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animator interview
湖川友謙(6)
画の技術と画の魅力
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小黒 今、それぞれの作品が実験だったという話が出ましたけれど、『ダンバイン』の実験はなんだったんですか。
湖川 『ダンバイン』はね、マニアからミーハーからまで、みんなを引っ張ってやろうという実験です。
小黒 そうなんですか。
湖川 あれは日本のアニメとしは、初めての(ヒロイック)ファンタジーなんだよね。ファンタジーだから、どんな傾向のものでも大丈夫だろうと思って、『ザブングル』の発展形みたいなのを作ったんですよ。だけど、それが富野さんには分からなかったみたいで、ダメ出しをくらってしまって。だったら、皆が好きになってくれるものにしよう。それで気持ち悪いチャム・ファウなんかを作ったんですよ。
小黒 「気持ち悪い」なんて活字にしていいんですか?
湖川 ああ、いいですよ。それは結構言ってますよ。「えーっ、湖川さんはチャムが嫌いなんですか」とよく言われるんですよ。自分の作ったキャラが嫌いだなんて事は、ありえない事です。だけど、本来やりたい世界ではないものにして、作ったものなんです。自分の本来の考え方から言うと、あんな目の大きいのは好きじゃないですよね。
小黒 なるほど。だったら、シーラ・ラパーナはいかがなんですか。
湖川 全然、興味ない。
小黒 エレはどうですか。
湖川 エレはまだいいけどね。俺が本当に思う可愛いキャラって、ああではないですからね。シーラは可愛く作ったんじゃなくて、お姫様に見えればいいかなという程度のものなので。
小黒 マーベルはどうなんですか。
湖川 マーベルはいいですよ。マーベルを最初に作ったんですよ。あの子が中心で(『ダンバイン』の世界観は)始まってんです。
小黒 『ザブングル』の実験は、誰が見ても分かりますよね。美形じゃないキャラクターとか、コミカルな動かし方とか。
湖川 本当はね、もっとやりたかったんですよ。要するに、関節なんかないようなキャラクターをやりたかったんです。『ザブングル』の最初の監督は、吉川(惣司)さんだったんですが、吉川さんは大変に優れた方で、アニメーターから出発して、今では監督、ライターと活躍されてます。『(太陽の牙)ダグラム』のキャラクターデザインもそうですね。『白い牙』の絵コンテもそうですが、作監が、絵コンテの狼以上に描けないと言っていたという話があります。最初に3点のキャラクターを持って吉川さんと打ち合わせをした時に、やはり『イデオン』のキャラをイメージしていたらしく、「そんなキャラを創ったとして、他のキャラはどうするんですか?」と訊かれて、世界観ができればキャラクターは右手が勝手に創ってくれますと答えたら、吉川さんはビックリされてました。
小黒 関節をなくすところまでは、やらなかったという事なんですね。
湖川 そうそう。あんまり先に行ってしまうと、作画も困るだろうなと思って。あの当時のスタッフの中で、ギャグができるアニメーターなんてほとんどいなかった。『ザブングル』は、僕が劇場の『IDEON』が終わって帰ってくるまで、コンテも作画も、1話の変なところだけ真似してたんですよ。あのトロン・ミランが出てくるまで。
小黒 27話(「うたえ!戦士 の歌 を」)ですね。
湖川 トロン・ミランの話で帰ってきて、動きのギャグをやり始めたんです。元々そう思って始めた作品なんだから。中なしでフレームインしたり、潰しや伸ばしをやったり、オバケとか。それで画面が面白くなっていった。それをみんなが真似し始めたんですよ。
―― 1話から、そのスタイルをやらなかったのは、何か理由があるんですか。
湖川 作品ってキャラクターの世界もあるんだけど、お話の世界もあるんですよ。『ザブングル』のお話って、西部劇風のイメージがあって、1話のコンテがそういった部分が中心になっていたんです。無理矢理にギャグやると、そこだけ目立ってしまうようなコンテだったんです。多分、富野さんも1話の段階では『ザブングル』の世界がどんなビジュアルなのか、つかんでいなかったと思います。(作品の内容的にも)調子が乗ってきたのは、ギャグをやりだしてからじゃないですか。まあ、あれは本当のギャグじゃないですけどね。ドタバタになってしまって、ちょっと洒落てるという動きではないんですよ。今もギャグを考えてやろうとしてますが、色々と難しいですね。
小黒 1話の段階から土煙の描き方とか、ちょっとラフな感じで面白かったですよ。
湖川 画のディテールにこだわるんじゃなくてね、動きのディテールだけにこだわろうと思っていたから。ただ、『IDEON』から戻るまでに随分かかったから、その間に、ある程度(『ザブングル』のスタイルが)できちゃうでしょ。実際に、できかけていたんですよ。実は、トロン・ミランの回で方向を修正するのは怖かったんです。でもまあ、多少修正が効いたかなあと思ってますけどね。
