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『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎
第2回 言葉にできないものが「映画」だ
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小黒 去年観た映画の中だと、成瀬巳喜男の「乱れる」(1964年、成瀬巳喜男監督)も印象的だった。説明が長くなるから粗筋は置いといて、オチを言ってしまうと、終わり5分位で突然、主役の加山雄三が事故に遭って死んじゃうのね。それまでずっと道ならぬ恋が描かれて、この映画はどうなるんだろう? と思って観ていると、夜が明けたところで加山雄三が担架に乗せられて連れて行かれて、ヒロインが驚いて終わる。その死に演出的な意味はあるんだけど、物語としての伏線はまるでないんだ。当時はそれで成り立ったんだよね。「思いもかけぬ悲劇が突然襲った」という事でさ。
細田 そうなんでしょうね。
小黒 それでさっき言った「他人の人生に立ち合う」という事で言うと、観客は2時間弱、彼らの人生に寄り添って、最後に驚くような事があって終わる。多分、それは当時としては映画的な体験だったんだろうね。
細田 それは初見で観ると、凄いインパクトがあるんじゃないの。
小黒 あると思う。俺も驚いたよ。そういう意味で言うと、映画的体験というものも時代と共に変わってきているんだろうね。
細田 最近の傾向からすると、TVドラマを広げて映画館にかけたようなものも多くなってるわけじゃない。そういうものは映画的体験というよりも、イベント的体験のような気がしますよね。例えば「この役者が出ているなら観よう」と思って劇場に足を運ぶのは、イベントとしての体験じゃないですか。成り立ちに関して言えば、僕が作っていた東映アニメフェアの作品も似たようなものなんだけどさ。でもやっぱり、映画にはそれだけでない部分を含んでいてほしいというか、何かドキドキさせられるものを求めるよね。
小黒 なるほど。
細田 その成瀬巳喜男の映画みたいに、突然、人が死んでしまったりすると、今だったらドラマチック過ぎるとか、もしくはプロットが破綻していると言われるかもしれない。でも、そう言って切り捨てるのは、物語的な見方に寄り過ぎると思う。例えばさ、人の人生なんてそんなに整理されたものではないわけじゃないですか。思ってもない事が起こるのが人生なんだろうし、逆に言えば何も起こらないのも人生かもしれない。本当は映画的体験って、ドラマだけじゃないはずなんだけど、今は「全てが分かりやすく整理されていないと楽しめない」という感覚が強まっているような気がする。勿論、僕も職業演出家なので、ちゃんとドラマを分かりやすくしようと心がけてはいますよ(苦笑)。でも、それが達成されれば「映画」ができるわけじゃない。おそらくドラマを通して、ドラマ以外の何かが立ちあがってくるのが「映画」だろうと思うんですよ。それでは「ドラマ以外の何か」とは何か? という事が問題になる。
小黒 それは多分、色んな答えがあるんだろうね。
細田 それを「世界観だ」とか「人生だ」と言い切ってしまうと、限定しすぎてしまう気がしますよね。でも、映画を観るというのは、そういう言葉で言い表せないものを感じる事だと思う。
小黒 小説、マンガ、音楽と、世の中には創作物って沢山あるわけじゃない。その中で、受け取った人が感想にしろ、評論にしろ、より何かを言いたくなるのが映画なんだろうね。それは、他よりもかたちにならないものが大事であるからかもしれない。
細田 逆に言うとさ、何か作品を見て、その面白さを簡単に言葉にできたとしたらつまらないし、語りたくなくなってしまうじゃない。言葉で表せる事を、わざわざやっている映画は、退屈であるはずだよね。でも、映画って本当はそうあるべきではないよね。映画を映画にするものは、単にドラマの構築とか、もしくはカット割りがどうかというような些末なものではないはずだからさ。
小黒 少し違う話になってもいいかな。
細田 どうぞ、どうぞ。
小黒 細田さんが「アニメーションで、映画が作れるんだ!」と思った瞬間ってあるの?
