「クオリティは誰のため」
ちょっとだけのリニューアルである。
このスペースで毎回、少しだけ文章を書く予定だ。他の新企画も準備中。今後とも「WEBアニメスタイル」をよろしく。
さて、以下が今日の本題。先日、知人の脚本家に「TVアニメの数は増えた増えたと言われるけれど、不思議とクオリティは落ちないな。むしろ上がっているんじゃないか。どうしてだ?」と訊かれた。言われてみれば不思議な話で、確かに10年前、20年前のアニメと比べれば、画が綺麗になってきている気はする。どこの現場も人手が足りないと言っているのにクオリティは上がっているのか。一瞬、僕も納得してしまったけれど、実はそうではない。アニメーションとして全体のクオリティが上がったわけではないのだよね。正確には、キャラクターの画が整うようになったのである。昔は各話毎にキャラクターの画が違うのが当たり前だったけれど、最近はそういったバラツキが減っている。話の中でも担当アニメーターによる、作画の凸凹が無くなってきているはずだ。全体にキャラクターの画が統一されているので、クオリティが上がったように見える。
で、キャラクターの画を整える事に労力が注がれて、他の部分は弱くなっているというわけだ。最近、TVアニメで「おっ」と驚く作画や表現を目にする事が減ったのは、そのためでもあるのだろう。芝居は最低限何をやっているかが分かればいいや、とか、そういう感じになっている現場も多いのではないか。余計な事をやっているヒマはないよ、てな感じなのだろう。いや、勿論、それは全然余計な事ではないのだ(厳密に言うと、キャラクターの画以外の部分が弱くなっている理由はそれだけではない。表現の画一化等の理由もあるのだが、それはまた別の話題)。
各話のキャラクターを統一させる、という事はビデオメーカーが制作現場に望んでいる事でもある。前に制作会社のPDから、ビデオメーカーが各話の画の統一をするように言われて、それができるシフト(総作画監督が全話全カットのレイアウトに手を入れる等)を組んでいるという話を聞いた。それが商品としてのセールスポイントなのだ。ビデオメーカーでもユーザーでも「クオリティ=キャラクターの画の統一」と思っている人が多いのだろう。
この傾向が続くのが厭だと思う、心あるアニメファンは「それだけじゃつまらないぞ」と声を大にして主張するべきだ。
(03.07.11)
更新情報(03/07/11・第88回)
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