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アニメの作画を語ろう
animator interview
湖川友謙(5)
『火の鳥2772』と『伝説巨神イデオン』


小黒 『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は、レイアウト・メカ作画監修という役職での参加ですね。ご自身の中だと、この仕事は大きな仕事になるんですか。
湖川 大きいですよ。『さらば』とは違った意味で大きいです。だって、手塚(治虫)さんの作品のメインスタッフですから。『火の鳥』の話もワコ(中村和子)さんからきたと思うんです。あの人も一所懸命に仕事をやる人で、描ける人だからね。それで引き受けたというのはありました。あの作品では、メカの設定を作っているんです。メカのデザインとレイアウトをやりました。
小黒 レイアウトを全部描いたんですか。
湖川 全部じゃないです。A、B、Cパートがあって、Bパートは手塚さんが自分で全部やる事になっていたみたいで、やったのはAパートとCパートですね。で、レイアウトの段階で、原画に近いくらいの枚数を描いています。
小黒 Aパートというのは、赤ん坊だったゴドーが大きくなって……。
湖川 あー、もう全然覚えてません。
小黒 (笑)。宇宙に舞台が移ってからが、手塚さんなのかな。ちょっとミュージカルっぽいシーンが入ったりしましたよね。
湖川 手塚さんは自分でやりたかったんでしょうね。制作の人から聞いた話では、Bパートができなくなって、その間に色々あって、ここだけは自分でやりたいと言って残していたカットも、結局できなかったという事らしいです。
小黒 スケジュールの問題なんでしょうね。実際にはBパートのレイアウトは、どなたがやったんですか。
湖川 バラバラじゃないですか。僕も手伝いましたけど。『火の鳥』では(手塚さんが)ゴドーのデザインを、何人かの漫画家やアニメーターに描かせたんです。僕も、描いてと言われて、描いたんです。で、そこから手塚さんの態度がおかしくなったんですよ。廊下で会った時に「おはようございます」とか言っても、ツーンとかって(笑)。
一同 (笑)。
湖川 俺が描いたのは、手塚さん系の画じゃなかったんですよ。リアルなゴドーを描いたんです。火の鳥に会いそうなゴドーはこんな感じだろうと思ったものを描いたんです。それで嫌われたのかもしれないと思いました。その後、Bパートが間に合わなくなって手伝う事になった時に、手塚さんに呼ばれて行ったんですよ。そうしたら、「湖川さんお待ちしてました!」って。あれ、なんだよ、嫌われてないじゃんとか(笑)。どうも面白い人ですよね。手塚さんは周りを惑わしたりもするけど、元々の子供の精神というか、探求心がある。それを活かせるから天才なんですね。アニメはちょっと分かんないですけど、漫画は凄いですよね。画も巧いし、なんでも描くんですから。手塚さんの場合は、俯瞰だろうがなんだろうが関係ないですよね。早いですしね。
小黒 メカ作画監修という肩書きについてですが、メカ作監もおやりだったんですか。
湖川 メカ作監はやってないですよ。ただ、シャーク号を直した記憶はあるなあ。
―― シャーク号のデザインは、別の方がやられたんですよね
湖川 デザインは別の人です。シャーク号で、フレームがふたつ分ぐらいの横長の原画を直した記憶があるんですよ。それを真ん中を長めにして、両端をグーンと向こう側にいくような描き方にしたんです。これがPANした時によかったんですよ。それは覚えています。
―― 当時、ロトスコープ使ったという事がよく話題になって、シャーク号の模型が雑誌に載っていましたよね。
湖川 それはノータッチですよ。実際にそれは使っていましたけど、僕はノータッチです。
―― オルガは描いてないんですか。
湖川 オルガもいっぱい描きましたよ。ただ、オルガは、全部ワコさんが直してました。(画面に出ている)オルガは、全部ワコさんの画です。メカと言えば、手がでかいロボットを作ったんですけど、手塚さんに「手が大きいから、小さくして」と言われて。これを小さくしたら意味ないんだけどなあと言ったんですけどね。それでも、なんとか小さくしてと言われて、小さくしたんです。
―― ゴドーが収容所みたいなところに送られるんですが、そこでシャベルカーみたいなものとか、メカがたくさん出てくるんです。そういったメカも作られたんですか。
