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アニメの作画を語ろう
animator interview
湖川友謙(1)
アニメーションの作画と画の勉強


 『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』等で、湖川友謙が手がけたキャラクターデザインは、アニメファンに強烈なインパクトを与えた。そのアニメーションのスタイルはかつてないほどにリアル。シャープで、魅力的なものだった。彼の仕事は、独自の理論に支えられたものであり、影響を受けたクリエイターは数知れない。アニメのビジュアルを、一段階ステップアップさせたと言っても大袈裟ではないかもしれない。
 僕らにもうかがいたい事が沢山あり、湖川さんも熱心に話してくださり、結果、取材は8時間におよぶ大ボリュームのものとなった。内容は彼の技術論、代表作のひとつである『さらば宇宙戦艦ヤマト ─愛の戦士たち─』、富野由悠季監督と組んだ一連の作品についてが中心である。なお、今回の取材にあたってリスト制作委員会の原口正宏に、フィルモグラフィーの作成を依頼。取材にも同席し、主にデータ面のフォローをしてもらった。


2005年3月8日、4月12日
取材場所/東京・新宿
取材/小黒祐一郎、原口正宏、小川びい
構成/小黒祐一郎
撮影/馬場京子

 
PROFILE

湖川友謙(KOGAWA TOMONORI)

1950年1月3日生まれ。北海道出身。血液型O型。1970年に東京ムービーに入社し、アニメーターとしての活動を始める。同社で『巨人の星』に参加した後、退社。AC企画、ベンゲシャン等を経てフリーに。1970年代前半から中盤にかけて『決断』『科学忍者隊 ガッチャマン』や『破裏拳 ポリマー』等のタツノコ作品で活躍。1978年『さらば宇宙戦艦ヤマト ─愛の戦士たち─』で初めて劇場作品の作画監督を務め、同時期に小国一和のペンネームで『無敵鋼人 ダイターン3』の敵キャラのデザインを担当。TV『銀河鉄道999』のキャラクターデザインと総作画監督を手がけた後、代表作となる『伝説巨神 イデオン』でキャラクターデザイン、作画監督を担当。また、1979年には作画スタジオである有限会社ビーボオーを設立。同社は優秀なアニメーターを数多く輩出している。『伝説巨神 イデオン』に続き、富野由悠季監督とコンビで『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士 ダンバイン』『重戦機 エルガイム』を手がけ、サンライズ・ロボットアニメの一時代を築く。他の代表作に『超時空騎団 サザンクロス』『GREED』『COOL COOL BYE』等がある。リアル指向の強い彼の作画スタイルは、かつてないものであり、多くのアニメーターに影響を与えた。また、その作画ノウハウをまとめた著書に「アニメーション作画技法―デッサン・空間パースの基本」「同―実技編」がある。現在は「NEOX」顧問。ペンネームでの仕事も多い。最新作は劇場作品『あした元気にな〜れ! 〜半分のさつまいも〜』である。

●湖川友謙フィルモグラフィー

●公式サイト「TOMO WEB」
http://www.us-inc.jp/tomoweb2/index.html


小黒 今日は湖川さんの作画技術についての話を中心に、うかがいたいと思います。今までも何度かお話になってると思うんですけれど。
湖川 いや、技術話は話してないと思いますよ。
小黒 技術の話の前に、生い立ちからお聞きしたいと思うんですけども。
湖川 生い立ち?
