神山 『ナウシカ』も、これは言わずと知れた作品なんで語る必要はないんだけど、オリジナル作品を、長編で成功させたという意味での金字塔という事かなあ。TVシリーズもなくてね。先行してマンガを描いたというのはありますけど、(他人の)原作なしのオリジナルの長編を、突然ポンと投げてね、しかも大成功させた。
『ナウシカ』は宮崎さんの作品の中でも分岐点で、うちの両親とかは『ナウシカ』は駄目なんです。やっぱね、蟲とかね、ああいう訳分かんない設定がでてくると駄目で。『もののけ』だと大丈夫なの、時代劇だと思ってるから。そういう意味ではね、宮崎さんの過渡期的な作品だよね。宮崎さんの好きなテイストはいっぱい入ってるし、ギンギンに気持ち悪い部分もあるじゃないですか。あの蟲は硬いからいいけど、指で押すとちょっとへこんだりしたら、かなりグロイよね。でも、観ていてそういう感覚にはならない。他の宮崎さんが関わってる作品でも言える事なんだけど、なんか全てが気持ちいいんだよね。藁って実際に寝てみると、チクチクしてすっごい不愉快なものなんだけど、ハイジが寝ると気持ちいいとかね。蟲を抱きしめたりしててね、どう考えても痛いよとか思うんだけど。本当に目の前にいたら気持ち悪いようなものを、気持ちよさそうに見せるところが、宮崎さんの素晴らしさというか、マジックというか。それは、みんなが、なかなか獲得できないんだよね。デザインワークも含めて、ほとんどを宮崎さんが1人でやってるって事含めて、やっぱり『ナウシカ』は凄いと思う。
10番めに『トトロ』を入れたのは、それが1回ピークを迎えたような感じがあるじゃない。トトロが住んでる穴蔵だって、本当なら、落ちたら絶対グチャッとなってね、なめくじとかがいっぱいはってて、本来は、落ちた女の子は泣きわめくはずですよ。なのに、なぜ日なたの香りがするんだっていうね。観客もあれを観た時に、干して気持ちいい布団に、ハフッってした時の香りがしたはずですよ。本当にトトロに触れたら、獣臭くてさ、みんな「グエッ」となって、ちっちゃい女の子なら泣きますよ。それを一切感じないっていう。それは、やっぱり宮崎さんが一貫してやってる事ですね。高畑さんは、そういうのは駄目だよみたいな、厳しい事を言いますけど、アニメである以上ね、そういう事はやってもいいんじゃないか。それに、気持ちいいと思わせようと思って、気持ちいいと思わせてるって、これは凄いですよ。芝居で、喜怒哀楽の中で怒りの芝居がいちばん簡単なんですよ。素人でも怒る芝居はできるわけ。泣くのも、B級の役者でもある程度はできる。でも、笑うとか気持ちよさみたいなのを表現するのは、ハードルが高いんですよね。だから、宮崎さんがやってる事はかなりハードルが高い。その上、ほぼ成功してるわけじゃないですか。
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―― しかも、そこに理屈がないんですよね。
神山 理屈はない。だから、もう正に天才。ジーニアスですよね。コピーがいないんだから。いますか?
―― そういった部分をコピーした人はいないでしょうね。
神山 コピーしようと思った作品は、いっぱいあると思うけど、コピーできたものがないという事を考えてもね。
―― その後に沢山作られた『未来少年コナン』もどきを見るにつけ。
神山 うーん、思いますね。やっぱり、みんなそこで敗れ去るのは、爽快感を出すぞと思って爽快感を出すのがいかに難しいかというか。僕はよく言うんだけど、僕らの世代がもし『ナウシカ』やったら、必ず、風の谷にもナウシカに不満をもってる奴がいるというのを描いちゃうんですよ。でも、宮崎さんが描くとね、不満をもってるやつは少なくとも風の谷にはいないじゃい。みんな、姫さまが大好きでさ、「姫様が瘴気(しょうき)を吸ってるんだから、俺達も」みたいなね(笑)。理屈は分かるんだけど、僕達がそれを描こうと思うと、急に手足が硬くなって、「いや、ナウシカに不満もってる奴も絶対いるはずだ」みたいなのを描いちゃって、むしろその不満をもってる奴が立ち上がってきちゃうわけですよ。そうすると、一気に姫さまのパワーがダウンしちゃって、あの世界が救われる事もなくなってしまう。それを宮崎さんは力業で、理屈なくやり切れる。で、『トトロ』に至っては、カタストロフィなんかないんだから! メイちゃんのサンダルが水の上に浮かんでるだけなんだからさ(笑)。何で、それだけであんなエンターテイメントなんだっていうね。集大成と言ったら失礼かもしれないけど、あそこで1回、宮崎さんの「宮崎サーカス」的なものは、完全にピークを迎えていると思いますよね。