湖川 どうでしたかね。メカは何体か作ってるんですよね。あの変な車もそうですよ。前のほうがジャガーっぽくて、後が透明になっている。ゴドーが乗る車だったかな。座席が回転するやつ。
小黒 最初の背動のところで出てくる車ですか。ちょっとかたちまでは……。
湖川 え、覚えてませんか? ひどいなあ、結構気に入ってたのに(笑)。あのヘリは覚えてますか。すり鉢みたいなかたちをしていて。
小黒 ああ、あったような気がします。
湖川 それに追っかけられる車ですよ。
小黒 そのヘリも湖川さんのデザインなんですね。
湖川 ヘリも作ってますね。
小黒 スペースシャーク号以外のメカも、全部デザインされたんですか。
湖川 全部かどうかは。そこまでは覚えてないです。
―― 『火の鳥』では原画としてもクレジットされてるんですけれど。
湖川 だから、そのBパートで原画を描いたんです。
小黒 Bパートは通常のアニメと同じように、原画マンが自分の担当カットのレイアウトと原画を描いたんですね。
湖川 私はそうでした。
小黒 ご自身がレイアウトを描かれたAパートとCパートについては、ある程度、思ったとおりのものに仕上がったんですか。
湖川 なるわけないですよ。
小黒 なるわけないですか(笑)。
一同 (笑)。
湖川 要するに状況説明のところは、パースに則ってきちっと、レイアウトを描くわけですよ。例えば、アオリで階段を降りてくるカットがあったとしますよね。実際にそういうカットがあったんですけど、原画では階段を降りてくる足が、俯瞰の足になっているんですよ。原画マンが(レイアウトに合わせた画が)描けないから。「ええーっ、これでは俺がレイアウトやっている意味がないなあ」と思いました。そんなもんでしたよ。
小黒 ああー、なるほど。
湖川 仕方ないですよ、そういった描き方を知らないから。知らないって怖いなと思いましたけど。僕はレイアウトマンですから(原画の仕上がりに)文句を言うわけにもいかない。変な立場ですよ。自分の仕事としては楽しかったんですけど、自分がレイアウトで意図した仕上がりになっていないのは辛いです。画面に出ている感情が、全然違うんです。そういう意味では、消沈してました。
小黒 話が前後しますが、TVの『999』についてもお願いします。作画監修として名前が出てる時は、全カットの原画をご覧になっていたんですか。
湖川 一応、全部観てました。時間のある限り。
小黒 各話の作監が見た後で、それが湖川さんのところに来るわけですね。さらに修正が必要な場合は、その上に修正を入れる。
湖川 そうです。
小黒 1話から見ているんですか。
湖川 1話じゃないですよ。1話は荒木(伸吾)さん達がやっているんです。
小黒 シリーズ開始時は、荒木さんと姫野美智さんがデザインをやっていたんでしたね。
湖川 彼らのデザインは、どんなアングルでも(鉄郎の)首が肩にもぐりこんでいる画なんです。そういう風になってました。それは辛いと思って、全部直しました。ただ、松本さん調かどうかと言うと、それは俺の画よりも、松本さん調の画だったんです。だから、今ではあの画のほうが良かったかなあと、思うんですけど。僕がキャラクターを変えたのは、5話か6話くらいだったと思います。
小黒 湖川さんのキャラクターデザインを使うようになった話数と、総作監の作業を始めた話数は同じなんですか。
湖川 そうです。それで、制作と喧嘩して『999』を途中で辞めたんです。
―― 小松原(一男)さんが総作画監修だった時期を挟んで、また復帰してますよね。
湖川 いやいや、これが面倒くさいんですよ(笑)。『火の鳥』の話がきたから、『999』を降りたわけではないんです。辞めようと思った時に、たまたま『火の鳥』の仕事があったんです。『999』は、監督が『白鳥の王子』をやった西沢(信孝)さんで、『火の鳥』が終わる頃に西沢さんから電話がきたんです。「湖川ちゃん、『火の鳥』が終わったら戻ってきてよ」と言うんです。「えっ、戻っていいの」「戻ってきてほしいんだ」と言われて。西やんがそう言うならいいやと思って、戻ったんです。
―― でも、『999』が終わる前に、また抜けられるわけですね。
湖川 それは『イデオン』が始まったからですよ。『イデオン』と『999』は、放送が15分重なっていたんですよ。
小黒 そう言えば、裏番組でしたね。