小黒 ええ。
湖川 生い立ちは、技術じゃないですよ。親の技術?(笑)
小黒 (笑)。子供の頃から、画はお描きになってたんですか。
湖川 嫌いではなかったですよ。小さい頃暮らしてた家にベニヤのような壁がありましてね。小学校の低学年の頃に、寝る前に、真っ暗な中でクレヨンでそこに画を描いていたんです。その画は、ずっと残ってました。ずっと画家になるつもりでいたんですけど、高校の2年の時に、彫塑家になろうと思ったんです。きっと、立体は平面を超越したものだと思ったんでしょうね。本来は立体が好きなんです。たまたま、アニメの世界に入ってなければ、たぶん、そっち行ってたと思うんですよね(笑)。
小黒 平面のものより立体のほうが表現として、次元が高いと思われたという事でしょうか。
湖川 そうですね。最初は像をやっていたんです。やっぱりミケランジェロがなんか惹かれるものがあってですね。結局、画っていうのは裏側が見えないですよね。もちろん、(モデルは)立体だから裏もあるんだけども、彫塑はそのものでも裏側が見えますよね。で、それが理由じゃないかなと思うんですよ。高校生時分だから分かんないですよ、何をもってそう決めたかは。でも、とにかく、平面を超えてると思ったんですよ。面白い事に、それまでは画家になるために抽象画ばっかり描いてたんですよ、油絵で。
小黒 抽象画なんですか。
湖川 ええ、油で。リアリズムの画を見るとですね、背中がぞくっとしたんです。「これは絵じゃない。見て描けば、描けるものだ」と思っていた。僕が好きだった先生が抽象画ばっかり描いてる人で、その影響を受けましてね。中学校の1年と3年の美術を見てくれた先生で、美術クラブもやってたんです。その先生が高校のクラブだけを教えに行ってたんですよ。で、高校入ったら、美術クラブに入ってその先生から教わればいいと思ってたんです。だけど、中学校を卒業した時にその先生は転勤で別の所に行ってしまって(笑)。リアリズムの(画を描く)先生が別の所から来てたんですね。僕はずっと逆らってましたけど。
 で、武蔵美(武蔵野美術大学)の彫塑科を受けたんですけど、見事に落ちちゃって。当たり前ですけども、田舎のちいさな町のお山の大将ぐらいでは、入れないんだなって分かりました。最初にペーパー試験やって、その時には「これはいける」と思ったんですよ。石膏デッサンの試験が、ブルータスだったんですね。終わると、みんなが描いたものを壁にかけて審査するんですよ。で、僕はわざと最後に出したんですよ。駄目だと思いましたね。自分のが一番ひどかったですね。それで、「彫塑はやりたいんだけども」と思ってぷらぷらしてて。たまたま、知人が(東京)ムービーのアニメをやりたいと言い出したんですよ。
小黒 その方は、お友達ですか。
湖川 えーとね、いつも部屋に集まってきたりしていた知人の1人で、アニメをやりたいと言い出して。それで「ムービーを受ける」と言い出したんです。その試験があるって話を聞いて、「どんな試験をやるんだろう」と思って、それについて行っただけなんですよね。で、入っちゃった。
小黒 その時は浪人なさってたんですか。
湖川 いや、浪人じゃないですよ。浪人はやめました。こんな事を言うと親が泣くんですけど、東京に出てきたかっただけなんですね。僕は、ふるさとに対して郷愁って全然ないんですよ。故郷を捨てたわけでもないし、親も大事にしてますけど(笑)。若い頃の思い込みで、捨てるつもりで出ていく感じだった。何をやっていたんでしょうね。彫塑家をやりたいので、自分勝手な画の勉強とか、バイトをやりながら、そんな事をしてたんですね。それで東京ムービーの試験で審査をしたのが、当時の作監の遠藤政治さん。その人が見たらしいですよ。あの人がいなかったら、アニメの世界には入っていないですね。嬉しいんだか悲しいんだか分からないですけど(笑)。
小黒 いえいえ。
湖川 で、僕はアニメもマンガだと思ってましたからね。面白いんですよ。自分で言うのも変なんですけどね、油(絵)の世界では抽象を描いてたんですけど、アニメの世界ではリアルを描いてるんですよね。俗に言う、2頭身とか3頭身のキャラは、大変難しいもので、今はそっちのほうもやるようにしてますけど――若い頃に思っていたのと逆で、今は平面的なキャラクターを描くほうが難しいんですよね。例えば雑誌のコメントか何かで「(湖川さんの画は)見えていない後ろが見える」とか「立体に見える」とかって言われますけど、当たり前なんですよ。変な話しますけど、僕が結婚したのが22(歳)なんですね。それで30代半ばくらいまで、女房は、僕の画をいいとか上手いとか言った事なかったんですよ。
