第27回 死語である“フルアニメーション”
大学の映画学科で講師をしていると、卒業審査の発表の場などで、
「海外のアニメーションがフルアニメーションなのに対し、日本のアニメーションはリミテッド・アニメーションだから」
と、語る学生にいまだに出くわす。
そういうことを述べるのならば、まず「リミテッド・アニメーション」の具体的な作品に接しておくべきだろう。2コマ作画のものを3コマ作画に置き換えたのがリミテッド・アニメーションというわけではない。本物のリミテッド・アニメーションはもっと、ビタッ、ビタッと止まる。
手塚さんが『鉄腕アトム』草創の頃のことで「手数を減らすためにリミテッド・アニメーションを使った」と述べていたのは、あれは、1半秒を要す歩きのその1歩に1枚しか絵を使わないような、文字どおり動かすのをやめた表現を採ったことを指していたはずだ。
一方で「フルアニメーション」という言葉については、何年か前に大塚康生さんにこうささやきかけられたことがある。
「いまだにフルアニメがどうのリミテッドがどうのという評論があるけどどうかねえ。『フルアニメーション』なんてもはや死語の部類だよねえ」
大塚さんがそうこちらに話しかけてきたのは、当然こちらにはそうした話を理解するだけの素地がある、と前提あってのことだった。
なんとなれば、『NEMO』の準備期間中に、一般にいわれるいわゆるところの「フルアニメーション」のメッカであるディズニーの作画技法に、われわれスタッフは盛んに接していたのだったから。
1983年、『NEMO』の準備中、ハリウッド近辺で仕事していたときの目的のひとつがそれだった。
共同監督のアンディ・ギャスキル氏はディズニーの出身者だったが、彼は同僚だったランディ・カートライト氏をスタッフルームに呼んで、リップシンクの方法の話をさせようと提案した。結局、それだけではなく、ランディ氏にはディズニーの作画技法全般についてレクチャーしてもらう話になった。
3コマ作画と2コマ作画の違いは、人間の眼にコマ撮りのものを動きとして認識させている仮現運動・β運動の最適時相に2コマの方がより近い、ということにあり、動き幅の大きいところではたしかに動きは滑らかに感じられる。それはあくまで運動知覚上の問題なのであって、それ以外のものではない。3コマ作画でもカット内の秒数を全部動かしたらフルアニメーションなのか、などと議論しても言葉遊びにしかならない。ディズニー作品でだって、動作していないキャラクターは止まっている。要するに、フルアニメーションとはなんぞや、という議論そのものが不毛なのである。
ディズニーなどの、主にアメリカ系のアニメーションが独特の動きをするのは、そうしたこととはまた別。作画技法上の問題、表現方法の問題なのである。ランディ氏たちは、その技法を総称して「キャラクター・アニメーション」と呼んだ。それは決して自然主義的にリアルな動きを追求する手法ではない、むしろ、表現主義的に誇張し、いかにも動いている感じをより強調して見せる方法なのだった。
ランディ氏の話には、いろいろな項目が立てられていた。
- ・リップシンク
- ・アンティシペーション
- ・ストレッチ・アンド・スクワッシュ
- ・ムービング・ホールド
- ・シルエットの抜け
- ・トゥイニング
リップシンクの話は、以前『リトルズ』制作中に、こんなことなのではないか、と思ったことほぼそのままだった。要するに、プレスコされた音声の言葉の一音一音に付き合って細かく口を開け閉めするのでなく、大きな語調の流れの波をとらえて口の開閉を作ること。
アンティシペーションとは、音楽用語としても使われるようだが、この場合は「予備動作」。大きく動かす前に予備動作をつけて溜めておく。それからピョーンと勢いよく動かすと、縮めていたバネが解放されたときみたいに、勢いのよさがより強調される。
ストレッチ・アンド・スクワッシュのうち、スクワッシュは日本の作画用語で言うところの「つぶし」にあたる。アンティシペーションとして押しつぶしておいて、次の本動作でストレッチさせる。つまり、誇張させて伸びたポーズにする。ストレッチは速いタイミングで行う。
動きはそのまま収束させない。終わりのポーズの先にもう一枚原画を設け、先へ溜めて動き収める。いきなりピタッと止めず、動き収まりを作るこのことを、ムービング・ホールドという。
この辺の一連の仕組みは、ほんとうにバネに似ている。押しつぶしておいて、ビヨーンと伸ばし、伸びきったものはいきなり止まらず少し名残があって止まる。要するに、キャラクター・アニメーションとは、このように実際以上に誇張して、いかにも「動かしてますよ」と感じさせる強調表現なのだった。
その際、ポーズのシルエットの抜けがいい方が、観客の目から短時間で認識しやすい。あるいは、ふたつの動作を同時にやる(トゥイニング)と観客の認識が分散する、などという注釈がついている。
ちょっと驚いたのは、こうしたキャラクター・アニメーションに関する様々は、以前、大塚さんからもらっていた資料に書かれていたそっくりそのままだったことだ。大塚さんがくれたのは、大塚さんが東映時代に職場で配布するために、ディズニーの資料を自分で翻訳し、ガリ版刷りで作ったというプリントのコピーだった。
ランディ氏の話でも、大塚さんのガリ版プリントでも、例に使われていたのは『ピノキオ』のキャラクターだった。そうした細部に至るまで同じ話だった。
ウォルト・ディズニー・スタジオでは、1930年代に完成した技法を至上原理としていたのだった。キャラクター・アニメーションとは、無声映画時代に「動きの見世物」として作り上げてきた技法の集大成というべきものだったのである。
だからといって、こうした知識のすべてを古臭い、縁がない、といってしまうのはもったいない。『マイマイ新子と千年の魔法』などでは、ムービング・ホールドに似たことを盛んにやっている。動き終わりをいきなり止めず、終わりに向かって減速するツメを作って収める方が、動作が自然に見える。自分がそういうことをするようになったのも、このときランディ氏の話を聞いたことが元になっている。
第28回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp
(10.04.05)