湖川 それは大した問題じゃないと思っていたんですけど、昔、東映の作品でライターが裏番組と重なっていた事があって、それについてクレームがきたらしいんです。そういう問題があって、僕が裏番組の『イデオン』をやる事を、東映側が嫌がったんです。それで西沢さんが話にきて、「湖川ちゃん、『イデオン』をペンネームにしてくんないかなあ」と言うんです。「だけどさあ、西やん。『999』は松本さんのキャラでしょ。『イデオン』は俺のオリジナルデザインなんだよ。俺はどっちを大事にしたいと思う?」と言ったら、「ああ、そうだよな。分かった」って。それで円満にやめたんですよ。
小黒 『999』をペンネームにして続ける可能性はなかったんですか。
湖川 いや、『999』をペンネームにするのはいいよ、とは言ったんです。「うーん」とか言ってましたよ。
一同 (笑)。
湖川 そりゃ、おかしいですよ。今までと同じ画なのに、違う名前の人間がやっている事になったら、おかしいでしょう。こういう、ひとつひとつの作品に付随する話は、いくらでもありますよ。
―― ただ、『イデオン』の頃までは、作品の話と技術の話が切り分けられないような気がしますよ。
湖川 まあ、それはそうですね。20代で見つけたものを活用したのは、多分、30歳前後からでしょうから。ただ、エピソードとしては20代よりも、こっち(『イデオン』を始めた30歳以降)のほうが断然多いですよ。だって、若い頃は一所懸命、作画をやっていただけですから。僕は、25歳までは毎日のようにアニメを辞めようと思っていて、25からちょっと一所懸命にやりだした。見つけた事の確認なんかをして、本(「アニメーション作画法」)を書いたんです。まだ若かったんで、あれも分かりにくい本でしたが。
小黒 いえいえ、そんな事はなかったですよ。それで、いよいよ『伝説巨神 イデオン』ですけれども。ご自身の中でも、相当大きい作品ですよね。
湖川 それはね。『イデオン』は、やっぱり僕の青春の象徴ですから。
小黒 オリジナルキャラでシリーズをやるという事で、最初から意気込んでやられたんですか。
湖川 いや、そういうのは、僕はあんまり感じないんですよ。ただ(初めて自分のビジュアルでシリーズをやる)怖さはどこかにはありましたけどね。ただ、あれは先にキャラクターを作っておいて、ギリギリになってから(制作が)決まったような気がします。キャラクターは富野さんから、キャラの名前と、イメージが書かれた文章だけもらって作ったんですよ。とにかく自分の世界を出したいという事で、一所懸命作っていたような気がします。初めてだからどうだとか、そんな感じはなかったな。最初に作ったのはカララかドバか、どっちだったかな。ドバの最初のラフを作った時に「あ、これが『イデオン』の世界だ」と思ったんです。あれは一発で決まったんですよ。なぜか分からないけど、顎を張らせたかったというのがあって。他の作品がみんな、同じキャラなんで、ちょっと変わった事がやりたいんですよ。(バッフ・クランのコスチュームで)三角ベルト(前の部分が逆三角形のベルト)にしたのも、その当時三角ベルトがなかったからです。『イデオン』が終わって、2年目か3年目ぐらいに、流行ったんですよ。もっと経ってからバッフ・クラン風のファッションが流行ったの。
小黒 そうなんですか。
湖川 あれ、気づきません? 穴あきファッションといわれてるやつですよ。あれはバッフ・クランですよ。
小黒 なるほど。
湖川 先取りするのが好きなんですよ。先取りっていうのは、言葉を変えてみれば、それまでにないものを、適当な事やればいいという事ですからね。
一同 (笑)。
湖川 だって、バッフ・クラン側のコスチュームの元々のイメージは、着物なんですから。だから、脇が空いているんですよ。眉毛を色トレスにした理由は、よく覚えていませんが、多分、変な事がやりたかったんでしょう。色トレスにした事については、俺はとっても変な事をしたつもりだったんですが、周りの反応は薄かったですね。後の『ザブングル』のネジ目とか、『ダンバイン』の影が真っ黒とかは、やたらと「強烈だった」とか言われるんですけどね。色トレス眉毛はないんですよ。おかしいな、とか思いながらキャラクターを作りました。困ったのはね、主人公だけ。
小黒 と言いますと。
