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第7回
佐藤竜雄・片渕須直対談(2)


―― じゃあ、今度は片渕さん、お願いします。コンセプトはなんですか?
片渕 先駆的なものとか、それによって道が拓けたっていうものを基準に選んでみました。

●片渕須直(演出家)が選んだ 「先駆的な20本」(年代順)

オスカー・フィッシンガーの一連の作品(1920年代〜)
『スーパーマン(Superman)』「メカニカルモンスターの巻」(1941)フライシャー兄弟 「パペトゥーン(Puppetoon)」シリーズ(1941)ジョージ・パル
『やぶにらみの暴君(La Bergere et le ramoneur)』(1952)ポール・グリモー
『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)芹川有吾
『少年ジャックと魔法使い』(1967)藪下泰司
『悟空の大冒険』(1967)杉井ギサブロー
『九尾の狐と飛丸』(1968)八木晋一
『ど根性ガエル』「かんかんアキかんの巻」[73話Aパート](1972)長浜忠夫
『霧につつまれたハリネズミ(Ежик в тумане)』(1975)ユーリ・ノルシュテイン
『母をたずねて三千里 デ・アミーチス原作「クオレ」より 』(1976)高畑勲 NASAによるボイジャー・ミッションの映像(1977)
『ナーザの大暴れ(那咤閙海)』(1979)王樹枕 ※咤は宀(ウカンムリ)なし
『セメダインボンドとG17号』(1979)はらひろし
『伝説巨神イデオン』(1980)富野喜幸
『人間うごくいのお』(1980)池田成
『ロビンソンと仲間たち(ROBINSON & COMPAGNIE)』(1990)ジャック・コロンバ
『マーメイド(The Mermaid)』(1998)アレクサンドル・ペトロフ
「日本コカ・コーラ Qoo」シリーズ(1999)小原秀一
『ミュータント・エイリアン(Mutant Aliens)』(2001)ビル・プリンプトン