小黒 奥さまは、絵心のある方なんですか。
湖川 ない事はないですね。好きな人でしたから――「でした」って、まだ興味は持っています。
一同 (笑)。
湖川 例えば、他の人の原画と僕の原画がありますよね。比べる事があると「私、こっち(他の人の原画)がいい」って言うんですよ。多分ね、冷たかったんだと思うんですよ、僕の画が。
小黒 ああ。
湖川 それが分かったのがね、30半ば過ぎですよね。
小黒 『イデオン』などが終わった後ですね。
湖川 だから、女房は『イデオン』は駄目ですね。で、どうして「これがいいって言ってた」と尋ねると「だって、あなたのは巧いでしょ。私はこっちの画の面白いところが好きなの。そういう意味で好きと言ってたの」って答えて。なんだ、早く言えよ、って(笑)。
小黒 ああ、巧さは認めてたんですね。
湖川 そうみたいですよ。それで全く知らないアニメの世界に、ポッと入って。最初に遠藤さんに呼びつけられて、本番の動画をやれと言われたんですよ。動画の「ど」の字も知らない頃ですよ。
小黒 それはムービーに入られて何日目くらいなんですか。
湖川 3目日ぐらいかな。本来は最初の1ヶ月くらいは仕事をやらないで、線の練習とかをやらされるわけです。その話数のアップの時期だったらしくて、動画をやらされて。しかも、一番最初にやった動画を、ラッシュで遠藤さんが見て。今度は「原画をやれ」と言われたんですよ。でも、僕は最初は1日で辞めようと思ってたんです。アニメの世界がどんなものか見てから辞めよう、と思っていたんです。だけど、なんだかだらだらいて。しかし、ムービーの中に俺よりも仕事ができるふりをしている奴がいるのも、気にくわなくなってました。
小黒 なるほど(笑)。
湖川 だから、辞めるのはすぐ辞められるかなと思って、負かすために続けました。負けず嫌いなもので(笑)。でも、ムービーを辞める前には、きっと抜いてたでしょうね。タツノコ(プロダクション)の仕事を外注でとるという話があったので、それに乗っかってムービーを辞めたんです。声をかけてくれた人が原画も教えてくれるという事だったんですが、実際には、その人は全然やらないで。その人が全然やらない分、結局その人が受けた原画も、僕がやらなきゃいけなくなって、原画をバンバンやるようになったんですけどね(笑)。
 で、ひとつ面白い話があるんです。ムービーを辞めて3ヶ月くらい経ってから、お菓子を持って遊びに行ったんですよ。そうしたら、ある人に呼び止められて「お前な、歩きと走りのあれ、手と足間違ってるよ。だから、俺が直してやった」と言われたんです。動画をやっていた時に、動きを分解した写真を見て、横位置で歩いている画と走りの画を描いて、貼っておいたんです。それは自分のために貼っておいたんですよ。そう言われて見たら、(ムービーの)動画の机全部に、僕の描いたものがコピーして貼ってあったんですよ。
小黒 湖川さんが作った動きのパターンが貼られていたんですね。手と足が間違っていたというのは?
湖川 横位置に限らず走りや動きをね、僕はよくやるんですよ、『イデオン発動篇』にも(そのように走るカーシャのカットが)存在します。私も含め、3ヶ所のチェックをくぐり抜けてね。右足と一緒に右手が出てて。それが一番速いらしいんですよね、なんとか走りという。
―― ナンバ走りというやつですね。「お前の画は右手と右足が同時に出てるから間違ってる」と言われたんですか。
湖川 「俺が直しておいた」とか言われてもね。それは自分のために勝手にやってる事なんで。文句を言われる筋合いはないですよね。
小黒 直したものが貼ってあったんですか?
湖川 直してあったんでしょうねえ。でも、全部の机にそれが貼ってありましたよ(笑)。
小黒 皆が参考にしたいと思うほどの、出来映えだったんでしょうね。ムービーにはどのくらいいらしたんですか。
湖川 9ヶ月です。6月に入りましたから。昭和45年の6月。「6月1日からおいで」と言われて、6月1日は無断欠勤で、6月2日の午後にのんびり行ったんです。やっぱ行く気がなくて(笑)。
小黒 初原画は何になるんですか。
湖川 『巨人の星』です。一応断ったんですけども、会社に行ったら、机に遠藤さんのレイアウトが置いてあるわけです。じゃあ、原画やれって事か、と思ってやりましたけど。嫌でしたね。だって、その時はアニメをやる気なかったんですから。