―― 『ザブングル』で、『未来少年コナン』的なものを意識していたという事はないんですか。
湖川 いや、そんな事は何も思ってないですよ。さっきも言ったように、大塚(康生)さんのやり方っていうのは、面白ければいいという発想なんです。僕は、彼の動きの作り方は嫌いじゃないんですよ。だけど、僕は遊びではなくて、最初っから計算して作っている。その辺がちょっと違うかなと思います。『コナン』は面白くて見てましたけど、それを目指そうなんて、少しも思ってないです。
小黒 『イデオン』の話に戻りますが、『イデオン』の時の実験は何だったんですか。
湖川 『イデオン』は実験と言うか……。俺が漫画世界の画を描き出したきっかけは、高校生の頃に読んだ、さいとうたかを先生の漫画なんです。その時は、漫画家になる気も、アニメをやる気も何にもなかったんですけど。さいとう漫画の世界の中にね、ドキッとするリアル感があったんですよ。「ボーイズライフ」に「007」を描いていたんですけど、彼が一番巧いんですよ。ところが、俺がアニメの世界に入ってきたら、みんな、描いているものがマンガなんです。どこを見ても、リアルなんてないんですよ。例えば、顔の角度がちょっと変わっただけで、描けなくなるような描き手が多かった。だから、俺は若い頃は技術論でやっていた。要するに、ないものねだりだったんです。誰もやっていない事をやりたいという感じだったんです。アニメの世界へ入ってからも、リアルの刺激はなくならなかったんでしょうね。電車で興味を引く顔がいると、凝視し過ぎて、いちゃもんをつけられそうになった事も、つけられてしまった事も何度もあります。ないものをやりたいと思ったから、『イデオン』はあんな風になっちゃったんですよ。当時はブーイングでしたけどね。大ブーイング。
―― 『イデオン』のキャラデザインがですか?
湖川 大ブーイングですよ。「なんでこんなキャラなんですか」とか言われて。こんなキャラは日本らしくないとか、アメコミの真似だとかね。アメコミなんて目の前を素通りした程度なのにね。
―― 富野さんの反応は違うんですよね。
湖川 いや、彼もブーイングでしたよ。最初に描いたキャラクターは、タッチも入って、もっとリアルだったんですから。それで「新しいものをやりたいと言ったって、誰がこんなのを描くの?」と言われて。それで、あそこまで、マンガっぽくしたんです。
小黒 劇場版『発動篇』は、テレビよりもさらにリアルになってますよね。
湖川 いや、なってないです。同じですよ。
小黒 なってないですか。描き方がちょっと違いませんか。
湖川 最初に思っていたキャラクターのイメージがあって、それを物凄く整理して、マンガにしたのが『イデオン』のキャラクターなんですよ。だから、ちょっとリキをいれて描いちゃうと、最初のイメージに近くなるんです。近くなるのは画じゃないですよ、イメージだけです。それで、ああなったんじゃないのかと思うんです。うーん、青春の思い出ですよ。ああ、今も青春ですけどね(笑)。
小黒 『イデオン』が青春の思い出なんですね。
湖川 はい。(劇場版『IDEON』ほど)あれだけちゃんと時間があってね、キチッと作らしてもらったものは、今振り返っても、ほとんどないですかね。だから、あれはよかったなと思いますよ。今観たって別に見劣りしない。あそこまで究極的にチェックをビシッとすればね、やっぱり作品はよくなるものだという事です。今は時間がなくて、できないですよ。時間がなかったり、予算の問題があったりして。もちろん現在、解決のためのひとつの方向に向かってはいます。
小黒 『発動篇』最後の転生シーンがあるじゃないですか。あそこは作監として手を入れたわけではなく、原画お描きになったんですか。
湖川 ええ、全部描きました。あそこは、他には誰も原画をやってないです。だから、ひどいんじゃないですか。
一同 えーっ(笑)。
湖川 (笑)。随分失敗してますよ。当時は若いから一所懸命にやっただけで。何年か経って、ああ、なんで、あんな変な事やったんだろうなあ、と思ったところはたくさんありますけど。いや、いいんです。あれはひとつの思い出でね。力がなかったんだから、しょうがないです。
小黒 いえいえ。
湖川 今なら、そんなミスより、もっと面白い事をやります。
小黒 ミスなんですか。
湖川 そうね。俺にとってはミスですよね。なんでそんな事が分かんなかったのと思うような事です。動きとか画とか、演出とか諸々の部分で、分かっていたはずなのにできてなかったなという感じですよね。まあ、誰も分かんないでしょうけどね(笑)。自分の中ではそうなんです。
小黒 『発動篇』では、ハルルの部屋も印象的ですよね。ライティングとか。
