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animator interview
なかむらたかし(1)


 なかむらたかしの登場は、衝撃的だった。
『Gライタン』や『幻魔大戦』といった作品での彼のアニメートには、それまで一度も見た事がなかったような圧倒的な迫力と、リアルさがあった。素晴らしい「動き」の魅力に満ちていた。
 フルアニメ的にふんだんに枚数を使い、それと同時に日本のアニメならではのタイミングを持った、新しいスタイルのアニメーションだった。常にアニメート(animate=動かす)する事にこだわり、その魅力を追究した作品を発表している彼。その独自のアニメーションの秘密を探ってみよう。


2000年11月11日 東京・荻窪
取材・構成/小黒祐一郎
PROFILE

なかむらたかし(Nakamura Takashi)

1955年生。山梨県出身。アニメーター・演出家。タツノコプロから、アニメルーム等を経て、現在はパルム所属。『幻魔大戦』『Gライタン』『未来警察ウラシマン』『迷宮物語』等で見せた緻密かつ高密度のアニメートは、多くのファンやアニメーター達に衝撃を与えた。他の代表作は『AKIRA』『バニパルウィット』等。現在は監督として新作劇場作品を制作中。

【主要作品リスト】

小黒 昔の話から聞いていいですか? なかむらさんは、この仕事を始める前にはアニメに関してどんなイメージを持っていたんですか。
なかむら 俺は昭和30年生まれでしょう。38年くらいからTVで『鉄腕アトム』の放送が始まるじゃないですか。その時代の作品の印象が、強烈だったんですよ。『アトム』、『鉄人28号』、『宇宙エース』、『宇宙少年ソラン』等、挙げればきりがないほどで、夢中になって観ていました。今でも当時を思い出すと心が波立つほどです。
 その頃の作品は、今観ると技術的には稚拙なんだけれど、でも、自分が前向きにアニメーションを作りたいと思った時に立ち返るのは、やっぱり、その頃に観たものなんです。子供の頃に観たアニメが、自分にとっての「本物」なんだという気がする。それが自分がアニメーションを作る動機の、ひとつの拠り所というのか、原動力になっている。勿論、今の作品はクオリティも上がっているし、演出も確かなものになっているんだけれど、それを観て自分が奮い立つ事はありません。それが今の自分が、アニメが子供のためにあり、子供の吸引力になるものだと考えてしまう、大きな理由ですね。でも、すでにアニメが子供のためだけのものではないということも分かってはいますが。
小黒 『アトム』等のTVマンガが好きだった事が、アニメ界に入る直接のきっかけになるんですか。
なかむら 子供の頃は、むしろ漫画が好きだったんですよ。雑誌の「少年」とかを読んでいてね、アニメというよりも漫画家に憧れてたんです。アニメーションというものの実体を知ったのは、タツノコに入ってからなんですよ。漠然とした知識として、アニメーションと漫画が違うというのは知っていたけど、その違いが明らかに分かったのはタツノコに入ってから。そこからですね、アニメーションに惹かれたのは。
小黒 タツノコプロには、かなり若い頃にお入りになっているんですよね。
なかむら 16歳かな。俺はタツノコに入る時にも、吉田竜夫さんや九里一平さんを漫画家として知っていたので、しばらくは入ってからも漫画を描きたいと思っていて、その入り口がアニメーションでも良かったんです。
小黒 実際にタツノコに入られて、いかがでした。
なかむら あの頃は、まだ子供だったからね。俺は山梨の片田舎で育ったんだよ。その頃、タツノコは『決断』とかをやっていたから、仕事部屋にプラモデルがあったり……。『決断』って知ってる?
小黒 知ってます。「アニメンタリー」ですね。
