なかむらたかしが語る「僕とマンガ」1

なかむらたかしさん

2006年4月23日
取材場所/アニメスタイル編集部
取材・構成/小黒祐一郎

── 「TWILIGHT」ができました! 本を手にされて、いかがですか。
なかむら きれいな装丁で、想像していたよりもよい仕上がりになったと思います。デザイナーの井上(則人)さんのおかげですね。
── 昔の事からうかがわせてください。なかむらさんは、いくつぐらいからマンガを描いてたんですか。
なかむら それは子どもの頃から。小学生の時からだね。
── 最初にコマを割ったのはいくつの時、なんですか。
なかむら コマで割ったのは、石森(石ノ森)章太郎の「マンガ家入門」(1965年)という入門書を買ってからなんです。その後「続マンガ家入門」っていうのもあってね。僕が買ったのはその2冊。その後、手塚治虫の「マンガの描き方」という本もあったのかな。
── 手塚さんのは、随分と後じゃないですか。
なかむら 後だった? 石ノ森章太郎の「マンガ家入門」を買ったのは小学校5、6年の時かなあ。
── その頃は、少年マンガ風のものを描いていたわけですか。
なかむら そうですよ。その頃に流行った雑誌のマンガみたいなものを描いていた。「少年」というマンガ雑誌を結構読んでいたから、「鉄腕アトム」みたいなロボットものとかさ(笑)。
── あるいは横山光輝の「鉄人(28号)」みたいなものとか?
なかむら そう(笑)。「鉄人」「鉄腕アトム」「(サイボーグ)009」とかね。
── そういった習作の時期はいつくらいまで続くんですか。
なかむら 上京してアニメの仕事を始めるまでだから、14、5歳までですね。でも、アニメを始めてからも結構描いてはいたんだよ。あの時代の通過儀礼みたいなものだけど、「漫画家残酷物語」とか「フーテン」といった、永島慎二の描く人生ドラマに惹かれたんです。「ガロ」のような傾向に気持ちがいってしまって、ストーリーマンガに興味がいかなくなった。
── それまでのストーリーマンガではなく、作家の内面を描いたような作品に?
なかむら そう。そういったマンガに興味をもって、普通のマンガから離れていった。当時、コボタンという喫茶店が新宿にあったんです。マンガ家が出入りしたりとか、原画が飾ってあったりする有名な場所だったんだけど、そこへ行ったりして。そういう世界に魅力を感じていたよね。
 それから、タツノコに入るまではマンガとアニメーションはそれほど違うものではないだろうと思っていたんだけど、実際にやり始めたら全く違うものだった。ディズニーの作品を知った事もあって、アニメートの方に惹かれていって、どんどんマンガから離れていったんです。
── でも、タツノコ時代に何本か習作を描かれているんですよね。
なかむら 描いてますよ。タツノコの中に同人誌をやろうという連中がいて、社内のみんなでマンガを描いたんです。たとえば、南家(こうじ)さんも描いていました。それはマンガ家になるために描いていたのではなくて、自分たちが何を思っているか、何をやりたいのかをマンガでかたちにしていたんです。
── その頃、なかむらさんが描かれたのは、何ページぐらいのものだったんですか。
なかむら 16ページとか、そんなものです。
── ずっと後になって、その頃のものを雑誌にちょっと載せた事がありませんでした?
なかむら ないない。
── 井上(俊之)さんが、なかむらさんへの取材記事で見た事があると言ってました。
なかむら (笑)本当? 全然記憶にない。もしかしたら、あったのかもしれないけど、覚えてないね。
── その時の原稿は残ってないんですか。
なかむら 原稿自体はあるんだよ。でも、とても見せられたもんじゃない(笑)。やっぱり、永島慎二ふうの、ああいう感じのものなんですよ。それから、タツノコを辞めた時に、またマンガ描きたいと思って、作品を描いていくつかの出版社に持ち込んだりしたんです。その後も、マンガへの思いも残しながらアニメの仕事を続けて、今日に至っている感じ。
── なるほど。持ち込みした時の原稿は、タツノコ時代に描いたのと傾向は違うんですか。
なかむら 大体同じ。
── じゃあ、その時も永島慎二ふうの?
なかむら そう(笑)。だから、「ガロ」にも持っていったんですよ。
── 「ガロ」に持っていったんですか。その後、アニメに集中してる時期があって、モーションコミックで作品を発表する事になるんですか。
なかむら そういう事ですね。モーションコミック自体が変わった雑誌で、アニメーターのマンガを掲載するという企画のものだったからね。それで描かせてもらえた。
── モーションコミックで「マンガ描いてみないか」と言われた時は、どう思われたんですか。
なかむら 自分のマンガが本に載るというのは、子どもの頃からの夢だったから、それは嬉しかったですよ。
── それで最初に描かれたのが「亜星人2.9」になるんですね。
なかむら そうですね。亜星人というのは、自分の子どもの名前なんだけどね(笑)。
── えっ! そうなんですか。
なかむら そうだよ。うちの子どもの名前が、亜星(アセイ)というの。「2.9」っていうのは、その誕生日。
── 初めて明かされる、意外な事実ですね。
なかむら なかなかタイトルが浮かばなくてね(笑)。どこかの星の話だったし、ちょうど子どもが生まれたので、それをタイトルにしようと。出版社の人にも「あ、いいんじゃないですか」と言われて。
── 「亜星人2.9」は、お話としてはよくまとまったSFショートショートなんですけど、画柄についていちばん『幻魔大戦』的というか『(未来警察)ウラシマン』調というか。
なかむら はい(笑)。大友(克洋)さんが好きだったからね。16歳の時に「漫画アクション」で、大友さんの作品を見て、とても刺激を受けた。それから、ずっと大友さんのマンガを見てて、だから、一番最初に発表したこのマンガも影響が出ているよね。それに映画の『幻魔大戦』が……。
── 「亜星人2.9」は『幻魔大戦』直後の作品なんですよ。
なかむら ああ、だったら、もろに意識していたんだろうね。太刀打ちはできないけど、大友さんに惹かれてるので、それが素直に出てしまったという事ですね。
── 描いてみて手応えとしてはどうだったんですか。
なかむら 「ああ描けたなあ」って、そんな感じですよ(笑)。
── 僕は「亜星人2.9」をモーションコミックで見た時、嬉しかったですよ。
なかむら あ、ほんと?
── 「やっぱりこういうものを描くんだ」と思いました。
なかむら 話について、ちょっと詰めが甘くて、ひっかかるところはあるんだけど。まあ、短い話だからいいのかなって(笑)。