湖川 アニメの世界って、不思議な世界なんですよ。当たり前の事ができないんです。例えば普通に歩かせる事ができないんです。おっかしいでしょ。いまだにこうやって(足を真正面に出すようにしていてみせる)歩いているんです。こんなふうに歩くやつなんていません。普通は足を外側に回して歩く人が多いんです。そんな当たり前の事をやらないんですよ。ハルルの部屋のドバもそうだけど、ドバはちゃんと歩いてるように見えるでしょう。あれは、足を回してるからですよ。動画まで全部チェックして、直してますから。
小黒 動画までチェックされていたんですか。
湖川 当たり前ですよ。もっとも外注に出したやつは見てないです。ビーボオーの中でやったものは全部見て、中割を直してますからね。だから、綺麗に歩いてるはずなんです。3コマですけど、あれは2コマでやりたかったです(笑)。アニメの世界って、そんな当たり前の事が描けてないんです。例えば、腕組みのポーズひとつとってみても、実際の人間と同じポーズを描かれている事なんか、ほとんどない。いかにアニメーター達が、勉強してないかという証みたいなものでね。観察してないんですよ。絵描きは観察をすべきでしょ。俺はアニメーターは、絵描きだと思っているんです。漫画家は絵描きじゃなくてもいいけれど、アニメーターは絵描きじゃなきゃダメなんですよ。別に漫画家を低く見ているわけではありませんよ。だけど、観察してない絵描きの群れ。酷い言い方してますけど。
一同 (笑)。
湖川 いや、本当です。反発するやつがいたら出てこいってね。俺はよく観察してきましたからね。理論というのは、絶対変わんないですから。誰が何を言おうが、正しいものが正しいですからね。それを知ってるからといってね、面白いアニメが作れるわけではないですよ。だけど、知らないのは素人と同じだと思うんです。
―― 『発動篇』の最後で目覚めないコスモを、キッチンとカーシャが起こそうとする部分がありますよね。まるで因果地平に座敷があるみたいに、きれいな平面の上にいるように見えますが。
小黒 まるで和室にいるみたいな。
湖川 あれ、いいでしょう(笑)。正座してるから、和室と思ったのかもしれないけど。あれは結構気に入ってんですよ。
小黒 あの座りはいいですよね。コンテの段階から、正座で座っていたんですか。
湖川 正座だったか、足を崩していたかは覚えてないですけどね。座ってはいましたよ。もし、コンテの指示が合わないと思ったら、(作画の段階で)立たせただろうと思うけど、あれは座っていていいと思ったんです。だったら、きっちりと正座させた方が面白いと思ってああしたんでしょうね。おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。おトミさんは画が描けない人なんで、イメージだけを伝えるんですね。それは非常に好きですけどね。画を綺麗に描いて、カメラワークの指示も細かく入れているコンテもあるようですが、それよりもずっといいです。彼のコンテは、アニメーターを信頼しているというか、アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。
―― アニメーターにやる気を出させるコンテというわけでも、ないんでしょうね。
湖川 彼の画に対するこだわりがあるので、それがコンテに出てるんですよ。それをアニメーターが誤解しちゃうと変な原画にしちゃいますね。だって、彼は若い頃にドガが描いた習作時代の犬の画を見て、自分には才能がないと思って、画の道を諦めたんですよ。俺は同じ頃に、ピカソが描いた画を見てやる気になったんです。足首から先の石膏デッサンを見て、超えてやろうと思ったんです。その差は大きいですよ。彼は文学を勉強してきて、ああやって作品を作ってる。それはそれで素敵ですよね。でも、彼は画を忘れてはいなくて、当時自分でも描いてたんです。あの人の部屋に行くと、自分で描いた画がいっぱい置いてありました。今でも自分の作品に、新しい画を取り入れようとしている。それで新しい人間(デザイナー)を連れてきていますよね。あれも、画に対するこだわりがあるからですよ。悩みながらやっているんだろうと思いますが、ひょっとしたら、彼に画に対するこだわりがなければ、もっとよいものを作ってるかもしれない。
―― 富野さんと仕事をする機会はないんですか。
湖川 難しいでしょうね。『エルガイム』の後で「1年待って」と言われて、20年経ってますから。
―― でも、湖川さんは『キングゲイナー』の時に、少し手伝われていましたよね。
湖川 いや、あれは彼が頼んできたんじゃないのよ。プロデューサーに頼まれたんです。でも、僕が行ったら、トミさんは喜んでいましたよ。サンライズに行った時に、彼に挨拶しようと思ったら、たまたま、向こうからきた富野さんとぶつかって、そのままガチッと(抱き合うポーズをして)。3分ぐらい(笑)。
―― 抱擁しあったんですか。
小黒 それも3分ですか!