なかむら そう(笑)。セル画があったりとか、作画用の人形が置いてあったり、プラモデルが置いてあったり、そういう場での仕事ができるということが、単純に嬉しかった。そういう空間がね、田舎に育った子供にしてみれば夢の世界だったよね。 その後、タツノコに、アニドウに所属して、アニメーションに詳しい人が入ってきたんです。石之(博和)さんという人なんです。知らないかなぁ。石之さんをきっかけに、アニドウに遊びに行くようになって、色んなフィルムを観せてもらいました。よく上映会をやっていましたから。それまでは、そういう活動というものがあるという事自体、知らなかった。マクラーレン、アレクセイエフ、北欧系のアニメーション、大藤信郎さん、政岡憲三さんの作品等、色んな作品を観て「こんなものがあるのか」と思った。ただ、その時の気分は、具体的に技術の採り入れを考えるという事ではなかった。アニメーションの幅の広さや奥行きを考えさせられて、戸惑ったのを覚えてます。
小黒 それは10代の頃なんですか。
なかむら まだ、17、18歳ぐらいです。『(太陽の王子)ホルスの大冒険』もその頃に観た。オープロか、Aプロで『ホルス』の上映会をやるという話を聞いて、そこに見に行ったんですよ。なかなか観る機会がなかったからね。
小黒 その段階で、すでに『ホルス』は、知る人ぞ知るっていう作品だったんですね。
なかむら みんな、よく話題にしていたからね。アニドウなんかに行くと原画とか置いてあってね。子供の頃からTVアニメを観て育ち、名作と言われる作品に刺激され、現実に動かす事に関わり、「なるほど、自分達の作業のその先には、ああいった魅力ある空間が広がっているのか」という事に驚いた。特に『ファンタジア』なんか、「同じ作画、同じ特殊効果を使って、なんであんな事までできるんだろう」と思った。動かす事を極めていく事で、ああいうクオリティの高いフィルムができていく事に、純粋に惹かれたんです。
小黒 当時、そう思ったのは主に、ディズニーの作品なんですか。
なかむら そう、ディズニー。『ホルス』もそれと同次元にあったけれど、日本人が作っているという事で、もっと身近だった。それで、現実に自分が関わっている仕事の向こう側に、そういうクオリティの高い作品があるという事に驚いたのと同時に、そこをひたすら目指した……目指したと言うのはオーバーかもしれないけども。その辺からだろうね、自分のアニメーションに関する志向が決まったのは。
小黒 『ホルス』以外の東映の長編で、影響を受けたものはありますか。
なかむら そうだね、『わんぱく王子(の大蛇退治)』や『どうぶつ宝島』かな。
小黒 『白蛇伝』や『西遊記』までは遡らないわけですね。
なかむら 『西遊記』は、小学校の頃に体育館でやったのを観た記憶があるんだよね。そういう次元では振り返ることはできるけども、具体的に自分の仕事に影響したという事は、あまり無い。『わんぱく王子』や『ホルス』の方が、感覚的に、もしくは生理的に受け入れられた。線の描き方だとか、動きのタイミングとかを含めて。それと、この2作品には自分が子供の頃観たアニメに対して持っていたのと、同じ気分があったのかもしれない。
 それと同時期に、タツノコで『(科学忍者隊)ガッチャマン』が始まって、そこで、須田(正己)さんというアニメーターを知ったんです。(注1)
小黒 なかむらさんにとって、須田さんの存在はかなり大きいんですよね。
なかむら 須田さんはタツノコ社内で仕事していた人じゃないから、顔も知らなかったし、俺は動画マンだったから、須田さんの原画を動画にしていただけなんだけど。須田さんの原画がフィルムになった時の滑らかさが、他の原画マンのものとは明らかに違っていた。身近にいる存在で一番最初に意識したアニメーターが、須田さんだったのかもしれない。
 アニメーションというのは、身体や物がいかに自然に動いていくか、そのラインを作っていく事が、大事なんです。(形の)伸ばしだとか、(動きの)詰めとかがあって、ポイントポイントに的確に原画が入っていると、綺麗な運動曲線を描く。それが須田さんの原画にはあって、須田さんはそういう表現をしていた。フィルムになった時、綺麗に見えるし、動画も割りやすい。途中で唐突に動きが変化しない。そういう須田さんの仕事を、目の前で見る事ができて、かなり影響を受けました。