湖川 主役とヒロインを作るのは面白くないんですよ。ヒロインはまだ女だからいいですけど、男の主役は作るのが嫌いで。主人公って、何か半端なんです。俺の好みの顔でもまずいし、主役だから色んなシチュエーションに耐えられる顔にしないといけない。ある時は格好よくもあるし、ある時はボケもできるものにする必要がある。(『ダンバイン』の)ショウなんか、その典型ですよね。コスモは格好いいタイプではないと思ったので、ああいう目のでっかい人形みたいな顔にしたんです。で、髪型で困って困って。デザインって世界観ができてると、手が勝手に動いてくれるんですけど、主人公の場合はそうはいかなかった。俺はマルが好きなんで、(カーリーヘアを描いてみて)結構イケるのかなあと思ったんですけど。後でファンの感想を聞くと、やっぱり不評なんですね。「最初はなんじゃこりゃあと思った」という感想が多いんですよ。「素晴らしい」なんていうのは聞いた事ないですからね。
小黒 そうですか(笑)。
湖川 主人公は、大体そうですよ。『ダンバイン』の時はそんな事は言われなかったけど。『ダンバイン』のショウって、日本人だから黒い髪でしょ。あれで黒い髪に、緑のハイライトつけたんですよ。それまでメッシュはありましたけれど、ハイライトは、あれが最初がなんですよ。他ありましたっけ。あの当時。
小黒 黒髪にハイライトですか?
湖川 いや、黒髪じゃなくてもいいんです。今は、何にでもハイライトがついてますけど。それまでに髪にハイライトをいれる事がありましたか。
小黒 当時としては珍しかったんじゃないですかね。
湖川 あんまりないですよね。あんな事をやんなきゃよかったなあ、とか思ってるんだけど(笑)。
小黒 『イデオン』『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』では、キャラクターの色も湖川さんが決めていたそうですが。
湖川 『イデオン』の時に、なぜか分かんないけど、富野さんから「お前が色監督やれ」と言われたんです。だから、あの4作品の色は、全部僕の世界観なんですよ。おトミさんに、口出しするのを許しませんでしたから。「いや、でもそれは」と言われても「駄目!」「……はい」って。
―― (笑)。
湖川 だから、あれは僕の色観です。
小黒 それはキャラクターに関してだけですか。
湖川 いや、メカも。
小黒 美術にも、意見を言ったんですか。
湖川 美術にも、富野さんに「何か注文ある?」と言われて、意見を伝えてもらったんですけど、「えー、そんな事やれっていうの」と言われたらしい。でも、キャラクターの色が決まれば、当然背景もそのムードに合わせてくるでしょう。キャラクターやメカについても、細かいとこまでは決めてないですよ。ゲストキャラも、大体色をつけて渡しましたけど、全部じゃないです。作品ごとの世界観で色も違ってくるから、『イデオン』『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』の4本はそれぞれ色のイメージが違うはずです。僕は色にはうるさいんですよ。昔、色彩設定をやってたっていう人間が、僕の色がどういう発想で色が出てくるのか分からないと言っていました。
―― 『イデオン』の時に、そう言われたんですか。
湖川 『イデオン』の時じゃないです。最近会った人です。そう思っていたと言うんです。要するに、色に限らず、アニメの世界全部がそうなんですけど「やっていい事」と「やってはいけない事」があるんですよ。今までやってきた事が、やっていい事なんですよ。だから、昔から色の仕事をしている人達に、よくクレームつけられました。「これはダメです」とか「ここに、こんな色を使ってはいけません」とか。それを「いいんだ」と言って、全部突っ放してきましたから。例えば「これは膨張色だから、ここに使ってはいけません」と言うんですよ。俺は膨張させたくて使うんだから、いいのって事なんです。
―― なるほど。
湖川 『イデオン』でいうところの地球は、この地球ではないんだけど、まあ、地球側のキャラクターは、我々と印象が違わない色にしているはずです。それに対してバッフ・クランのキャラクターは、色の使い方に飛躍があります。それはちょっと理由があるんです。(サンライズが、セル彩色に使用する絵の具を)『ガンダム』の時に3色増やしたんですね。それで、92色になったんです。だけど、地球側のコスモたちの色を細かくつけてしまったので、色がなくなっちゃったんです。それでも作ろうとしてたんですが、やっぱりダメでした。バッフ・クラン側の世界観が出なくて。それで、使ってはいけない白を(基本色に)使ってしまいました。
小黒 白を使っていけないというのは?
