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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第56回 『ミンキーモモ』地球滅亡の危機

 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の中盤以降は、脚本の乗りが伝染したように、演出や絵コンテ、作画も乗り出した。
 伸び盛りの若い人たちが、演出や絵コンテや作画で、脚本でここまで許されるなら、絵の方もやれるだけの事はできるだけやってしまおう、という感じである。
 だから、同じミンキーモモでも毎回毎回、それぞれの作画にあわせた、様々な顔のキャラクターがでてきた。
 どれが、もともとのミンキーモモの顔だったか、分からないような状態さえ起こっていた。
 だが、僕は髪形と、全体のシルエットと声が変わらない限り、それはミンキーモモなのだと、割り切ることにした。
 ファンの間でも、誰々の作画の時のミンキーモモが好き……と、色々意見が分かれたようである。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が、きっかけで、頭角を現し出したアニメ関係の人は、かなりいるが、スタジオライブが全面的に参加し、わたなべひろし氏初作監だった、26話の「妖魔が森の花嫁」という作品は、脚本はさほどではないが、作画や演出がはねまわっていて、いかにもアニメチックな作品だった。
 この作品と36話「大いなる遺産」で、作監だった、わたなべひろし氏が、ファンの間ではクローズアップされたようである。
 空モモの番組終了後、僕の書いたノベライズや絵本のようなものの挿し絵は、だいたい、わたなべひろし氏である。
 ほかにも空モモで注目されたスタッフは多いが、ここでは、石田昌平氏という演出や絵コンテを手がけた人の名を、上げておこうと思う。
 この人は12話の「怪盗ルピン大反撃」のころから、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の演出を手がけたのを始め、24話「さすらいのユニコーン」、28話「激走タマゴレース」、36話「大いなる遺産」、42話「間違いだらけの大作戦」など、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』で話題になった作品を、多く手がけて、将来が期待された演出・絵コンテの人だが、残念な事に、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の海モモ編には参加していない。海モモ編の前に、若くして、路上に倒れ、亡くなったのだ。
 原因はよく知らない。
 僕が知らされたのは、葬式も埋葬も終わった後だった。
 彼とわたなべひろし氏とが一緒に企画した「ミリオンをさがせ」という作品の脚本を僕が書く予定だったが、それも夢に終わった。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の海モモ編では総監督の湯山邦彦氏と相談して、「ミリオンをさがせ」のストーリーを交えたエピソードを作った。
 演出、作監、絵コンテは、わたなべひろし氏が担当した。
 「走れ夢列車」と言うエピソードがそれで、ストーン(石)と言う名のアニメーターを主人公にした石田氏への追悼を込めた作品だった。
 番組に私情を込めた作品を紛れ込ませると、他のスタッフに迷惑をかけるので、その事実を知っているのは、湯山氏とわたなべ氏と僕だけにして、アフレコの1週間ほど前に、海モモの声をやっている林原めぐみさんには知らせた。
 石田氏のご遺族への連絡先が分からなかったので、完成品のビデオを、湯山氏と一緒に、お墓のある伊豆の下田にあるお寺に届けに行った。
 数ヶ月後に、ご遺族からお礼が届いた。
 果物の桃が、一緒に添えられていた。
 今でも、惜しい人を失ったものだと思う。

