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第21回
神山健治の「監督をやるなら観ておきたい20本」(2)
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―― 5、6、7と『ルパン』が続いてますね。
神山 『ルパン』が続いてます。これも最早古典になりつつありますけど、まずTVシリーズの方は言うまでもなくて。
―― 勿論、旧シリーズですよね。
神山 旧シリーズですね。これもアニメという、本来子供向けであると思われていたメディアに、ひとつの可能性を投じた作品ですよね。お色気もあって、大人の鑑賞に堪える作品を当時作っていた。ハードボイルドをやろうとしてたという事が、それだけでも十分語るに値するっていうかね。モンキー・パンチおよび、やっぱり大塚(康生)さんや宮崎さん達の功績が大きいんだと思うけれど、キャラクターが普遍性を獲得してるんですよね。『ルパン』のキャラクターって、ギリギリ、人間のプロポーションじゃないですか。
―― あんなに手とか足とかが細くても、ですね。
神山 そうです。人間のプロポーションなのに同時にデフォルメもされていて、ほとんど全世代がギリギリ、漫画絵としても許容できるんですよ。うちの親父やお袋の世代から、新しく見始める人に至るまで、「これは漫画絵だ」という事で許容できるんですよね。
昨今の、目玉が頭の3分の1を占めてるようなキャラクターがあるじゃないですか。「あのキャラクターのドクロを見つけるシーンがあったとして、どんなドクロを描くんだ」ってよく言うわけ。あのキャラクター達のドクロだったら、宇宙人の顔みたいなドクロが出てくるはずですよ。でも、多分、ドクロはちゃんとしたシャレコウベなんだと思うんですよ。それはおかしいんですよ。あそこまでデフォルメが効いているなら、椅子ひとつとってもね、あのキャラクター用の椅子をデザインしなきゃいけないんじゃないの、と。例えば、ちゃんと赤塚不二夫さんはそれをやっているんです。
―― 「バカボン」世界にあった椅子を描いているわけですね。
神山 そう。「バカボン」世界にあった椅子とかドアがあるわけ。だけど、今のアニメでは、キャラクターと背景が完全に乖離してるんですよ。
―― 顔の1/3が目玉のキャラクターがいる世界なら、それに見合った美術が必要という事ですね。
神山 そうです。だけど、そこは同じままじゃないですか。でも、『ルパン』のデフォルメは、それをギリギリ許容できる範囲内だと思うんですよね。まあ、そういう意味でも、絵柄で普遍性を獲得してる。アニメの中にハードボイルドというものを入れてるとか、そういう事が可能になったのは、『ガンダム』とは逆で、キャラクターを記号化する事によって色んな可能性を手に入れたからだと思うんですよね。どんなお話でも内包できると言うか、要するに「器」としての企画の成功でもあると思うんですよ。『ルパン』で色んな監督が演出をできたりとか、いまだに続いてるって事はやっぱり、入れ物としての企画の強度が高かったんですよ。そういう意味でも『ルパン三世』というのは、アニメ作っていく上でのひとつの指針である。そういう意味で『ルパン』というシリーズというのは非常に重要だと思ってます。
※記事中で『マモー編』の愛称で呼ばれている『ルパン三世[劇場]』だが、本編中でクレジットされているタイトルは、シンプルに『ルパン三世』だ。DVDの商品タイトルは『ルパン三世 ルパンVS複製人間』となっている
―― 『ルパン三世』のキャラクターが、デフォルメとリアルの両方を兼ね備えたデザインであるという事は、その後、様々なアニメーター達が『ルパン』を描きたがったという事と、関連しているのかもしれませんね。
神山 そうかもしれませんね。動かす上でトリッキーな事から、ある程度リアルな芝居まで内包できるキャラクターのデザインだと思うんですよね。これも重要だと思いますね。
で、その次に『マモー編』と『カリオストロ(の城)』を入れています。東映の長編とかは除きますけど、『マモー編』で、久し振りにアニメが「映画」になった瞬間を観た気がしたんです。「映画」の正体って僕は未だに分かんないんだけど、みんな、よく口々に「これは映画だよね」とか「でも、彼のこの作品って映画になってなかったよね」と言いますよね。
―― カギ括弧つきの「映画」ですね。
神山 人それぞれ意見はあるかもしれないけど、僕は『マモー編』は映画だと思ったの。「すっごい映画」だという気がした。「作品が映画になる瞬間」っていうのがあって、アニメもそうなるんだなと思ったんだよね。『マモー編』も『カリオストロ』も映画館で観た時にね、とにかく「映画だな」と思ったわけ。当時、すでに東映長編はなくなってたから、久しくなかった感覚だった。
『マモー編』は、僕らが劇場作品をやる上で、ひとつの指針にはなると思うんですね。あの作品が持っている大人の香り。それから『マモー編』って、写真とか絵画のコラージュを使うじゃないですか。ああいった手法は今はやりづらくなっているけど、アニメを作る上で、それが2次元であるっていう事を最大限に生かしてたと思うよね。それはマンガ映画としての手法であって、今は失われちゃったものなんです。それを含めてひとつのパッケージとして完結したものだと思いましたね。あれをやろうとすると、僕らの世代は、拒絶反応があるんだよね。
―― 突然写真を入れたりする事について?