湖川 白は、能力のないやつが使うんですよ。雑誌の世界だって、カバーを白にすると目立つでしょ。でも、あれは無能者が使う、つまり、アイデア不足の時に使用する事で、業界では有名です。
小黒 安易だという事ですね。
湖川 そう。俺はそれはやりたくなかったんですけど、92色じゃ無理ですよ。それで白をベースにして、基本的には髪の毛とどこかを同じ色にしようとか。あれは苦肉の策ですもの。「それが一番バランスいいから、おかしくはならないんですよ」と言って逃げました。今ならシリーズだって200色とか300色とかあるでしょ。うらやましいですよね。
小黒 デジタルだから、色も無限に作れるんじゃないですか。
湖川 無限に作れますね。ところがね、色の感性がない人は――まあ、俺も大した事ないけど――色の感性がない人は、そんなに色がたくさんあると今度は決められないんですよ。中間色が安心だと思ってる人間が多いけど、中間色ばかり使っていくと今度は締まらなくなるんですよ。僕も中間色は好きですけど、どこかに原色を入れるようにしています。そうしないと、印象が呆けちゃうんです。
小黒 『イデオン』のTVシリーズでは、湖川さんの名前が「作画監督」としてクレジットされてる回と、「作画監修」とクレジットされてる回、「レイアウト・作画監督」とクレジットされている回があるんですよ。これはそれぞれ、やられた事が違うんですか。
湖川 いや、『イデオン』は『999』と同じように全部見てるはずですから。ただ、まばらなんですよ。直したところと、直してないところとがある。まだ若かったから、シリーズ全体を見ていくやり方がよく分からなかったんです。シリーズ全体を考えて直すのではなく、気になるところを直そうとするだけでしょ。睡眠時間を削ってなるべく多く直す。そんな感じですよね。『イデオン』の劇場の頃は時間があったので――いや、あると言うほどにはなかったけど――とにかく劇場の時は、他から上がってくる原画は結構捨ててましたから。「ごめんなさーい」と言いながら。
小黒 ほとんど全部捨てたんですか。
湖川 本当は(原画マンが描いた原画を)どこか使いたいんですよ。一所懸命やってくれてると思うから。で、直した後に見ると、残っているのが原画の線1本だったりするんです。気を遣って直して、残すのはそれだけ。それが分かってから「ごめんなさい」と言って捨てちゃうようになったんです。シートから捨てていました。演出が(その原画とタイムシートを)OKしているのにですよ。
小黒 『イデオン』で湖川さんの方法論みたいなものは、ほぼ確立していると思うんですが。
湖川 全然してないですよ。
小黒 してないですか。でも、あの時点での集大成ではないですか。
湖川 技術的な事を言うと、理論の大体がかたちになっているのかもしれない。でも、大体ですよ。それから『イデオン』以降の数年は、俺の中では全部が実験なんです。それまでやってきた事を確かめるための実験なんです。作品が変わっても、自分のスタイルを変えない人もいるだろうけど、僕は、作品ごとに作品に合ったキャラを作った。それも実験なんですよ。面白い実験でした。実は『エルガイム』の後も、やってみたい実験があったんですけど、おトミさんが「『(Z)ガンダム』が入っちゃったんで、1年待ってくれ」と言ってくれたんです。
小黒 そういう事だったんですか。
湖川 そうですよ。色々企画が上っていて、「これは絶対、俺がやる」と言ってたのがあったんです。だけど、その話をしてる最中に電話がかかってきて、「『(Z)ガンダム』が決まった」って(笑)。それからも20年経ちましたからね。もうないでしょう。
小黒 その時に決まりかけていた企画が、別のかたちで実現したという事はないですか。
湖川 それは実現してないね。

●animator interview 湖川友謙(6)「画の技術と画の魅力」に続く

(06.01.06)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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