 さて、空モモの脚本は、順調に仕上がっていた。
 何の設定もなかった、ミンキーモモの地球上のママも、脚本家同士が相談したわけでもなく、あんな元気なママなら、こういう設定もありではないか……という感じで、いつの間にか、有名だがお人よしのギャングの娘で、その事実をパパは知らないで結婚しているという、とんでもない設定が、自発的に生まれてきた。
 ともかく、地球上のママは、脚本家から愛されたキャラクターで、様々なママのエピソードが脚本家から出てきて、整理するのや没にするのに苦労した。
 そのまま脚本を書いてもらったら、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』ではなく、『魔法のプリンセス ミンキーモモの、ママ』という題名になってしまいそうだった。
 土井さんは、モモの事を、「何かと便利なモモ」と言ってみたり、料理をしながら鼻歌で、1回目のテストの時は「愛の賛歌」を歌い、2回目は「おいらー岬の、灯台守はー」になり、本番は「もしもし、ベンチでささやく、お二人さん……」と、だんだん歌が古くなるという不思議な性格のアドリブを、さりげなくやってしまう、僕から見ると、面白い声優さんだった。
 どこか、天然ぼけなのである。
 他のキャストも、負けずにぼけようとするから、レギュラーでない声優さんからは、ついていけない異様なアフレコだったに違いない。
 つまり、脚本もスタッフもキャストも、乗り乗りだったのである。
 音響監督の藤山氏を中心にレギュラーキャストが積み立てていたお金を利用した、番組制作途中に行う「中入り」という名の旅行にも、脚本家やスタッフや、取材という名目で来たアニメ雑誌の編集者まで参加させてもらって、楽しかった。
 ちなみに、番組制作当初の宴会を「打ち入り」、番組制作後の宴会を「打ち上げ」という。
 この乗りだと少なくとも、最初の予定の1年間は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が続くのを誰も疑わなかっただろう。
 視聴率も徐々に上がっていて、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』には何の問題もないように見えた。 
 だが、絶好調な脚本ができ上がっていく間にも、変な噂がちらちらと聞こえてきた。
 『ミンキーモモ』の玩具の売り上げが、頭打ちになってきたというのである。
 スポンサーにとって、アニメ番組は商品のCMである。
 番組がはじまって、ある程度経つと、商品の売り上げ見通しがついてくる。
 それ以上、関連商品が売れないとなると、番組は必要なくなる。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本は、でき上がるまで時間がかかった。
 1ヶ月は充分かけていた。
 僕は、脚本執筆にかかっている42話「間違いだらけの大作戦」で、一応、脚本にストップをかけた。
 突然打ち切られるのは、『宇宙戦士 バルディオス』で懲りていたからである。
 42話で、一応スポンサーの出方をうかがってから、もし打ち切りが決定すれば、そこから2、3話で、つまり44話か45話で、終わりにする心構えを準備しておきたかったのだ。
 そして、その日がやってきた。
 スポンサーから、年内で打ち切りという通告があったという。
 年内というと、書きかけの42話「間違いだらけの大作戦」で終わりである。
 42話は、ちょっとした勘違いで、どこかの国の敵側勢力が攻撃を仕掛けてくると思い込んだ司令官が、敵側に向け、爆撃機を発進させるという話である。
 勘違いに気がつき、爆撃機を呼び戻そうとするが、1機だけが勘違いを続けて、敵攻撃を続行してしまう。
 さあこの爆撃機を止めるにはどうする……という話である。
 「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」という、長い題名のスタンリー・キューブリック(カブリック?)監督――代表作「2001年宇宙の旅」――のブラック・コメディの傑作をパロディにしたものだったが、この映画を観ていないスタッフは、わざわざ池袋の名画座に行って、たまたま上映していたこの映画を観て参考にしたという。この映画の公開当時は、まったく客が入らなくて、観た人がほとんどいなかった。後になって傑作と評価された作品である。
 「博士の異常な愛情……」では、ラストで爆撃機の水爆が落下され、核戦争が始まるという、アン・ハッピーエンドだったが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本では、水爆が落とされるものの、不発で、戦争は起こらなかったというハッピーエンドになっていた。
 しかし、この話で『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が打ち切りならば、いっそのこと水爆を爆発させて、地球が滅び、夢の国フェナリナーサが降りて来るどころの騒ぎではなくなる、というラストも考えた。
 「間違いだらけの大作戦」の脚本は、ほとんど完成しており、ラストを少し変えれば、誰もが呆気にとられる、考えようによっては、超無責任なラストシーンで、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、終わりになる。
 たまたま、1回前の41話は、12月23日放映予定の「お願いサンタクロース」で、この脚本は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の企画が始まった当時から考えていた、サンタクロースは実在するという話で、ほんわかとしたハッピーなエピソードだった。