湖川 周りには、俺の事なんか知らない、若いスタッフが大勢いて、みんな「なんだ、これは」という目で、呆然として見ていました。
―― まるで別れ別れの夫婦が再会したみたいな光景ですね。
小黒 富野さんのスキンシップの話は、時々聞くんですが、『イデオン』の頃から、そういったスキンシップがあったわけですか。
湖川 勿論ありましたよ。
小黒 ああ、そうですか(笑)。
湖川 それで、おトミさんが若い子に「いいじゃん、前からこうだったんだから」とか言って。そんな、いつもこんな事やってたわけじゃないよ(笑)。面白い人ですよ。
小黒 面白いですね。
湖川 多分、彼の事は俺が一番知ってるだろうと思う。だって、付き合いが長いですから。タツノコの『破裏拳 ポリマー』の時からの付き合いですから。だけど、彼との作画打ち合わせは5分なんです。それで、5分の後が長いんです。色んな話をするんです。その頃、彼は、僕を年上だと思ったから「湖川さん」と呼ぶんですよ。後になって「もうそろそろ『湖川君』か『湖川』でいいでしょ」とか言っても「駄目! 最初にそう思ったから、駄目」とか言ってね(苦笑)。
小黒 技術論の話に戻りますね。技術的に正しい画を描こうと思い始めたのっていつ頃の事なんですか。
湖川 パースを見つけてからです。21、2歳ぐらいは格好いい画が描きたかった。格好いい画を描くためには、どうすればいいのかという事です。例えばメカでも格好よく描くために、パースが必要だったんです。それだけですよ。
―― 格好いい画を描きたいという事が先なんですか。
湖川 そうです。格好いい画を描きたかっただけ。だから、『破裏拳 ポリマー』とかをやってる頃、演出さん達がラッシュを見ますよね。「あっ、また、これ湖川だな」とかってよく言われてましたよ。女性の身体を描いたり、特にビキニとか、バストショットくらいのキャラに、ちょっとこだわりの影をつけたら、ひどく立体的になってしまって。もちろん単純な一段影です。何、こんな目立つ事してんだとか、そう言われていました。そんなだから、松本(零士)さんと方法論がぶつかったんですよね(笑)。
一同 (笑)。
湖川 パースと言っても、パースを知っていれば何でも描けるわけではないんです。デッサン力も必要です。それがないと、自動車ひとつ描いても、空間を感じられない。絵心もないといけないんです。描き方によって空間があるように見えるんです。
―― パースは技術のひとつで、その上で絵心もないと、よい画にならないんですね。
湖川 ダメですね。感覚もないと。
―― 絵心があって、技術をつきつめていくと、格好いい画になるんですか。
湖川 格好よさは、その前です。
―― その前ですか。
湖川 要するに、格好よく描きたくて、パースを見つけたようなもんですよね。僕の場合は。
―― 結果的にそれを追求していくと、格好悪くなってしまう事もあるんですか。
湖川 ないです。ものを知った事によって、自分がやりたいと思っている事が悪くなる事は、絶対ないです。悪くなったとしたら、見つけたものが間違っているという事ですよ。
―― 技術的に間違っているけれど、格好いい画もあるんですよね。
湖川 ありますよ。それはいいんですよ。画の世界だから。
小黒 別の角度からの話をしますね。湖川さんはアニメーターは、技術を駆使して仕事をする事が正しいと思われているんですよね。
湖川 うーん、技術がないとダメですね。だけど、技術がしっかりしているから、いい仕事ができるとは限らないですよ。それは違います。ただ、アニメーターである限りは、技術者であるわけですよ。技術を磨かないでアニメーターになれるわけがないんです。だって、アメリカの優秀なアニメーター達はちゃんと技術を持っていますからね。だから、凄いんですよ。日本のアニメーターだって、そういう作品を観ているだろうに、なんで発憤しないのかなと思うんです。なぜやらないのかと言うと、やらなくても食えるから。新しい発想も必要だけど、発想がない人は技術を磨けばいい。技術も磨かないで、アニメーターだなんて名乗ってほしくないですね。声を大にして言いたい。今の言葉は、こんなデッカイ文字で載せてくださいよ(笑)。