片渕 まず挙げちゃうのが、『やぶにらみの暴君』。合わせて『スーパーマン』の「メカニカル・モンスター」も挙げちゃいましょう。「メカニカル・モンスター」に出てくるくらいの大きさのロボットって、その後、あまりないよね。
佐藤 あの大きさはちょっとないですね。
片渕 微妙な大きさですよね。
佐藤 あのロボットの中にロイス・レインが隠れて悪者のアジトに侵入……って、どんなメカなんだよ。
片渕 中は空洞なのか?(笑)
佐藤 あの中に女の人が乗るっていうところでも影響があるんだねえ。
片渕 それから、佐藤さんのとちょっとダブるけれど、今、CGで色んなものを作っているでしょう。ああいうCG表現の先駆けになっているのが、オスカー・フィッシンガーの作品やジョージ・パルの「パペトゥーン」。にも関わらず、ちゃんと観てる人は、今あまりいないような気がするんですね。そういうものも押さえておいてCGに挑戦した方が、面白いんじゃないか、という気がする。
―― なるほど。
片渕 続けて、『老人と海』を監督した、アレクサンドル・ペトロフの作品。これは『老人と海』じゃなくて、『マーメイド』を挙げたい。『老人と海』って、完成されすぎちゃって、ある意味、実写に近寄っているから、普通に見えちゃうんです。ところが、その前に作った『マーメイド』には、日本のアニメのニュアンスが感じられるところがある。それでいて、油絵で、髪の毛まで動かすんですよね。描き直したせいで、背景の空までぐにゃぐにゃ動いてしまうけど、そういうのも構わないで、むしろ味にしちゃう。CGに頼らずに全編油絵っていうのは、やっぱり凄かったな、と。
 次に挙げたいのは、『人間うごくいのお』。これは、最近では『犬夜叉』を監督していた池田成が、学生の頃に8ミリで撮った作品で、本当に面白かった。自主制作なんで、どうやって観てもらったらいのか分からないんですけど。テニスコートのフェンスに人間をぶら下げて、ちょっとずつ動かして、コマ撮りするんですよ。で、コートをグルーッと一周する。勿論、マクラーレンはマクラーレンで偉大なんですけど、ちゃんとそれを手中に収めて作った感じがあったんですよ。
佐藤 ちゃんとネタにしてましたよね。
片渕 そうそう。池ヤンの事は、あれで凄いな、って思った。自主制作で言うと、これも仲間内になっちゃうんだけど、はらひろしさんっていう、今は愛知県で歯科医をやってるんだけど、その人が作った『セメダインボンドとG17号』。これは、全部紙に描いて、自分で動画までやって、水彩絵の具で色つけて、1コマで動いてる。ああいう作品を作り込んじゃう力みたいなのは凄いと思ったね。
佐藤 よく恵比寿のスペース50に観に行きましたよ。
片渕 そうですか。
佐藤 最近だと、NHK教育TVでもやってたけど、あれは新作ですか。
―― 『ミスター・ボンド』ですよね。そうです、新作です。
片渕 あとは、『わしゃあ、サンタだ!』とか。
佐藤 懐かしいな。
片渕 はらさんは、当時学生だったんですけど、家に帰ってから寝る前に絵コンテの1コマを必ず作画した、というからね。これを聞いたときは、とんでもない事をやるなあ、真似できない、と。
佐藤 それを日課にしてるのは凄い。
片渕 そこまで含めて凄いなって思いました。
―― 次はなんでしょうか。
片渕 最近では、CMなんだけど、「Qoo」かな。
―― ああ、小原秀一さんの。
片渕 そう。小原さんに「アレがいい」と言うと、ブツブツ言われるんですけど(笑)。でも、あれは表現として非常によくできてて、「動き」でもってきちんとオチがついてる。ああいう表現の道もあるんだ、道は探せば色々あるんだな、って気がする。そう考えれば勇気づけられると言うか。そういう道を、ちゃんと見つけてきた人がいるんだから、探せばきっと俺の道もあるんじゃないかと思える(笑)。
―― 『アリーテ姫』的な考え方ですね。どんなメディアでも、キャラクターでも優れた表現は成り立つ可能性がある、という事ですね。
佐藤 行き詰まるにはまだ早いからね。単に見つかってないだけだと思うから。
片渕 そういうわけです。
佐藤 小原秀一さんや、月岡貞夫さんのCMアニメーションはよいお手本ですね。
片渕 また話が飛ぶけど、CGでアニメーションをやってるのを見て、本当に意表を突かれたなと思ったのが、アメリカがパイオニアやボイジャーを打ち上げたときにNASAが作ったプレゼン映像があったじゃないですか。木星の周りでグルッと回って、土星の環の表面をかすめるやつ。あれを観たときに、なんて凄いアニメーションなんだろうって思ったんですよ。あの環の中をスッとくぐり抜けていく、あの気持ちのよさ。あれは押さえておきたい。
―― それって、観られないのでは?
佐藤 いや、でも、ディスカバリーチャンネルなんかでは、昔のシミュレーション映像を流す事があるから、運がよければ見つかるかも(笑)。