細田 僕の体験としては『(うる星やつら2)ビューティフル・ドリーマー』だったような気がするよ。
小黒 確かにあれは映画だった。
細田 それは、単純にTVシリーズの『うる星やつら』が高級になったからという事じゃなくて、まさしく言葉で言い表せない何かがそこに含まれていた。それをアニメーションというメディアで体験できたのは初めてだったような気がする。小学校6年の時に『(ルパン三世)カリオストロ(の城)』を観ていて、振り返ってみればそれも映画的体験だったんだけど、『ビューティフル・ドリーマー』ほど明快ではなかった。後に、同じ押井(守)さんの『天使のたまご』をビデオを観たけど、それが映画的体験だったかというと、そうでもなかった気がする。ひょっとしたら『天使のたまご』の方が映画的純度は高いのかもしれないけど、そうは受け取らなかったなあ。その後に、他のアニメーションでそういう映画的体験があったかというと、実はあまりないんですよ。特に若い頃は、宣伝や雑誌の記事に乗せられて観にいっていたから、イベントの参加者としての気分の方が強かったんじゃないかな。僕が『ビューティフル・ドリーマー』を観たのは遅い時間の興行で、客が殆どいなかったんですよ。そのせいもあって、イベント気分なしに観られたのかもしれない。その時には、映画と向き合った感があったし、それで違う世界に持っていかれた気がした。それは劇中で街が廃墟になっていったからではなくて、冒頭から持っていかれたような気がするけどね(苦笑)。
小黒 ああ、学園祭前日のところからね。
細田 小黒さんがアニメーションで初めて映画的体験を感じたのは何なの?
小黒 『銀河鉄道999』も『マモー編』も映画的な体験だったなあ。TVだけど『ガンバの冒険』や『宝島』もそうだったような気がする。最初の映画的体験は、小学生の時に観た『パンダコパンダ』かもしれないね。
細田 あっ、劇場で『パンダコパンダ』を観たんだ。いいなあ。
小黒 あまりにも素晴らしくてね。俺は生涯で唯一の犯罪を犯す事になったんだよ。
細田 (笑)。何? 映画館でどんな犯罪を?
小黒 『パンダコパンダ』を観て、次の日にどうしても、もう1回観たくて……。
細田 あっ!(嬉しそうに)
小黒 母親の財布から、500円抜いてね。
細田 あーあー、素晴らしい。それはいい話だね。
小黒 で、後で怒られたんだけどね。だけど、泥棒してでも、もう1回観たかったんだね。
細田 素晴らしいね。その話を聞いて、小黒さんの好感度がアップしたよ(笑)。
小黒 『パンダコパンダ』で何が起きたのか分からなかったんだよね。何であんなに幸せになったのかが分からなくて、その秘密を確認したくて、また行っちゃったのね。いやな小学生だね(苦笑)。
細田 映画館に行くと金がかかるんだけど、中学生や高校生って、あまりお金をもっていないじゃない。僕なんか学生時代は昼食代を使わないで、それで映画館に行ったりしたもの。昼飯をカロリーメイトで済ませたりしてさ(笑)。今は若い人が映画館に行かないと言われているけど、やっぱりお金がかかるからね。今だって学生なら当日券で1500円、前売りで1200円ぐらいかな。という事は、昼食代2食分か、3食分なわけじゃない。
小黒 中学生なんて、1食でも多く食べたいのにね。
細田 本当ですよ。部活帰りにラーメンだって食いたいわけじゃない。でも、それを貯めて映画を観に行っていた。他にも色々とお金の使い道はあるんだけど、映画を観に行くと、ちょっといいお金の使い方をした気分にさせられるんだよね。なぜかと言うと、映画を観ても物質的なものは何も得られないわけでしょ。単に席に座って、観て出てくるだけだから。でも、「うわ! 凄かったー!」という気分を受け取って帰ってくるわけじゃない。
小黒 それで、つまんなかったら怒るよね(笑)。
細田 そうだよねえ。いやマジで(笑)。
小黒 でもね、中学の頃って、お金を払ったからには面白いに違いないと思って観るからさ、大抵は楽しめた。
細田 そうそう。逆説的な言い方になるけど、そうやって観るものだからこそ、映画には体験の要素が必要だという気がしますよ。さっきも言ったように、ドラマの筋を追うだけだったら、どんなメディアだっていいわけだものね。
小黒 ドラマを知りたいだけなら、原作読んだっていいしね。
細田 ただ、「映画かどうか」という話題で難しいのは、映画の公開が終わった後にDVDで観るものは「映画」ではないのかという事だよね。DVDだと映画的体験は半減するけれど、映画的体験がなくなるわけではないでしょう。それをどう考えればいいのかは難しいよね。
●『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎 第3回に続く
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(06.07.20)
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