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第60回 『ミンキーモモ』2度目の最終回とその後……
いよいよ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』空モモの最終回まで2話を残すまでになった。
最終回の63話まで、残りは1本。
黒い雲で象徴されていた悪夢が正体を現し、赤ん坊のミンキーモモが夢で見る世界を、徹底的に攻撃する回だった。
63話の最終回に続けるためにも、一種、ホラー風に、モモの周りの人たちが石に姿を変えられていく。
この世界にある夢と希望が、次々と悪夢の仕業によって硬直して、モモを追いつめていく。
今までの『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の中では、一番ハードな回だ。
書きにくい書きにくいとぼやきながら、それでもなんとか脚本化したものを、ラストの次回に続けるために、さらにハードに僕が書き加えた。
個々で、注目すべきところは、悪夢の声を、千葉繁氏がやっている事である。
カジラと同じ声の人が、カジラとはまったく違う声で、まったく正反対の役をすごみを出してやってくれた。
期せずして、赤ん坊のモモの持つ奔放な自我意識の現れと、その自我意識を脅かすモモの内部にある不安ともいえる悪夢とに、同じ人が声を入れた事になる。
つまり、赤ん坊のモモの中にあるふたつの相反するものが、闘う事になるのである。
そして、明らかに、62話は、悪夢の勝利で終わったかにみえる。
63話の最終回「さよならは言わないで」は、ぎりぎりまで追いつめられたミンキーモモが、悪夢に反撃し、ついに勝利をする。
カジラの存在は、モモの自我意識から、モモが交通事故に遭遇した時に、流した人々の涙が形を変え姿を現したもの、という事にすり替えた。
自我意識とは、他者が存在するから生まれるものだ。
自分1人では、自我意識など自分の中に生まれてきはしない。
他者があってこその自分なのだ。
自我意識を守る事は、他者の存在も守る事になる。
ただし、最終回は、第1次の最終回がわりあい静的に終わるのと違い、かなり意識的に、クライマックスを派手なものにした。
黒雲と、モモとお供の戦いは、ヒロイック・ファンタジーという語が使えるほど、動きが激しい。
このシーンでは、お供の3匹が、本来の大人の戦士に変身するのだが、小鳥のピピルの声をやっていた三田ゆう子さんなど、これで本当のわたしの美声が流れるのねと喜んでいた。
その割には、大人になったピピルの台詞がほとんどなかったが……。
この戦いのシーンも、この回が、最後の最後という意味で、スタッフの全力投球が目に見えるような出来だった。
特に、ワンカットで、カジラに乗ったモモが黒雲と闘い続けるシーンは、スタッフのやってやるぜという火事場の馬鹿力爆発といった感じで、脚本を書いた僕も驚かされた。
最終回「さよならは言わないで」の脚本を、アニメスタイルの
付録に掲載
していただいてあるので、参考にお読みになっていただければ、幸いである。
63話で、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は終わった。
やるだけの事はやっただろうという、満足感と虚脱感で、63話の完成品を見た時は、しばらくは呆然となっていた。
もちろんこの時は、その10年後に、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の新作……つまり、海モモ……が企画されようとは思ってもみなかった。
ところで63話以降も、スポンサーに次の作品の準備が整わなくて、7本ほどが、再放送されたが、その話数の選別に僕はかかわっていない。『さすがの猿飛』というTVアニメがすでに放送が開始されていて、そのシリーズ構成に集中しなければならないし、小説版「戦国魔神ゴーショーグン」の執筆もあった。
その年は、30分番組に換算すると、年70本以上書いた事になる。
3、4日に、1本は書いていた計算になる。
おまけに、毎日のように、脚本や小説を書いた後の興奮を収めるために……ものを書いた後は、疲れるより精神が高ぶっている時が多い……お酒を飲んでいたし、『さすがの猿飛』のアフレコにも、毎回、顔を出していたから、睡眠時間はほとんどなかった。
生涯、最高に仕事をした1年だった。
自分でも、体がぼろぼろになっていくのが分かった。
多分、若かったからできた1年だったろう。
