を投げかけるべきだったのかもしれないが、ミサトにも彼女の感情があり、都合がある。人は、常に他人に合わせて行動するわけにはいかないのだ。『エヴァ』という作品にはそういった感覚がある。カヲルは人間でない為に、自身の中に蟠りがなく、他人に対して欲する事も少ない。そのために他者に対して屈託なく接する事ができるのかもしれない。やはり皮肉な話だ。だけど、僕はこの「冷たいね、ミサトさん」という台詞が好きだ。簡単なフレーズだけど『エヴァ』の中で一番好きな台詞かもしれない。世の中の厳しさ、人の寂しさが感じられる台詞だ。

 カヲルと云えば、終盤のダイアローグも秀逸だ。「A.T.フィールド!」「そう、君達リリンはそう呼んでいるね。何人にも犯されざる聖なる領域、心の光。リリンにも分かっているんだろう。A.T.フィ−ルドは、誰もが持っている心の壁だという事を」「そんなの分からないよ!! カヲル君!!」。あるいは「違う。これはリリス。そうか、そういう事か、リリン!」。そして「生と死は等価値なんだ。僕にとってね。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ」「何を……カヲル君? 君が何を云っているのか分からないよ!? カヲル君」「遺言だよ」。カヲルのナルシシスティックな言い回しと、断片的に語られる謎がマッチして、非常にいい味わいとなっている。彼の訳の分からない発言に対して、シンジが「分からない」と云っているのも、視聴者に対して親切だ。カヲルが云っている事が、謎である事が分かり易い。このシーンに限らず、『エヴァ』ではシリーズを通じて「これは謎ですよ」とはっきりとポイントを提示している場合が多い。設定が複雑なだけで、視聴者がその内容に興味を持てない作品との差がそこにある。

 「第弐拾四話 最後のシ者」では、演出・絵コンテ・レイアウト・作画監督を摩砂雪副監督が担当。摩砂雪さんと云えば、ダイナミックなアクション編を担当する事が多く、男らしい作品を得意としている印象があるだけに、カヲルが登場するこの話を手がけたのは意外だった。だが、彼の濃厚な画作りが、この話の完成度を上げているのは間違いない。シリーズ終盤で、制作現場は相当な戦力不足、スケジュール不足になっていたはずだが、ビジュアル面も充実。第弐拾壱話、第弐拾弐話、第弐拾参話と同様にビデオフォーマット版が作られているが、第弐拾四話に関しては作画リテイクは殆どない。レイアウト監修の役職で参加した貞本義行の力も大きいのだろう。この話で使われたBGMは、全てベートーヴェンの交響曲第9番である。シンジがSDATで聴いている曲も、カヲルの鼻歌も第九だ。その選曲が、このエピソードが特別な話である印象を強めており、また、フィルムに重さを与えている。
 第弐拾壱話で加持が死に、第弐拾弐話と第弐拾参話では登場人物達がダメージを受け、その心がバラバラになっていた。それだけに、第弐拾四話でのカヲルのシンジへのアプローチは、心に響いたのだろう。シンジの心にも、視聴者の心にも。救いを与えてくれると思われたカヲルを殺してしまった事で、シンジは自分の内に閉じ籠もり、物語は破滅に向かって突き進んでいく。それと同時に、フィルムも所謂ストーリーアニメの枠組みを破壊していく事になる。


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■第58回 エヴァ雑記「第弐拾伍話 終わる世界」に続く


(06.06.20)

 
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