 たった1回で、ハッピーな話がアンハッピーなエピソードに転換する。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のラストは、地球滅亡で終わるのである。
 そんなラストも、あってもいいなと本気で考えた。
 いかにも中途半端な、打ち切りがみえみえの終わり方より、終わらすならば、きっぱり終わらしてやろうと思ったのである。
 しかし、読売広告社のプロデューサー大野実氏らの尽力で、年内打ち切りを、四回分延ばしてもらえることになった。
 こうして、一度は地球滅亡で終わる筈だった『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、42話でなく46話のラストをむかえる事ができるようになったのである。
 「お願いサンタクロース」は、次の回に悲劇的な終わり方をせずに、クリスマスらしくハッピーに、放映される事になった。
 もともと、サンタクロースが実在するようなエピソードが欲しいと言いだしたのは大野氏である。
 大野氏は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品にも、エンドマークを4話分、プレゼントしてくれたサンタクロースのような役目をしてくれたのだ。
 「お願いサンタクロース」は、企画の時から考えていたエピソードで、脚本完成まで半年以上かかっている。
 エピソードに出てくる「サンタへの手紙」は実在する組織が運営している。
 サンタに手紙を出すと、返事が来るようになっている。
 僕も試してみたが、ちゃんと返事が来た。
 それと、泥棒がサンタクロースに間違えられる話も、昔、サザエさんで書こうとして没になった、ワカメにサンタと間違えられる泥棒のエピソードを使いたかった。
 しかし、泥棒がいきなりサンタの真似をするのは無理があるような気がして、泥棒として登場する怪盗ルピンを、12話「怪盗ルピン大反撃」で、前もって子持ちの設定にしておいた。
 子供を持っている泥棒なら、子供の気持ちがよく分かり、無理なくサンタの真似ができると思ったからだ。
 劇中に流れる歌は、ミンキーモモ用に作られたものではない。
 出所は、僕も知らないが、版権のない曲を、音響監督の藤山氏がどこからか探し出してきたものだと思われる。
 「お願いサンタクロース」は八方破れな脚本の多いミンキーモモの中では、よくできた、ようするにウェルメイドを目指した作品である。
 演出は「UFOがやってきた」の大庭寿太郎氏、絵コンテは日下部光雄氏、作監は田中保氏だった。
 付録に掲載していただくので、お暇な方は読んでみてほしい。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 さらに、パソコン・ワープロの困った点は、直しが簡単だということだ。
 人間は、何事も楽な方に流れていく傾向があるから、本読みで、プロデューサーなどから意見が出ると、簡単に直してしまう。
 脚本の直しは当たり前と思ってしまったり、直しを前提に脚本を書く人さえ出てくるようになる。
 みんなの意見を聞きながら、脚本を書きましょうというわけだ。
 それに慣れると、自分のテーマや書きたかったことが、どうでもよくなってくる。
 人のいいなりに直すのに慣れる事は、自分の個性を削る事にもなる。
 初心者に取って慣れほど、怖いものはない。
 以上、余程、高性能なワープロ、パソコンができてこない限りは、最初は面倒でも手書きを勧める。
 パソコンのキーボードをブラインドタッチで打ち、手書きより早いという人も多いと思うが、一度は、自分の手書きで書いたものと比べてみるといい。
 違いがなければ、あなたは、ワープロソフトの変換に慣れすぎ、生きている台詞を書ける人ではないかもしれない。
 もっと、色々な人の台詞を注意深く聞き、様々な人々の台詞から、その人たちの個性をつかみ出す練習をすべきだと思う。
 ところで、実際の話をいえば、僕もシリーズ構成などをしている時は、フロッピーやメールやテキストで原稿を貰った方が、ありがたい。
 直すのが簡単だからだ。
 自分の書いたもので直したくないものは、相手に、勝手に直せと、フロッピーやメールやテキストで原稿を渡した事もある。
 僕自身も、今はもう、ほとんどの原稿をワープロ・パソコンに頼っている。
 この原稿も、アニメスタイルにメールで送っている。
 だが、その反動は、必ず自分に戻ってくる。
 嫌になるぐらい、文章や台詞に個性がなくなってきているのだ。
 反省して、これが癖にならないようにしたいと思う。
 人様のブログや、ホームページの文章を読んでも、視覚的には色々工夫した文章もあるが、その文体が、インターネット用という特殊だが、ある種固定化された、個性のないものになっているように思える。
 丁寧な時は、やけに馬鹿丁寧だが、ちょっとつっぱって攻撃的だと、やたら相手を刺激する文体だ。
 口に出しては、決して言わないだろう機械的な文章に読める。
 妙にくだけた文章は、それはそれで機械的である。
 くどいようだが、いい台詞や、気の利いた台詞は、ワープロ・パソコンからは生まれない。
 生きている人間の中にある。
 それは、今のところ、手書きで表現するのが、一番似合っている。
 ワープロ・パソコンが筆記用具として当たり前の時代に、時代に逆行するような発言は控えたいが、どうしても、僕には気になるのである。
 これで、ワープロ・パソコンの悪口は止めにする。
 人に読ませる場合はともかく、自分の脚本の初稿を、どんな筆記用具で書くかは、あなたの自由で、僕がこれ以上どうのこうのと言うのは、うるさすぎるだろう。
 次回は、もう少し実作的な話をしようと思う。

   つづく
 


■第57回へ続く

(06.07.05)

 
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