片渕 単に現象を再現すればこうなるんだ、というのを超えて凄かった気がしますね。感銘を受けた。あれもアニメーションなんだなって思って、こっちもうかうかしちゃいられない、って思わされました。
佐藤 単なる表現というものを超えて、観る方に色んなもの抱かせちゃう。そういう事がありますからね、アニメーションは。だから、攻め方は色々ありますよね。画から入っていく手もあるし、それ以外にもあるだろうし。
片渕 俺は、こんな事やってしまう人がいるんだ、っていう作品に、とにかく感銘受けますね。それで言うと、『ミュータント・エイリアン』を挙げたいな。これは、知ってます?
―― いいえ。
片渕 インディペンデントでアニメを作っている人がいて、その人が作った長編なんです。演出も作画も多分1人でやっていて。内容も画も下世話の極みなんだけど、とにかく凄い。あの画は1人でなければ描けないと思うんですよ。本当にびっくりしたからね。80分くらいで、わりと最近の作品なんです。名前が思い出せないんだけど……あ、思い出した、ビル・プリンプトンだ。
―― ああ、分かります。わりと緻密なタッチの風刺画みたいな感じの画を描く方ですよね。そういう人物の顔が、下品につぶれたり変形したりするアニメを観た事がありますよ。広島国際アニメフェスティバルで。
片渕 そうそう。他にも『セックス&バイオレンス』なんて短編も作ってたり(笑)。とにかく下世話なんですよね。それも、ラルフ・バクシのような思想がかってない、まったくの下世話(笑)。それで80分作ってしまう力というのは、俺は凄いなと思う。
―― そうですね。
片渕 バクシも、観てると下世話なんだけど、深刻になってしまうじゃないですか。
佐藤 バクシもミュージッククリップはいいんですけどね。
片渕 で、また全然違うものになってしまうけど、『霧に包まれたハリネズミ』。あれは観ていて気持ちよかったな。あとであれがマルチプレーンで撮っているという事を知った時には、やられたなと思ったんです。そういう意味では、手堅い技法をもの凄く巧みに使ってるのね。あの霧の中から、色々なものが見えてくるのも、中段にライト当てないでおいて、上段に持ち上げてくると、影だったものが光が当たって霧の中から出てくるように見える。
佐藤 ああ、そうか。そうやってたんですね。
片渕 あれは、技法的にもあとで知ってびっくりさせられました。
佐藤 カメラを使うというのも攻め方ですよね。画で攻めるというやり方が、アニメーションの場合色濃いけど。でも、立体アニメーションではなくても、被写界深度なんかを上手く使って雰囲気が出せる。
片渕 俺は、アニメーションでピントがボケるのって好きではないんですよ。そういうものを観ると、実写だろう、と思ってしまう。せっかく画で描いているのに、って思ってしまうんです。でも、『霧に包まれたハリネズミ』はピントがボケているのもいいなあ、って思わされた。
佐藤 フライシャーもよく使ってるじゃないですか。模型を作って。ああいうのは、それはそれで変で面白いんだけど所詮は描き割りでしかないし。
片渕 うん、そういうのは実写だなあ、って思うんですけどね。で、次が、これはダブってしまうけど、『わんぱく王子の大蛇退治』。俺は、佐藤さんと別のところで、大塚さんと月岡さんのやった、空中戦のシーンを。あれは、やっぱり戦闘シーンの原点でしょう。
佐藤 あれは、よく殺陣を考えてますよね。いろんな場所を飛び回って、それぞれの首を倒すシチュエーションも変えて。
片渕 佐藤さんが「平面なのに立体だ」って言ってましたけど、あのシーンだけは、本当に立体なんですよね。
佐藤 そのものですね。
片渕 空間からして全部立体なんですよ。
佐藤 あそこだけ、いきなり立体になって、ハッとさせられるんですよね。
片渕 俺は、あれはリアルタイムで観たんですよ。だから、あんなに立体で動くアニメーションの画作りというのは凄く驚きだったんです。
―― それまでがずっと平面だから、感動もひとしおになるわけですね。
佐藤 導入でクシナダ姫が、妙に艶めかしくあとずさるんだよね。あの辺からスイッチ入るんだ。
片渕 首1個落とすたびに「一丁上がり、二丁上がり」っていうのは、『七人の侍』だよね。あれは活劇には重要な要素なんではないかという気がする。『七人の侍』のその部分を汲んだのか、って思うんですよ。
 それで言うと、この間から気になっているんだけど、日本のアニメーションは途中から止まったからいいっていう話があるんですよね。大塚康生さんが、「日本のアニメーションがよくなったのは、全部動かさないで止まる要素を持ち込んだから」って言っているんですよ。
―― 動きの緩急の事ですか?
片渕 「間」。「思い入れの間」が日本人には必要なんだっていうんです。それで言うと、『ナーザの大暴れ』でね、バーンって見栄を切った時に、顔のアップでパッと止まる。ああいう表現は、そうした「思い入れの間」を最大限に生かしたんじゃないか、と思えるんですよ。逆に欧米では、そういう「間の文化」みたいなものがないのかもしれない。
