β運動の岸辺で[片渕須直]

第4回 ふたつの名前

 最初2回にわたって東映長編の話を書いたのだけれど、幼い日に見たそれらの映画がその後の自分の中で大きな位置を占め続けていた……かといえば、まったくそんなことはなくって、はっきりいってしまえば、きれいさっぱり忘れ去ってしまった。申し訳なくも、幼稚園児には『鉄腕アトム』や『鉄人28号』のほうが重要であってしまった。
 小学生の中ごろには、『巨人の星』っておもしれえなあ、と草野球ばっかりして、あとは適当にプラモデルを作ったりする子どもになっていた。アニメーション一般への特別な思い入れなどまったく存在しない。
 中学に入る頃にはプラモデルに入れあげる率が高くなっており、模型雑誌なんかを買い込むようになって、そんな中で「大塚康生」という名前に出くわした。「ホビージャパン」や「タミヤニュース」に記事を書いていた「MAX模型の大塚康生」さんだ。大塚さんの記事や、模型の箱の中に入っている解説書を読むと、カナダで生産された規格型軍用トラックのメーカーによる細部の違いだとか、ダッジの3/4トン車のバリエーションだとか、北アフリカでロンメル将軍が鹵獲して使っていたイギリス製の装甲指揮車だとか、そんな世界に引き込まれてしまう。おもしろいのか? と、問われると、わからない。ともかくも、戦闘機でも航空母艦でも戦車でもない、軍用トラックなどという奇妙なものの細部に異常に詳しいマニアックさが、ある種の謎めいた巨人として認識されていた。
 ずーっと後日、『MEMORIES』を作りつつ、かたわらで『七つの海のティコ』用の設定として変なシボレーやフィアットのトラックの絵ばかり描くようなことになっていて、「俺ってこんなトラックなんかが好きなのかなあ」とボヤいたら、大友克洋さんに「見るからに好きなんじゃない」といわれてしまった。そんなふうになってゆく。

 そんな中学生の頃には、TVでマンガなんかはあまり見なくなっていた。ただ、『巨人の星』がおもしろかったので、その余波ということで『侍ジャイアンツ』くらいは見てやろうか、というくらいのものだった。けれど、はじめて見た『侍ジャイアンツ』にはひっくり返った。なんと破天荒に人間が動くのだろう。それが、アニメーションが作る「人間の動き」というものに気持ちを注ぐようになった最初の一発目だった。TVで放映されてるマンガは誰が作っているのだろう、なんて興味もそれまでまったく持っていなかったのだが、今回ばかりはクレジットタイトルから「作画監督・大塚康生」という名前を覚えた。
 まったくうかつな中学生だったのだが、模型雑誌に寄稿する「大塚康生」と、TVマンガの「大塚康生」が同じ名前だとすら気づいてなかった。受け止める側としてあまりに次元が違いすぎたのかもしれない。

 中学の担任が小型映画が趣味で16ミリのボレックスなんかを持っていて、映画作りにもつきあわされた。自分の家が映画館でなくなってからは映画なんか見なくなっていたので、この頃からは、映画って映画館で見るものではなくカメラ回して作るもの、というアタマになっていった。高校に入ると、生徒会行事の記録映画を作る視聴覚委員会などという集まりに首を突っ込んで、ほとんど3年間を8ミリカメラを振り回すことに費やした。この視聴覚委員会の2年先輩で、珍しくもアニメーションが大好きな人がいて、卒業後にときどき部室に遊びにくる時に「ファントーシュ」などという雑誌を携えてきたりした。へえー、アニメーションなんかの専門誌ってあるんだ、珍しいなあ……と、ページをめくっていて「大塚康生」という名前を紹介するページに行き当たった。この「大塚康生」というアニメーターの人は、副業でプラモデル・メーカーもやっているらしい。
 ユリーカ!
 「あの」大塚康生は「この」大塚康生と同じ人だったのか!
 思えば、MAX模型から発売されていたジープのプラモデルにはマンガじみたキャラクターが乗っていた。あれはそういうことだったのか。快刀乱麻。
 何か、分裂していたふたつの顔が劇的に統合された気分。

 高校3年生になった4月、その大塚という人が中核的スタッフとなって制作されるTVマンガがNHKで始まる、という話を知った。どうやって知ったのかは記憶が定かでない。とにもかくにも、それが『未来少年コナン』だったのだが。小黒さんが「アニメ様365日」で書いておられた新聞の放送欄の新番組紹介をながめていたことも覚えている。その日の朝の新聞紙面では、ロボノイドとコナンが競走していた。
 ということで、1978年4月のその夜はTVの前で、番組が始まるのを待ち受けていた。軍用車両のプラモデルの人と『侍ジャイアンツ』の人が同じ人だと自分の中で結びついた、というそれだけのことに縁を感じて。
 番組の第1話が始まり、終わる。
 ひざを抱えて座っている自分がいる。
 今見たものは……何か見覚えがなかったか? 頭の中をひっくりかえして探してみる。どこがどうなって、どういう経路をたどったのか、突然それが幼い日に見た東映の長編動画の気分と共通していたことに気がついた。「漫画映画」などという、その後の日々でキイワードになってゆく言葉すらその夜、頭の中に点灯していた。
 またしても劇的な統合が行われ、以前の自分と今現在の自分とが直結されてしまっていたのだった。そんなことで、あいまいだった自分のアイデンティティに一筋何かが通ったのだとしたら、まことにもって、絵に描いたような、というしかない。

第5回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(09.09.28)