と、同時に、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の終了あたりから、同人誌関係の人気が、異様に膨れ上がった。
様々な種類の『ミンキーモモ』の同人誌が作られ、「首藤剛志のファンクラブ」まで作られインタビューを申し込まれたのには驚いた。
とても同人誌の全てを把握できないが、どこで僕の住所を知ったのか知らないが、同人誌を送ってくれた人もいる。
馬鹿馬鹿しくて面白いのは、「激走グルメポッポ」というパロディまんが集で、その作家の方は、後にプロになった……というより、と学会(トンデモ本学会)でよくその名を見るようになった。
昔の同人誌作家の、今の活躍を見るのは、結構楽しいものである。
さらに、長く続いている同人誌もあり、その『ミンキーモモ』同人誌の作者は女性なのだが、ほぼ4分の1世紀にわたり、不定期だが今も同人誌を送ってくれる。
よく続くなと、僕より、御本人があきれているふしがある。
ファンレター代わりの年賀状も、色々な人から、いまだに届く。
女性がほとんどなのだが、25年も経つと、姓が変り、子供やご主人と一緒に撮った写真の年賀状もある。
そんな年賀状を見ると、なぜかほっとする。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の女性ファンは、ちゃんと大人になって、結婚して、多分、それなりに幸せな生活を送っているのだろうな……と予想されるからだ。
けれど、今はほとんど来ない男性のファンの年賀状から憶測すると、彼らの現在は、ほとんど不明であり、どんな生活を送っているのか不安である。
同人誌の中で、一番驚いたのは、東大SF&アニメーション研究会の作った「ミンキーモモの本」だった。
僕の家が、駒場東大の近くにあるせいもあってか、数人の東大生が来て、インタビューして行ったのである。
僕は、小・中・高校と、駒場東大の校庭で遊んだり、図書館に忍び込んだり、安い生協に買い物に行ったりした。それどころか講義さえ聞いた事もある。いわば偽東大生である。
大人になっても、のぞいた本屋は、東大の生協が一番近くて、置いてある本も多かった。
だいたい、僕の家が、東大の近くにあるという事自体、家が東大に近ければ、子供も東大に行くだろうという、とぼけたというか、あきれた親の思い込みがあったらしいのである。
ところが、御本人の僕は、大学受験は総崩れ、高卒浪人でシナリオ方向へいってしまったから、親のもくろみ、大外れである。
しかし、もよりのバス停が、「東大裏」である以上、僕自身が、東大を意識しなかったといえば、嘘になる。
そこの学生が、僕の家に来て、『ミンキーモモ』についてインタビューしたいという。
どんな事を聞かれるのかと戦々恐々としていたら、和気あいあいと数時間、『ミンキーモモ』に対して、他愛のない事を話してインタビューは、終わった。
数ヶ月して、同人誌としては分厚いかなり立派な本が届いた。
総論、各論とあり、僕のインタビューが、まるまる載っている。
さらに、金春智子さんにもインタビューしたらしくて、首藤剛志と金春智子との夢に対する概念の違いを指摘した文章もある。
これには、なるほどね……と、僕もいささかあきれながらも、ここまでやるかと……感心した。
ともかく、真面目か不真面目か、分からないが、表面上は真面目な力作同人誌だった。
こんな力作を作るぐらいなら、卒論の心配でもしたほうがいいのにと、こちらが心配になるような同人誌だった。
あれから4分の1世紀、あの同人誌のメンバーが、青春の1ページとして、遠い記憶になり、今は社会の第一線で、活躍していることを、心から願っている。
これらの同人誌で、僕の手元にあったもののほとんどは、今は小田原市立図書館に保管されている。
先日、図書館に行ったが、まだ整理が行き届いておらず……なにしろ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』以外の作品の脚本や資料も、ほとんど図書館に保管してもらったから、図書館側も整理が大変であろう。
興味のある人は、図書館に連絡していって見てください。
貸し出しはできないが、見せてはくれるはずである。
いずれにしろ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は終了間際から終了後までは、かなりのファンの間で盛り上がり、雑誌や文庫本やムックやレーザー・ディスクのおまけに、番外編のようなものを、かなり書いた覚えもある。
