TVシリーズ放映終了から劇場版公開の頃まで、あれ程大勢いた『エヴァ』評論家。評論家というのが大袈裟なら、あの熱く『エヴァ』を語っていた人達は、どこに行ってしまったのだろうか。この作品について考える上で、こんなにも重要な映像が発表されたというのに。僕は『エヴァ』に関しては商品を送り出す側にいるのだが、語る者が少ないならば記しておこう。
先月、『新世紀エヴァンゲリオン』のリニューアル版DVD-BOXが発売された。話題にしたいのは、この商品に映像特典として収録されている「劇場版#26実写パート(特別ラッシュ編集版)」である。あれは当時、劇場版の第26話「まごころを、君に」の一部として使用する予定で制作されていたパートだ。
諸般の事情によりこのシークエンスはオミットとなり、撮影された台詞と映像は『THE END OF EVANGELION』予告編に流用。僅かだが、第26話本編にも使用された。今回収録されたのは、当時の撮影素材を台本に沿った形で再構成したものである。完成された作品ではなく、映像特典のために取りあえずまとめたもの、という位置づけだそうだ。
このパートでは宮村優子、三石琴乃、林原めぐみ、関智一、山口由里子が、それぞれ自分が声をアテたアスカ、ミサト、レイ、トウジ、リツコを生身で演じている(リツコは声のみの登場)。現在の日本に近い世界(設定としては第2新東京市)でOLをやっているアスカ、ミサト達の生々しい日常。行為そのものは描いていないものの、男と女の関係を匂わせる描写、そのものについて語る台詞が多い。第26話「まごころを、君に」では、人類の未来がシンジに委ねられ、彼は内面宇宙で葛藤する。この実写パートはシンジの「望んだ世界」のひとつとして考えられていたのだろう。
『エヴァ』本編でもスタッフ等は様々な実験的手法を使い、あるいは様々な作劇を駆使し、キャラクターに生々しさを、世界に現実味を与えようとしていた。アスカやミサトのトラウマを暴き、シンジに自慰行為までさせた。だが、そこまでやっても、アニメのキャラクターに本当の生々しさを与える事はできぬ。それでも更なるリアルを求め続け、その志向が極限まで高まった時、キャラクターがアニメ表現の限界を超えて生身の身体と、実写の世界感を手に入れる。それがこの実写パートであったはずだ。リアルを求める庵野監督が、その後に実写映画『ラブ&ポップ』『式日』を手がけ、より確実にリアルを手中にしようとしたのは自然の流れだった。
もしも、劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』があの年の春に完成し、そこに当初の予定通り実写パートが含まれていたなら、きっと現在の『THE END OF EVANGELION』よりも更にテンションの高い、よりカルトなフィルムとなっていた事だろう。
今回編集された実写パートは、アスカ達の生活を見つめるシンジの台詞で終わる。シンジはここでは姿はなく、声のみの登場である。制作当時、シンジ役の緒方恵美による当該シーンのアフレコを行っていなかったため、その台詞は庵野監督が今回吹き込んだものを使用。この台詞のインパクトは強烈だ。キャラクターのシンジが庵野監督の分身であるならば、実写世界でのシンジが庵野監督になるのも当然という理屈も成り立つ。庵野監督の声が入った事によって、この実写パートは、より『エヴァ』の本質を表現したものとなった。