―― (笑)。
湖川 僕だって、技術というものを全部信じてるわけじゃないですよ。ただ、あまりにも技術がないのは、その人がみじめに見えちゃうんです。ちょっと勉強すれば、もっと素敵にできるのにと思っちゃうんですよね。他人に全ての事を教える事はできないんです。だから、自分で勉強してほしいです。自分の勉強の仕方でしか、吸収はできないですから。俺がやった勉強の仕方を教えれば、全部できるようになるなら、いくらでも言いますけどね。やっぱりそうではないんです。
(多くのアニメーターが)本当の人間の歩きを知らないで、歩きを描いてるわけでしょ。あるいは本当の歩きを分かっているかもしれないけども、実際に仕事で描く時は、今までやってきたやり方で歩きを描くわけでしょ。真実を知らないと、新しい事なんか出てこないですよ。僕は僕なりの見方とか考え方で、歩きひとつでも執着してやってますけど、そうやらないとできないと思うんです。キャラクターの振り向き(の時の頭の角度)だって、言われれば「へー」と感心するんです。首が身体とどう繋がっているかなんて、分かりそうなもんだけど、分かろうとしない。周りの否定が怖いのかな。他人の仕事を見て学ぶのではなくて、他人の仕事を見て安心しちゃうんですよ。こうすれば自分が目立つとか思わないんです。安心の中にいたいんでしょうね。
俺がもしも彫刻家になったとしたら、多分、自分の個性を出して、変な彫塑を作ってると思うんです。「なんじゃこりゃあ」とか言われるようなものを作って、彫塑の世界で変なやつとかって言われて、物作りってそういう野心がないと無理ですよ。「ああ、素敵なアニメだな」と思うようなものを観たいですよね。最近、TVをつけてアニメだと観るようにしてます。面白くしようとしているなあと思うものもあります。たまたま僕が見た回が、そうだったのかもしれないけど、頑張ってるなあと思う。だけど、頑張ってないのが多すぎますよね。アニメなんて何をやってもいいんだという事も、忘れてほしくない。見た人に面白いと言ってもらうために、色々な事をやっているわけだから。
小黒 色々な試みをされてきたわけですが、今後の課題はあるんですか。
湖川 今回は、そういう話がメインじゃないんですか(笑)。これから、その話をしようかと思っていたんですが。
小黒 (笑)。
湖川 俺自身は、そっちのほうが大きいんだけどな。俺がアニメでやるべき事は、何となく分かってきていて、それは実際に動いているんです。決定したら言いますよ。それから、ずっと現場でやってきた人間だから、現場が大事なんですよ。で、現場を離れる事が怖くて仕方ないんです。任せられる人間が出てくればいいですけど、なかなか出てこないんです。感覚が合わないやつに頼む事ではきないし。だから、分かってくれて、できる弟子を育てるのが、今の大きな仮題です。まあ、それは昔からそうなんですけどね。考え方はずいぶん変わりましたけど、基本的には育成の大切さです。
それと問題は、動きですね。自分はもう35年もアニメをやってるんですが、それやらないと、僕はアニメの世界に入っちゃった意味がないんで、動くという事が一体どういう事なのかというのを、もっとビジュアルで示してみたい。今のアニメーターたちは動かないのに慣れちゃってるし、動かすにしても自分の趣味の動きなんですよ。観る人のために作る、プロの心も持ってくれるといいと思っているんです。どの世界も苦から生まれるものは美しいでしょ。アニメの世界であっても、自分がやりたい事がなかなかできないんですけど、状況を切り開いていくのが挑戦なので、楽な事はつまらないし、私は難解に出会うと燃えるタイプらしいです。次は、現在進行形でこんな事をやっているので、見てほしいという話をします。過去の話じゃなくて(笑)。
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(06.01.13)
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