(注1)須田正己
『科学忍者隊ガッチャマン』の主力アニメーターの一人。他にも『宇宙の騎士テッカマン』『ゴワッパー5ゴーダム』等のタツノコのリアル系アニメで活躍している。他の代表作に『地球へ…』『北斗の拳』等がある。
小黒 宮本(貞雄)さんからの影響は無いんですか。(注2)
なかむら 影響は受けていないんじゃないかな。宮本さんの画力はね、生の画を見れば分かるけどね、凄いんですよ。宮本さんは『ガッチャマン』の作画監督だったから、仕事ぶりは見ていたし、直接話もしたけど、影響を受けたとしたら、アニメーションとは別なところかもしれない。デッサンとか、そういう事かな。うーん、そこはよく分からないね。
 俺、基本的に原画を描き始めるのはタツノコを出て、アニメルームというスタジオに行ってからなんです。アニメルームという会社に入ってから、非常にのびのびと原画を描いたのは、今でも鮮明に覚えてる。
小黒 タツノコを辞めて、すぐアニメルームへ?
なかむら 違う。ちょっと漫画を描いて、出版社巡りをしたり、グズグズしていた時があるんです。タツノコを出る前に、一度、動画を辞めちゃって、笹川(ひろし)さんの下で演出をちょっと……。
小黒 えっ、そうなんですか?
なかむら タツノコを出る前に「お前、原画は無理だから、他にやりたいものないか」って言われて。それで演出課に回されて、笹川さんの絵コンテの清書とかを、一時期やっていたんです。『いなかっぺ大将』かな。その次のシリーズかな。
小黒 『てんとう虫の歌』ですか。
なかむら あっ、そうそう。『てんとう虫の歌』だね。あれの1話か2話の絵コンテの清書をやった記憶がある。ちょうどその頃は、タツノコも人が大勢、出ていったりして、大変な時期だったんだよ。
 それで、演出課に行ったのはいいんだけど、「これでいいのかなって」って思って。それで、演出課に3ヶ月ぐらいいたのかな。それで、ある日、「辞めます」と言って辞めちゃったのかな。それから漫画を描き始めて、あるいはバイトみたいな事をして。その後に、和光というスタジオがあって。和光って知ってます?
小黒 和光プロダクションですね。
(注2)宮本貞雄
『科学忍者隊ガッチャマン』の作画監督で知られるアニメーター。それ以前の作品に虫プロの『リボンの騎士』や『千夜一夜物語』がある。
なかむら そうです。誰だったかな。誰かに誘われて、和光プロダクションに行って。『アンデス少年 ペペロの大冒険』という作品をちょっとやって。そこで宇田川(一彦)さんと知り合って、アニメルームに移った。まあ、そんな感じだよね。タツノコから、アニメルームに行くまでが1年くらいあるのかな。それで、アニメルームで原画を描き始めたんですよ。その頃の仕事が『まんが日本絵巻』とかね。(注3)
小黒 『日本絵巻』では、確かキャラデザインもおやりでしたよね。
なかむら そうそう、キャラデザインをやった話もあった。
小黒 「むかで退治」ですね。
なかむら そう。あの頃の流行の昔話もののTVアニメです。あのスタイルは、途上のアニメーター達にとっては楽しめるものなんです。ある程度、各話のスタッフが、自分なりのキャラクターや演出で作って構わないという自由さがあって。
小黒 『ヤッターマン』もアニメルーム時代ですか?(注4)
なかむら そうだね。
小黒 いつぐらいまで、アニメルームにいらしたんですか。なかむら 『(科学忍者隊)ガッチャマンII』『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』……。
小黒 『闘士ゴーディアン』は?
なかむら 色々な事情があって、アニメルームが解散しちゃったんだよ。それでグリーンボックスに吸収されるみたいな形になって。それで、グリーンボックスで『ゴーディアン』の作画をやったんだよ。グリーンボックスって、知ってる?
小黒 西武池袋線の電車の中から見えたスタジオでしょ。確か、畑の向こうにあって。
なかむら そう(笑)。よく覚えてるねぇ。そこで『ゴーディアン』とかをやったんだよね。そこにも1年くらいいたのかなあ。
小黒 1話でゴーディアンの足が、敵のメカを踏み潰すところは、なかむらさんの原画なんですか?
なかむら いや、覚えてない。オープニングをやったのは覚えてるけど、本編もやってるのかなぁ。





(注3)『まんが日本絵巻』
77年から放映された作品で、日本の歴史上の人物のエピソードをとりあげるオムニバスシリーズだった。各エピソードのキャラデザインを担当アニメーターが担当するというスタイルで、彼は8話A「俵藤太の大むかで退治」で初のキャラデザインを経験している。ちなみに、彼の初原画は『ブロッカー軍団IV マシーンブラスター』。

(注4)『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』
この作品で、彼はかなりの話数に参加。シリーズの途中からは作画監督になっている。
小黒 やっていますよ。確か作画監督もやっていますよ。(注5)
なかむら あっ、本当。じゃあ、そうかなぁ。
小黒 オープニングは、まるまるやってるんですか。
なかむら まるまる……だったかなぁ。やってる事は確かなんだけどね。
(注5)『闘士ゴーディアン』
14話、18話の作画監督を担当。他に第1話等で原画も担当。


●「animator interview なかむらたかし(2)」へ続く

(00.12.06)


 
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