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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第60回 エヴァ雑記「EVANGELION DEATH AND REBIRTH」

 「その頃、日本中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするように、『新世紀エヴァンゲリオン』の噂をしていました」と書くと、まるで有名探偵小説の出だしのようだが、1996年に於いて、僕の周囲はそんな感じだった。焼鳥屋で呑んでいれば隣でサラリーマンが人類補完計画を語り、学生時代の友人と久し振りに会えば死海文書について訊かれる。あるアニメ監督に仕事絡みで呼び出され、用件が済んだところで彼は「で、『エヴァンゲリオン』についてなんだけどね」と真顔で話し始めた。彼は仕事の用件は二の次で『エヴァ』について話したくて、僕と会おうとしたのかもしれない。世は正に『エヴァ』ブーム。一時期は、本屋に行く度に、新しい謎本が店頭に出ていたくらいだ。

 TVシリーズの放映が終了したのが1996年3月。翌4月には「第弐拾伍話 終わる世界」、「最終話 世界の中心でアイを叫んだけもの」を当初の脚本に沿ったかたちで作り直す事が発表され、次いで劇場版の製作が発表された。最初に劇場版製作が発表された段階では、それは第弐拾伍話と最終話のリメイクとは別の完全新作オリジナルであると説明されていたのだ。結局、完全新作の『エヴァ』劇場版は造られなかったわけだが、もし造られていたらどんなものになっていたのか、是非知りたいものだ。
 「シト新生」とも呼称されている最初の劇場版。それを僕は「EVANGELION DEATH AND REBIRTH」、あるいは気楽に「春エヴァ」と呼んでいる。TVシリーズ終了から「春エヴァ」公開までの1年間が、前述した『エヴァ』人気が最も加熱した時期だった。この時期、僕の『エヴァ』との関わり方は、より一層深くなっていった。それまでもアニメ雑誌の記事で構成を担当し、LD&ビデオのパッケージの編集をしていたのだが、「春エヴァ」と「夏エヴァ」ではそれに加えて、プレスシート、劇場売りのパンフレット、前売り券、新聞広告といった宣伝周りの各種印刷物のディレクションを担当させていただいた。僕の中で『エヴァ』とのシンクロ率がMAXまで高まっていた時期だ。当時、自分が書いた原稿を見ると、気負い過ぎているのがよく分かる。ディレクションと云っても、僕がやったのはデザインのアイディア出しとテキストであり、実際のデザインは後に色々なアニメ関連のパッケージデザインを手がける根津典彦さんの仕事だ。劇場版『エヴァ』には宣伝協力の役職で、僕の会社であるスタジオ雄がクレジットされている。それは誇らしい事だと思っている。「春エヴァ」の劇場売りパンフレットは、500円と1000円の2バージョンを造った。1000円バージョンは、渾身の仕事だった。根津さんのデザインも炸裂している。「春エヴァ」の公開初日、2日目では入場者数よりも売れたパンフレットの数の方が多かったのだそうだ。2冊買った人が多かったのだろう。

 「春エヴァ」のパンフレットの為に関係者に取材をしている時には、まだ春に第26話までが公開される予定だった。貞本義行のインタビューで「第26話 まごころを、君に」についての話題が出ているのはその為だ。第26話が間に合わないらしい事が分かった時、たまたま僕はGAINAXにいた。その時の緊張感はよく覚えている。劇場版は、TVシリーズの再編集版である「DEATH」と、リメイク版第25話、第26話で構成されるはずだったが予定は変更され、「DEATH」と第25話の途中までが「春エヴァ」となった。
 「DEATH」は構成を薩川昭夫が担当し、監督を摩砂雪が務めた。少年達が体育館で演奏するイメージシーンも、話数に沿って場面を繋いでいくのではなく映像と台詞をシャッフルしていくという構成も、薩川さんのアイディアだ。体育館の演奏シーン以外にも新作映像はある。TVシリーズのカットを作画し直したものと、後にリリースされる第弐拾壱話から第弐拾四話で新作パートとして追加する為に制作されていたものだ。構成も編集も見事。第弐話の明るく快活なミサトの映像に、第弐拾伍話での彼女の葛藤についてのモノローグを被せるといった意地悪さ、あるいは次々と繰り出される極太明朝のテロップのメリハリの強さも、実に『エヴァ』らしい。「DEATH」は物語やキャラクターを分かり易く紹介するものではない。設定や話は分からなくてもいい。『エヴァ』というフィルムが持っていた気分を伝えたい。そんな作品だった。「第拾四話 ゼーレ、魂の座」パワーアップ版の印象もある。「DEATH」は後に編集に手が入れられて「DEATH(TRUE)」となり、更に手が入れられて「DEATH(TRUE)^2」(^2は階乗記号)となった。摩砂雪監督が最初にイメージしていたのが「DEATH(TRUE)」であり、「DEATH(TRUE)^2」なのだ。少しずつ人格(と声)の違ったアスカが次々と登場する場面は、最初の「DEATH」にしかない。劇場であの場面を観た時には、本当に悪夢の様だと思った。それは「DEATH」というフィルムの印象を決定づけるものだった。自宅のモニターで同じ場面を観ても、あの感覚は感じられない。観客が緊張を強いられる劇場ならではものなのだ。作り手にとっては冗長なシーンなのだろうが、あの場面が存在するのが僕にとっての「DEATH」だ。

 第25話の途中までの内容である「REBIRTH」は、量産型のEVAシリーズが飛来したところで終わる。復活したアスカ。戦略自衛隊を蹴散らす弐号機。そして、そこにEVAシリーズが飛来したところで、エンディング曲の「魂のルフラン」が始まる。ええっ! ここで終わっちゃうの!? 僕なんか第25話のコンテをすでに読んでいて、どのカットで終わるのかまで知っていて、それでも「ここで終わるのか!?」と思った。「EVAシリーズ? 完成していたの!?」というアスカの台詞に「完成しとらんやんけ!」と心の中で突っ込んだ。「次はいったいどうなるの?」という期待感も『エヴァ』の魅力であった。TVシリーズ最終回でもお預けを喰ったが、「REBIRTH」のラストもそれに匹敵する位に期待を煽るものだった。
 『エヴァ』というフィルムが持つ気分を充分に表現した「DEATH」、期待を煽りまくった「REBIRTH」。「EVANGELION DEATH AND REBIRTH」は実に『エヴァ』らしい作品だった。「魂のルフラン」が始まった瞬間に、『エヴァ』というタイトルの魅力が最も高まったのかもしれない。


[主な関連記事]
【DATA BASE】『新世紀 エヴァンゲリオン』(TVシリーズ)(06.05.11)
【DATA BASE】『新世紀エヴァンゲリオン劇場版[シト新生]』(06.05.12)
【DATA BASE】『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 THE END OF EVANGELION』(06.05.15)


[DVD情報]
「THE FEATURE FILM NEON GENESIS EVANGELION」(『DEATH(TRUE)^2』と「第25話 Air」「第26話 まごころを、君に」を収録)
発売元:キングレコード
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■第61回 エヴァ雑記「第25話 Air」に続く


(06.06.23)

 
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