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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第64回 エヴァ雑記「纏め」2

 これで「エヴァ雑記」は本当にお終いだ。前回書いたのは、当時の感想である。今、改めてDVDで「まごころを、君に」を観ても、流石に自分が人類補完計画に取り込まれたとは思わない。むしろ、試写を観てそう思った自分は、そんな事を考えるくらい『エヴァ』に入れ込んでいたのだ。あの時は、作っている人達も、その周辺にいる僕らも、ちょっとばかり常軌を逸していた。
 僕も『エヴァ』を観て、『エヴァ』で仕事をする事で自分を補完しようとしていた。前にも書いたように、ありとあらゆる娯楽が心の欠落を埋めるものであるのかもしれない。だが、その中でも特に『エヴァ』は補完に向いた作品だった。『エヴァ』という作品を語る場合に「補完」という言葉は避けて通れないものであると思う。

 「第26話 まごころを、君に」のラストで、シンジは補完された世界を望まず、現実に帰ってきた。ヒトは補完が必要な、欠落した存在であるかもしれないが、作り手も強制的な補完を肯定しているわけではない。やはり、傷つきながらでも他人のいる世界で生きていくべきなのだ。「最終話 世界の中心でアイを叫んだけもの」でリツコが云っているように、雨の日にもいい事はあるはずだ。
 リニューアルDVD-BOXのリリースに合わせて、2003年にNewtypeで『エヴァ』関連の企画連載があり、その中に庵野監督のコラムがあった。その最終回が感慨深いものだった。『エヴァ』の本編の制作作業が終わって、5年が過ぎた。自分を取り巻く環境は変わった。実写も撮れるようになったし、結婚もした。結婚を機に自動車を手に入れて運転をするようになった。運転に慣れてきた頃、自動車による道路走行とはコミュニケーションの場である事を知った。それは新しい発見であり、少し世間との関わり方が変わった。変化するという事は生きる事の証のひとつだ。『エヴァ』という作品も色々なメディアで、様々なかたちに変化している。自分自身も変化していきたいと思っている。要約するとそういった内容だった。
 「自動車による道路走行とはコミュニケーションの場である」というのが、いかにも『エヴァ』らしい言い回しだ。庵野さん=シンジではないが、彼の個性が投影されているのは間違いない。その庵野さんが変化し、世間との関わりを楽しんでいる。失礼な言い方になるかもしれないが、「まごころを、君に」のラストで現実に戻ったシンジが、数年経って、伸び伸びと暮らしている様を思い描いた。そのコラムを読んだ時に、本当に『エヴァ』が終わったと思った。

 ただ、劇場版公開から10年経って思う事がある。
 補完を必要とした人達が『エヴァ』を作り、同じように補完を必要とした僕達がそれに熱中した。あの日々は愉しかった。欠落があるから、それを埋める作業が愉しかったのだろう。『エヴァ』というフィルムの持つ緊張感、迫力、あるいはフェティシズムのようなものも、作り手の欠落から生まれていたのだろう。だとすれば、補完が必要となるような欠落を好ましいものだと考える事もできる。


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[DVD情報]
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■第65回に続く


(06.07.26)

 
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