小黒 ムービーにいらした頃は、動画もやりながら原画も描く感じだったんですか。
湖川 そうです。ま、動画が本来の仕事ですから。原画は、遠藤さんからきたものを、ちょこちょこやったぐらいですよね。原画を最初にやったのは、入って何ヶ月も経ってなかったと思います。ちょっと記憶が曖昧になっていますけどね。左門豊作のバッティングのカットが置いてあった時は、逃げました。何をどうすればいいのか分からなかったんですよ。で、3日休みました。そしたらなくなってました。
一同 (笑)。
湖川 卑怯ですね(笑)。
小黒 じゃあ、原画のノウハウを覚えたのは、ムービーを出てからなんですね。
湖川 そうですね。なぜか分からないですけど、ムービーでは何にも教えてもらえなかったんですよ。最初に実際の動画をやれと言われたのは、大判(サイズのカットで)の左門がバットを握って、バットが震えてるというブレの動画なんですよ。当時は、遠藤さんと別の作監の修正も載っていたんです。それが赤い紙で描いてあるんですよ。赤い紙に赤鉛筆だったかな。遠藤さんが直したのを、その作監がまた直していたんです。だから、(原画と2人の作監の修正で)3枚の時もあった。そうすると、こっちは分かんないですよね。「同じの(修正)が2枚あるんだけど、どっちを描けばいいんですか?」と原画の人に聞いたら、「巧いほうを描けばいい」と言われたんですよ。それでトレスして持っていったら、「違う」と言われて。
一同 (笑)。
湖川 いや、困りましたね。訳が分かんなくて。
小黒 遠藤さんの修正を使って、動画にしてしまったんですね。
湖川 そう。いや、見る目は正しかったと思いますよ。
小黒 活字にしづらい話題だなあ。
湖川 いや、名前を出さなきゃいいんだよ、そんなの。
一同 (笑)。
湖川 でも、嘘は言わないよ。(僕は)巧い人は巧いと言うもの。
―― 分かりました。なるべくニュアンスを残して記事にします。
湖川 いや、そういった話も書いてくれて、大丈夫ですよ。別に、僕は自分で画が描けるなんて思ってないですよ。画の世界全体を見たら、凄い人がいっぱいいますから。だけど、アニメの中だけの事なら、客観的に見られますよ。技術的に巧いかどうかなら言えます。だって、アニメの世界の人って、画の勉強してないですから。
小黒 それはデッサンとか、そういう問題ですね。
湖川 そうですね。デッサンと言っても、要は物の見方なんですよ。例えば「デッサン」ってどういうものだと思いますか。
小黒 具体的な事は分からないですけど、物を見て描く事なんじゃないですか。
湖川 そう思いますよね。分からない人はそう思います。今、小黒さんが言ったように、ある物を見て描きますよね。あれは何も意味はないんですよ。だって、誰でも時間をかけて見れば描けますよね。
一同 (笑)。
小黒 誰でもかどうかは分かりませんが、ある程度は描けるでしょうね。
湖川 ええ、描けます。例えば全然画が描けない人を連れてきて、「ここから見える物を描いて」と言うと描けますよ。見たまんまのものを。で、それを何回描いても、勉強にはならないんですよね。力はつかないですよ。何時間か経って「同じ物を見ないでもう一度描けるか」と言ったら、大体描けないですよね。僕は目で見るだけいいんですよ。目だけ。あんまり、デッサンってやった事ないですもん。
小黒 あ、そうなんですか。それは意外ですね。
湖川 ないです。
小黒 日本中のファンが、湖川さんはデッサンの鬼だと思ってますよ。
一同 (笑)。
湖川 いや、本格的なデッサンは、ほとんどやった事がないです。高校のクラブの時に石膏デッサンがあって、1ヶ月に1枚か2枚程度やりましたけど。例えば原画をやる時に、「あ、これ、なんか分からないな」と思った時は描きに行きますよ。本物を見て描くと、分かりやすいんですよ。例えば、上手に描ける本とかありますよね。あれを見て描くのも、写真を見て描くのも駄目なんですよ。本物を見たほうがいいんですよ。若い頃は、本物を描きに行きましたよ。今でも分かんない物があると、行きますよ。
―― それはスケッチをしに行くんですか。
湖川 スケッチに行くんです。で、それは目で見てもいいんですけど、実際に(仕事で)使わなきゃいけないってものは、やっぱり描いたほうが早いんです。本当は目で見るだけでいいんです。画が上手くなるためには目だけで十分ですよ。
小黒 見ながら描く必要はない?