アニメージュという雑誌のグランプリでは、46話が各話別の2位になり、「アニメージュ賞」という特別賞も貰った。
ついでに、その年の日本アニメ大賞の第1回・脚本賞も、『さすがの猿飛』『まんがはじめて物語』をまじえ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』も受賞対象として、いただいた。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のブームは、その後もちょろちょろと続き、十年後の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の海モモまで続いてしまうわけだが、空モモの番外編として、もっとも大きなものは、OVAとして作られて劇場公開もされた、『夢の中の輪舞(ロンド)』だろう。
この脚本は時期的に『戦国魔神ゴーショーグン』の『時の異邦人』の脚本とも重なって、スケジュール的には、かなりつらかったが、TV版でやり残した感じのあるピーターパン・シンドローム(大人になりたくないと思う子供たちの感覚)と、モモの感性の違いを軸に、モモでやりたかったミュージカル志向を前面に出した、良くも悪くも『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を総花的に描いてみた作品で、脚本的には、書くのに1週間かかっていない作品だった。
しかし、スタッフが頑張り、クライマックスのアクション・シーンなど、今見ても圧巻だと思う。
この作品で残念だったのは、主題歌を歌った志賀真理子さんが、その後、アメリカで自動車事故で亡くなった事だ。
存命だったら、どう成長したか分からない人だっただけに惜しい気持ちで、今も時々思い出す。
だが、色々、欠点はあるにしろ、僕にとっては、やるだけのことはやったし、昔、ガールフレンドに話していた「フィナリナーサからきた少年」の話も、主人公が女の子になった違いはあるにしろ、いちおう作り上げた事で、ある種の満足があった。
約束は果たした気にもなっていた。
しかし、相当の疲れは感じていたから、同時期にやっていた『さすがの猿飛』と『まんがはじめて物語』そして小説版の「戦国魔神ゴーショーグン」のメドがついたら、この世界から足を洗おうと考えてもいた。
まだ、30前後の僕ならつぶしが利くと思っていたし、20歳台の中盤、1日たった1、2時間働いて稼いでいたセールスのギャラに、脚本やシリーズ構成のギャラが追いついたのは、30代を過ぎた頃だった。
最初から外国に売れるように意識した『魔法のプリンセス ミンキーモモ』だったが、いくら外国に売れても、脚本家やシリーズ構成には、無縁だった。
今は、外国に売れたアニメに目を光らせている脚本家連盟……おそらく今はアニメが最大の収入源のはずだ……も、当時は、こちらがいらいらするほどアニメに対して冷たかった。
アニメ脚本の海外著作権やオリジナルアニメのシリーズ構成の著作権に、関心を示さない脚本家連盟には、ほとんど絶望した。
そちらの方面でも、交渉するたびに糠に釘で、疲れきってしまった。
最近のアニメ作品には、脚本家連盟も目を光らせるようになったが、30年ほど昔の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』には、関心がないらしい。
最近、韓国では、ミンキー族と言う言葉があるらしい。
大人に変身して色々な職業になるミンキーモモにひっかけて、色々な職を転々とする若い人たちの事をさすらしい。
つい先日も、フランスに行っていた義理の妹からのメールに、ニースで見たミンキーモモのTV画面の写真が添付されていた。
そのタイトルには、シナリオ robbert barron と書かれていた。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書いた脚本家に robbert barron なんて人はいない。
いまだに、フランスで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が放送されているのも驚きだが、脚本家名が外国人になっているのにはもっと驚いた。
脚本家連盟は、どう処理するのだろう。
ともかく、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の空モモ編が終わった頃、もう脚本家は僕にとって潮時だな、と思った事は確かである。
