β運動の岸辺で[片渕須直]

第8回 ポリィのたからもの

 2009年10月22日、「第7回文化庁全国フィルムコミッション・コンベンション『アニメーション meets ロケーション 〜ヒットアニメに学ぶロケハン術〜』」という催しで、まだ封切り前の『マイマイ新子と千年の魔法』をタネに話す機会を与えてもらった。
 そういう場では「アニメーションでなぜロケハンなんですか?」と、たずねられるのが普通のことだとして、うちらへの質問はちょっと違っていた。
 「なんで、そんなにまで膨大に資料を集め、調べなくちゃならないの?」
 われわれのやったことを端的に見せるにはそれが一番だろうと、自前のパソコンを持ち込んでその中身を開いて見せ、取材ノートを公開してみたのだったが、そうした画像がプロジェクターで映し出されると、ちょっとしたどよめきが起こってしまったのだった。
 でも、あそこで開いて見せたのは、西暦1955年の山口県防府市と西暦974年の周防国府を生み出すため、実際やったことのほんの一部に過ぎなかったのだったが。例えば、貴伊子が三田尻駅へ乗ってきた列車の東京発車時刻だって知ってるし、彼女が寝台車でなく特二等のリクライニングシートで一晩過ごしてきただろうことも答えられる。貴伊子が引っ越してきた家の台所のガス冷蔵庫の中で種火がチロチロ燃えているところを描くために、当時の取説図を手に入れたりもした。でも、それもまだわずかな一部に過ぎない。
 なんでそんなに? という質問への答えはふたつあるかもしれない。
 ひとつは、「ひとつの世界を作ろうとするのだから、それくらいは」。
 もうひとつは、「とにかく眺めのよいところにいるのが好きなので」。
 限られた視野からしか垣間見えないもどかしさ。広い範囲を鳥瞰できてその一部を切り取ることができる自由。
 催しが終わったあとになってもうひとつたずねられた。
 「そういうことって、いつから始まったんですか?」
 いつから? いつからだったのだろう。

 それこそ1981年、『名探偵ホームズ』のときにすでにそうだったかもしれない。宮崎さんが「Iford」という地名をコンテに書いておられたのに向かって、「いや、それEyfordです」とかいっている自分がいたような気がする。『名探偵ホームズ』のお話を考えろといわれて、結果的にコナン・ドイルの全ホームズを読み、パスティシュ本も手に入る限り読み、シャーロキアンの書いた本なんかも、あの頃読んでいたのだった。
 ともあれ、そうした本の山は徐々にできていったのであって、試験である最初の1本は『六つのナポレオン』を元ネタに絞って進めていた。ナポレオン像はクマのぬいぐるみに替えて。
 出発点となるモチーフはそんなふうに定めるとして、その先はどう展開させていったらよいのだろう?
 脚本専攻ではないとはいえ、曲がりなりにも映画学科の学生である以上、シナリオの基礎の基礎くらいは教育を受けてはいた。のではあるが、オツムへの血の巡りが悪いというか、教わった内容がよくわかっていなかった。シナリオの教科書は、コンストラクションを作るには、まず「大箱」を並べてカタチを作り、その大箱の中に「中箱」「小箱」と作ってゆくのだと語る。これを箱書きというのだが、要するに、まず漠然とストーリーの全体像を想定し少しずつストーリーを細かくしてゆく、という方法なのだけれど、方法論自体に何か飛躍があるような気がしてよくのみ込めない。なんではじめから結末までの全体像が作れてしまうのだろう?
 そういうとき思い出したのが、なぜか『宇宙戦艦ヤマト』だった。松本零士さんがストーリーを構成したときのノートを出版物か何かどこかで見たことがあった。松本さんは、ストーリーのどあたまで必要なことを箇条書きで書き出し、さらに続けてその後に起こる出来事を箇条書きで書き連ねておられた。冒頭からひとつずつものごとを決め、足場を定めたら次へ進んでゆく。この方法には、ストーリーの全体がふわふわ不定形に定まらないまま進めなくてはならない不安感がなかった。
 ならば、自分のホームズのお話にも冒頭部をまず作ってやることだろう。コクヨの大学ノートを1冊買ってきた。

 アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズもののほかに、「失われた世界」などというSFも書いていた。「ジュラシック・パーク」の原典といおうか、あれと同じようなことを20世紀初頭を舞台に行うお話なのだが、ギアナ高地に今も棲息する恐竜を探しにいった探検隊は最後に1匹のプテラノドンを捕獲してロンドンに連れ帰ってくる。それが逃げ出して、ロンドン上空を飛びまわり、そののち南米の空を目指して帰ってゆく。そういうラストだった。
 『名探偵ホームズ』の話を考えろといわれて、シャーロック・ホームズだけから取材するのも芸がない。同じ著者が書いたものなのだし、このロンドン上空を飛びまわるプテラノドンも引用してしまえ、という気になった。プテラノドン型の飛行機を造り出し、ロンドン上空を陽動飛行して人の目をひきつけているあいだに、モリアティ教授が黒真珠を盗み出す。ついこのあいだ絵コンテ丸暗記をさせられた装甲ロボット兵が新宿の街を飛び回る『新ルパン三世』最終回と同じになるのはやっぱり芸が足らないような気がしたが、とりあえずこれでトップシーンはできた。
 宝石をぬいぐるみを抱いた女の子とはどう関連づければよいか。手っ取り早いのは、女の子をスリ師にしてしまうことだ。シャーロック・ホームズの頃のロンドンに浮浪児がウジャウジャいたのは、「四つの署名」にも書いてあったことだったし。女の子がモリアティから宝石を掏ってしまい、それをぬいぐるみに隠す。
 スリ師の女の子とホームズの出会いは? 女の子がホームズの財布を掏り取る。いや、間抜けなのはワトソンのほうだ。ワトソンの財布を掏り取る。ホームズがすぐに掏り返す。「その指使いはどこで習ったの?」
 「とうさんに。もう死んじゃったんだけど」
 ホームズは彼女が人の財布を掏ることを糾弾しないで、ただその技術を評価する。ホームズと女の子(そろそろポリィという名前も決めた)のあいだの微妙な距離感はおもしろい。だが、やれやれ、女の子の父親は、台詞のなりゆきで死なされてしまったぞ。
 モリアティに気づかれ、翼手竜型飛行機で追跡される。ホームズはプロトベンツでロンドン地下鉄のトンネル内に逃げ込み、追手をまく。TVなのだから前半のおしまいには盛り上がりが必要だくらいのアタマはあった。

 そうして結末までたどり着いたストーリーを携えて、総武線緩行電車で高円寺に向かった。黄色い電車の中で考えた。題名がいる。原稿用紙に「ポリィのたからもの」と書き込んだ。その日は制作に提出して終わり。
 数日後、また呼び出しがあって、宮崎さんの前に引き出された。
 「『ポリィのたからもの』? うーん。『炎のたからもの』?」
 「あ。バレましたか」
 手っ取り早く『カリオストロの城』の主題歌題名をひねって使っていたのだった。
 「これ、『青いルビー』ということにしよう。原作にあるんだ、青いルビー。ちょっとでも原作から持ってきたいからね」
 あ。採用ですか。

第9回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(09.10.26)