湖川 見て「何だろう」という疑問を持つだけで、絶対に頭の中でスケッチしてますから。
小黒 情報のインプット・アウトプットという事で言うと、自分の中に取り込む技術と、出して定着させる技術の両方があると思うんですけど。
湖川 ないですね。
小黒 ないですか。出すほうは技術いらないですか。
湖川 描く技術の事ですよね。いらないですね。
小黒 取り込む能力に長けていれば、描く技術はいらないんですか。
湖川 それだけでいいです。だって、描くのは脳で描くんですよ。技術ってどこにあるんですか。脳ですよ。手じゃないですよ。僕は小指長いですけど、そういう人が描けるとは限らないし。
一同 (笑)。
湖川 まして、画に興味のある人にとって、こっち(腕)はあまり関係ないでしょうね。感性が鋭い人は線を見ると分かるんですよ。「ああ、この人、独特のいい線を持ってるな」と思う事はありますよ。だけどその人が画が描けるかどうかは別なんですよ。それ(線の持ち味)は感覚的なもので、ひょっとしたら手が持ってるものかもしれないですよね。でも、画を描くという意味ではね……。まあ、画と言っても今日は、アニメの画にしましょうね。「画」と言うと広すぎちゃうんで。
小黒 いまの「目でみれば描ける」というのはアニメの画じゃなくて、美術の話なんですね。
湖川 画の全体が、僕はそうだと思ってるんですけど。本当の事を言えば、腕も必要だとは思うんですよ。それがないと伝えられませんからね。でも、画が上手くなるための勉強は、「目」なんですよ。判断力ですから。電車に乗ってる、自転車に乗ってる、歩いてる時に、周りを見てない人が多いんですよ。そういう人は、アニメは向かないです。そうは言っても、画の勉強をしたいと思っている人達にとっての方法はあります。
小黒 何なんですか。
湖川 それは、クロッキーです。素材は何でも構いませんし、どこでも簡単にできて、画力アップです。人間、動物、車など何でもよいですから、全体を1本線のみで、3分から5分以内で描き上げる事です。観る目も、思考決定も、手の速さも、必ず向上します。と言っても、これも私はほとんどやってませんがね。
一同 (笑)。
小黒 今日の取材は、仕事歴に沿って話をうかがっていこうかと思っていたんですけど、そうじゃないほうがよさそうですね。
湖川 いやいや、いいですよ。今のはちょっとした雑談で。
小黒 雑談のほうが本質かな、という気が。
湖川 いや、僕の話はボンボン飛んじゃうんで。ただ、若い時の話も、技術論は交えていったほうがいいと思うんですよ。
小黒 分かりました。原画をお描きになり始めた頃に、「あ、この人は巧い」と思われたのはどなたですか?
湖川 須田(正己)さんですね。須田さんとは今でも仲がいいですよ。たまに酒飲んだりします。彼は巧いと思いましたね。こんな巧い人いるのか、と思いました。
小黒 巧さにも色々とあると思うんですけど。
湖川 最高級ですね。彼以上に巧い人は見た事ないですね。そうではなく、頑張りが伝わってくる人達は、もちろん結構見かけます。
―― 須田さんの巧さを知ったのは何の作品の時なんですか。
湖川 『決断』ですね。僕はタツノコは『決断』からですから。で、打ち合わせ行った時に、色んな人の原画を見たんですよ。(原画を見ながら)「たいした事ない、たいした事ない……なんだこれは!」って。
小黒 それぐらい違う?
湖川 全然違いますね。天と地ですよ。アニメを長くやって分かったんですけど、アニメーションって本当に画が巧い人じゃないと駄目なんですよ。また、技術論の話になってしまいますけど、漫画家はいいですよ。漫画家は画なんかどうでもいいんですよ。その人の感情で描くから、それらしい画になるんです。漫画は上手いとか下手じゃなくて、作家の感情が入っていればいいんです。それと話が面白ければね。でもアニメは画が下手だと駄目です。画が描けない人は動かせないですから。例えば画が描けても、芝居のセンスがない人は駄目ですよね。タイミングのセンスがない人も駄目ですよね。デザインができるかどうかというのも、また違うんですよ。色も違うし。レイアウトの世界やパースの世界もあるでしょ。アニメって面倒くさいんですよね。僕もアニメの世界に入ってこなければ、もっと楽をしてやってるな、と思うんですよ。だって、パースなんて面倒くさいものです。そんなものを(意識して)、馬鹿だなとか思いながら描いてます。でもね、それは必要なんですよ。例えばね、こういう(小首をかしげた)芝居って、過去にアニメになかったんです。要するに、小黒さんの目がカメラだとしますよね。それで、こうやって話している人物がクッって、首を傾けるっていうのはないんです。
小黒 どういう事ですか。
湖川 今も多いですけど、横を向く時にこういう風に(頭の角度を変えないで、横を向く)向くんですよ。まるで雛人形ですよ。首がこうなってるんです。
小黒 頭が真っ直ぐのまま、横を向く作画があるわけですね。
湖川 はい。人間の首というのは、斜めになっていますからね。脊髄がこういう風に出てますから。普通に首を廻すと、当然、こうなるんですよ(頭をちょっと斜めにしながら横を向く)。それを描くために必要なのが、顔のアオリとか俯瞰なんです。これは俗語ですけれどね。正面を向いていたのが、横を見た時に画が俯瞰になる事で、自然の流れに見える。これが描けないと絶対にできないんです。『(科学忍者隊)ガッチャマン』の時は、みんな、(正確なアオリではなく頭が)傾いた顔を描いていました。画が分からない人は、それを見ても上を見ていると勘違いするんですよ。後の『(科学忍者隊)ガッチャマンII』の時に、九里さんから電話がきて「作監をやってくれ」と言われたんです。「作監はいるでしょう?」と答えたのですが、「それはいいんだ!」の一言で、何本かやりました。
小黒 『F』ではなくて『II』ですか?