あとは、やりかかっている『さすがの猿飛』『まんがはじめて物語』、小説版「戦国魔神ゴーショーグン」を、きちんと終えればいいと、本気で考えていた。
以上で、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』空モモ編というか小山茉美編というか、昭和モモ編の話は終わりである。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のリメイクというより続編に位置する海モモとか林原モモと呼ばれる作品については、その前に位置する他の作品や、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の直系のようでありながら、実はちょっと違う『アイドル天使ようこそようこ』というアニメの話をした後に、語ろうと思う。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
さて、あなたにとって、会心の作ができたとしよう。
一番の正当な早道は、脚本コンクールに入選する事だが、昔と違って、今は山ほどあれやこれやと脚本コンクールがある。
それぞれに特徴があるし、年に1度、それも、やたらとコンクールがあるから、そのひとつに入選したからといって、安心できるわけではない。
ひとつの賞が10年続けば、10人の入選者がいるのである。
まして、年にいろいろなコンクールが10回以上もあるとしたら、10年経てば100人を超える受賞者がいる事になる。
そのうち、食べて行ける脚本家は、10人いるかいないかだろう。
現に、今も昔も、脚本家不足の時代だといわれる。
コンクールの受賞者が100人いても、そのほとんどの次回作が、使いものにならないのである。
だから、ひとつの脚本コンクールに入選したからといって、それほど、安心できるわけではない。
つまり、1本の会心作では、不足なのである。
少なくとも、4、5本の、自分が会心作だと思う作品を持っておこう。
できれば、その4、5本は、違うバリエーションを持っていた方がいい。
例えば、恋愛もの、青春もの、アクションもの、ドタバタ喜劇、ホームドラマなどなど……得意、不得意はあっても、様々な映画を見て、そのリズムを身に付けたあなたなら、それなりの会心作がかけるはずである。
こういう人を、昔は、引き出しの多い脚本家と呼んでいた。
そして、それぞれの脚本コンクールの特色に合わせた作品を提出してみよう。
ただし、同じ作品を色々なコンクールに出すのは止めておいた方がいい。
ルール違反と見なされる。
制限枚数も守った方がいい。
まず、最初の選考ではじかれ、読んでもらえない場合が多い。
現代劇を要求されているコンクールに、時代劇を提出するのも見当違いである。
それから、もしも、その脚本が万が一入選して……入選したからといって必ずしも映像化されるわけではないが……万が一、映像化される場合も考えて、制作する予算も少しは考えておこう。
やたらCG全盛の時代だからといって、特撮だらけでなければ映像化できない作品は、どんなに面白くても、選考する人の腰が引けてしまう。
ともかく、ひとつぐらいコンクールの入選作か佳作ぐらいは、試しにとっておこう。
こんなにコンクールが多いと、そんなにレベルは高くない。
自分の脚本能力なら、コンクールのひとつやふたつ、取っても不思議はないと思う事だ。
ただし、狙いのコンクールが、TV局主催のものの時には、あちらこちらのコンクールに浮気はしないほうがいいかもしれない。
脚本家不足の昨今、コンクールの入選者や佳作者を、育てようとする局のプロデューサーもいる可能性があるからだ。
目当ての脚本家が、あちらこちらの局で入選しているとしたら、そんなプロデューサーも白けてしまうだろう。
以上は、実写のコンクールの場合である。
アニメの場合は、若干違ってくる。
アニメを対象にしたコンクールは数がすくない。
そのくせ、アニメは本数が多すぎるから、慢性的に脚本家不足である。
仕方がないから、脚本家や演出家やプロデューサーの知り合い同士で、紹介しあっている場合も多い。
その脚本家のレベルが決して高いとは言えないから、脚本の良さが目立つアニメが少ないのである。
では、アニメの脚本家になる方法を少し考えてみよう。
つづく
■第61回へ続く
(06.08.02)
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編集・著作:
スタジオ雄
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