神山 うん。質感の違うものを登場させる事に、僕らの世代はアレルギーがあるの。空間が存在してるものを作ってるっていう自負があるから。そこに2次元のものが入れると、キャラクターが2次元の存在であるという事を、観客に教えてしまうんじゃないかという不安がどっかにあるんだよね。『マモー編』には僕の世代にはできない演出がまだ残ってて、それはやりたいくないわけじゃないけど、やれないという感覚がある。そういう意味でも、あれは観とくといいかもしれませんね。そういうアレルギーがない世代が現れて、突然復活するかもしれないから。
―― 『マモー編』の前に、虫プロのアニメラマで『千夜一夜物語』と『クレオパトラ』があるんです。『マモー編』はその血を引いてるように思いますね。
神山 うん。そうだと思います。でも、それは今のアニメの文脈としてはないじゃないですか。
―― あれをやっても、今の観客は理解できないかもしれない。突然、アトムが飛んでくるカットがあって、どこにも繋がらないみたいな。
神山 うん。でも、それって逆に凄く映画的だと思う。その画をとりあえず入れとけみたいなね。そういうコラージュによって、もしかしたら、映画って「映画」になるのかもしれないし、それは分かんない。宮崎さんの『カリオストロ』も立派に「映画」だと思うけど、宮さんはそういう事はしてないわけでしょう。
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―― その言い方で言うと、『カリオストロ』の方は、今の若い人達に分かる文脈で作られてますよね。
神山 作られてます。だから、『マモー編』と『カリオストロ』は、全く同じ題材を、違う料理をするとこうなるんだという好例なんですよね。しかも、『カリオストロ』も決して負けてないし、それ以上だというところがある。
宮崎さんの事を、俺が語ってもしょうがないけど、そこなんだと思うよ。今の人達って、多分『ルパン』の監督を振られたら、やらない人が多いと思うんだよね。でも、宮崎さんは『マモー編』に負けるからもしれないと思ってない。むしろ「みんな『ルパン』を分かっとらん。これが『ルパン』だ」と思って作ってるはずなんですよ。しかも、キャラクターに年をとらせてしまうっていう反則技を使っている。これは、宮崎さんやっちゃったなあというか、やってくれてありがとうというかね。キャラクターだって、年をとるに決まってるじゃないか。(作り手が)その作品に対峙してたら、年をとるんだ。それをやる事によって普遍性を破壊してしまってる部分はあるんですけど、それがあったからこそ『カリオストロ』も、永遠を手に入れられてるような気がするんですよね。それによって「映画」になっている。
それから『カリオストロ』には構造が見受けられるんですよね。で、その後『ルパン』は、みんな同じ手つきでやってるんですよ。謎の美女がでてきて、女好きであるルパンは、それをきっかけに事件にコミットしていくというね。今、ルパンはもう盗むものなんかないんだから、飽きちゃってんだから、生きる事にすら飽きていそうなんだから。綺麗なおネエちゃんが登場する事で、ようやく事件に重い腰をあげてコミットしてるわけ。キャラクターの動機は『カリオストロ』も一緒なのに、なぜ『カリオストロ』だけが、みんなに受け入れられてて他のものは忘れられちゃうのかと言うと、『カリ城』にだけ構造があるからなんですよ。ルパンは7歳のクラリスにお水をもらった過去があるのね。今ではルパンの過去すらも消費されているんだけど、あの時期はまだその手が使えたわけですよ。で、そこがあるから、ルパンが積極的に事件にコミットしていく事ができる。もう盗むものもなくなってしまったルパンが、その過去をモチベーションにして動いてる。アニメの記号的なキャラクターでドラマを作る場合には、そういった構造が必要なんだっていう事を示してる好例だと思うんですよね。もう俺がいちいち語る必要はないほどの名作だけどさ、これを観てなかったら罪だな、というぐらいの作品のひとつだと思います。で、次の『コナン』だけど、俺が驚くのは「あのスケジュールで!」とかね。
―― 「あれを毎週!」とか(笑)。
神山 (笑)。「しかも限りなくオリジナルだ」とかですね。今も26本で1パッケージにするシリーズって多いと思うんですが、毎回敵が出てきて倒すっていうかたちじゃないアニメを、連続もので、26本1パックにして、しかもオリジナルでやりきっている。これは初監督だし、勢いがあって若さもあって、やりたかった事も山ほどある。監督のデビュー作でしかできないようなものが、全てが詰まっている。今、『攻殻(機動隊 STAND
ALONE COMPLEX)』が終わってみて、『コナン』を観ると凄く分かるんです、これが。
―― なるほど(笑)。
神山 これ、あの時のテンションだから、できたんだろうなとかね。「宮崎さんは半日でコンテを描いた」という伝説もあるくらいですから。
―― 確かに、半日で書かないとできないくらいの仕事量ですよね。
神山 はずなんです。あのスケジュール見る限り。
―― だって、原画もレイアウトも全部見ているわけでしょう。
神山 そう。となったら、半日でコンテ切ってるはずなんです。あれは、やっぱり凄いよね。天才がデビューした瞬間だと思うんですよ。1人の天才のデビューする瞬間に立ち会って、その熱気を体感するべきだね。だから、これも作品のバックボーンと、どういうスケジュールで作られていたかとか、どういうスタッフかとかいう事と抱き合わせで観るべきだね。そんな気がしてましたね。僕も「26本1パッケージ」でデビューしましたけど、もうレベルが違いますね。宮崎さんのマイルストーンだね。
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