―― 『(科学忍者隊ガッチャマン)F』だと思うんですけど。
湖川 『F』もやりました。『II』もやりました。
小黒 『II』は名前は出てないと思うんですけど。
湖川 名前が出ているかどうかは分かりません。でも、画を見れば分かります、全然違いますから。で、昔は須田さんと結託して「俺らは竜の子風の画にしたいね」と話してたんですよ。
小黒 つまり、宮本(貞雄)さん風の『ガッチャマン』は描かないという事ですね。
湖川 ええ。(スタッフの間で最初のシリーズの)当時「虫の子ガッチャマン」と言われていたんです。だって、タツノコの画と違っていましたから。
小黒 宮本さんの画は、そんなに違いますか。
湖川 (吉田)竜夫さんの独特の部分がないんです。(最初のシリーズの時も)僕と須田さんは、作監の画には合わせていませんでした。それを九里(一平)さんが見てくれていたんでしょうね。それで、頼まれて『II』で何本かやりましたよ。
―― 『(銀河鉄道)999』のTVシリーズが始まった頃でしたから、『II』はやられてないのかと思っていました。『II』は何本くらいやられたんですか。
湖川 そんなたくさんはやってないですよ。やっていても1、2本かな?
小黒 僕はごく大雑把な歴史観で、タツノコはリアルでアメコミ調であり、宮本さんの『ガッチャマン』もそうだった。それを発展させるかたちで、湖川さんや須田さんなりが出てきたと思っていたんです。だけど、湖川さんの意識としては違うんですね。
湖川 何がですか?
小黒 湖川さんの中では、吉田竜夫さんの画はOKなわけですよね。巧いと思われるんですよね。
湖川 ええ、巧いですよ。竜夫さんはもともと挿し絵画家でしたし、画力もデッサン力も一流でした。
小黒 宮本さんの画は、吉田さんの画風とちょっと違うんですね。
湖川 ええ。だけど、『決断』で最初に宮本さんに修正された時には、凄く巧い人だと思いました。僕は、アニメをすぐに辞めるつもりではあったんだけど、やる分には覚えたい。巧くなりたいと思っていました。『決断』の時に、『巨人の星』みたいな原画を描いていたんです。兵隊が裸になって丸太を運ぶシーンを、宮本さんに直されて「兵隊はプロレスラーではありません」と書かれていたんです。宮本さんが、修正でリアルな兵隊を描いていました。それで、巧い人だなと思いました。だって、僕は『巨人の星』みたいな体を描いてるわけですから、あのマンガっぽい。しかし、ムービー時代に『巨人の星』はリアルだから、これさえやれば他の何にでも対応できると豪語した人がいたな……。
小黒 『巨人の星』みたいな体というのは、あのむっちりした感じの体つきですね。
湖川 それと『(樫の木)モック』の時にも「ああ、この人(宮本さん)の弟子になれば巧くなるかな」と思った事があるんですよ。『モック』の時にはキャラを覚えるために、キャラクター表に紙を載せて、上から何回も描かなきゃ駄目だと言われたんです。だけど、「いや、それは俺はやりたくない」と思ったし、いまだにやった事はないです。が、作画に対する取り組み方としては理解できます。で、その『ガッチャマン』の時に、僕がアオリを見つけて描いてる時に、「あの人は(アオリが)できてない」と理解したんです。俺ができてるものができない人は、師匠じゃない。もっと凄い人がいるはずだと思ったんです。それで、だらだらと35年経ちました。
一同 (笑)。
湖川 だから、直接的な師匠はいないんです。
小黒 その後、宮本さん以上の人は現れなかったんですね。
湖川 いないです。ま、自分で勉強すればいい事ですからね。

●animator interview 湖川友謙(2)「着地のポーズとサイコロ」に続く

(05.12.13)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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