佐藤 あれですね、見栄切って首をかっ切るところ。
片渕 首をかっ切る瞬間バッと止まるでしょう。あの間の凄さ。絵は止まっていたって、ちゃんと主張するじゃないか、という事なんです。それは、そこに持っていくまでのシチュエーションの組み立てもあるんでしょうけれど。でも、そこで止める事の威力というのも、やっぱりきちんと押さえておくべきかな。間の威力みたいなものは、知っておくべきじゃないか、と思うんです。CGのものって、動きがちじゃないですか、あれは気持ちがこもらないかもしれない。
佐藤 アニメじゃないんだけど、インドネシアの影絵も止めが入りますね。アジアの芸能は、ムードを最高潮に持っていく前にブレイクと言うか間が必ず入るんですよ。やっぱり独特なんですかね。
―― 片渕さん、他には?
片渕 あとはオーソドックスに『母をたずねて三千里』を押さえておこうかな。最近考えているんですけど、今の日本のアニメーションがどこか娯楽一辺倒でなくなっている、その原点ではないかと思ってね。
―― ええっ?
片渕 日本のアニメは、割と早い時期に、活劇的娯楽に飽き足らなくなった。そのどの作品もが『三千里』から血を受けているんじゃないか、っていう意識があるんですよ。それは、『エヴァンゲリオン』の綾波がどう見てもフィオリーナの生き写しだ、みたいな事まで含めての事なんですけど(笑)。
―― まあ、直接影響があるかないかは別にして、『三千里』は、そういう日本のアニメ的な香りの原点のような作品だ、という事ですか。
片渕 要するに、単純に「えーい、やっつけてやる」みたいな事を言ってられなくなっちゃった。そういう状況っていうのが、日本では(アニメが作られるようになって)すぐに来ちゃったわけじゃないですか。『ゲッターロボ』の後ぐらいにね。その時にどうするか、という事で言うと、ロボットものが先を行った部分があるでしょう。それで言うと、『伝説巨神イデオン』も押さえておきましょう。
佐藤 ああ、いい流れですね。
片渕 富野さんが何から血を受けてそういう流れにいったのかってのは、こう言えばなんとなく分かるじゃない? それから『エヴァンゲリオン』に至る流れも分かりやすいんじゃないのかな、って思う。これで、19本ですよね。
―― それでは、最後の1本を。
片渕 そうですね……。この前、フランスに行った時、向こうの監督と会うというので、その人の作品を見せられたんですよ。それが、『ロビンソンと仲間たち』という作品。こういう長編をきちんとフランスで作っているんだなあ、って驚いたんです。子供向けの作品ではないんですよ。一種、普通の社会では生活できなくなったロビンソン・クルーソーが、孤島に漂流したら、快楽だという話なんですよね。フライデーも疎外された者でね。疎外された人間ばかりが集まって、最後に孤島を捨てて、どこかに船出をしちゃうという、とんでもなく変な話ですよ。そういう一種のアニメーションとしてまとまった作品性というか、作家性みたいなものは、余所にもあるという事は覚えておいた方がいいかなって。
―― という事で、お2人に挙げていただきましたが、ずいぶんアカデミックになりましたね。アニメスタイルっぽくないと言うか(笑)。
佐藤 俺も『フリクリ』とか入れておけばよかったかな(笑)。最初入れてたんだけど、結局外しちゃったんだよね。
片渕 でも、小黒君とは『イデオン』はダブってますね。あと「かんかんアキ缶」もダブった。『三千里』もダブってるよね。
―― 竜雄さんも「かんかんアキ缶」を挙げていますね(笑)。
片渕 色んな立場から見ていった時に、接点が凄くあるんですよね、「かんかんアキ缶」って。アバンギャルドだったりするし。実は間の溜め方なんかで見ると、アニメの演出とは何かって事にもなるし。
佐藤 ビデオになってないんですよね。意外とAプロの代表作ってのは、ビデオで観られないんですよ。
片渕 結構色々なアニメーターが、『ど根性ガエル』に感化されてこの業界入ってきているのにね。
佐藤 知識としてのAプロはあるけど、実際の部分は若い人には分からないですよね。入門するにしたって、観られないんだから。今、アニメをもっと観たいと思う人でも、「僕はAプロが観たいんです」とは言わないと思うから、そのあたりは、アニメスタイルでも今後プッシュしていってほしいよね。
―― そうですね。「かんかんアキ缶」を手軽に見られるようにしてほしい、というところでお開きにしましょう。

●2002年4月4日
取材場所/東京・スタジオ雄
司会/小川びい・小黒祐一郎
構成/小川びい・小黒祐一郎

 

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(02.08.30)

 
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