―― 高まるだけ高まってますね。
神山 高まりました(笑)。ついに入れ物すら排除して、中身だけで作品が成立するくらいに、それを昇華させたのが『トトロ』かな。そんな感じです。
次は『(銀河鉄道)999』。これを言うと好きな人は怒るかもしれないけど、挙げた作品の中で、今観返した時の「がっかり度」が高いんじゃないかと思う。なぜかと言うと、画が弱いんですよ。流行に乗った画で作られてるから、がっかりするところが山ほどあるの。999号を作画で動かす事自体が、かなりの無茶なんで、作画的には今観るとイタイところがいっぱいあるんです。だけど、それでもこれは挙げるだけの作品なんです。監督としてあの作品を作れていたら、それ以外の映画を生涯撮れなかったとしても「俺には『999』がある」と言えると思いますね。そのぐらいドラマ性が高いんですよ。少年が旅立って成長するという、極めて普遍的なテーマを見事に成功させている。これは、やってみんな失敗するんだよ。みんなできないんだよ。「少年は旅立つんだ」って分かってんのに、描けないんだよ。でも、これはそれを見事に具現化してる。で、何回観てもそこに胸が苦しくなるようなものがちゃんとあるんですよ。そこが僕が『999』を挙げた理由ですね。……泣けます、胸が熱くなります。
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―― 神山さん、まるで普通の人みたいな感想を言ってますよ。
神山 ああー、いや、そうだと思うよ。だから、普通の人がそう思えるという事が大事なんですよ。
―― なるほど、そうですね。
神山 うん。最近のアニメは、普通の人を、そういう目に合わせてくれないんだよ。
―― 普遍性がないんですね。
神山 そこが大事だよ。そういう事をしっかりやらなきゃいけないんだよという事を、これを観て知っておくべきだ。
『王立宇宙軍』も、アニメ史に燦然と輝く星だと思う。これも僕が語るまでの事はないけれど、素人としてスタートとして映画を作ってしまった。しかも、それが物語とリンクしてますよね。素人達が映画を作るんだっていう事と、愚連隊達がロケット作って打ち上げるという事がリンクしていたりとかね。で、何かのインタビューで読んだけど「あれが終わったらガイナックスを解散しようぜ」とか「これができたら死んでしまいたい」とか、スタッフはそこまで思っていたらしい。あの映画を観ていると、そういう情熱で作ってたのが、ひしひしと伝わってくるんですよね。(作り手達が)つま先立ちで立っていて、こむら返り起きるぐらい無理して、ハードルの高い事をやってるわけじゃないですか。そういう意味で、これは金字塔ですね。それ以上、語るところはないというか。今の目で見れば技術的に甘いところもあるんだけど、そういう事を度外視してもいいぐらい光ってますよ。やった事自体が光っている。そういう作品ですよね。
―― 13番めは『トップをねらえ!』ですか。これはちょっと意外ですね。
神山 そうですね。でも、僕は『トップ(をねらえ!)』は、庵野さんが、超一級の演出家であるという事を示した作品だと思います。しかもね、やってるうちにドライブがかかってるのが、手に取るように分かったわけですよ。最初は『エースをねらえ!』と「トップガン」のパロディだと言われていて、『王立』を作った連中がこんなふざけた作品を作るのかというイメージで観ていたんだけど。ラストに向かってのドライブは『王立』を凌駕してるぐらいのもので。1人の演出家が、作品にのめり込んでいく事が、作品に対してどれほどのドライブを生むかという事が、焼き付けられてる作品だと思いますね。当然、いいスタッフが入っているけれど、潤沢な資金ではなかったろうし、制作状況は悪かったと思うけど、そんな中で、庵野さん以下のスタッフの前のめりになって作っていくパワーが、フィルムに引き写されている。今の時代では、それと同じ状況を引き出す事自体が難しいんだけどさ。(若いスタッフだって)やりたい事いっぱいあるしさ、いい服を着たいしさ、携帯やパソコンも持ちたいしさ、女の子と遊びたいわけだから。
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―― なるほど。『トップ』は作品も凄いんだけど、しかも、参加したスタッフがフィルムの事しか考えてない感じがはっきりと分かるわけですね。
神山 分かる。しかも、それが観客を巻き込んでいくパワーを生むんだ。それが『トップをねらえ!』の素晴らしさかな、という気がしますね。最初はちょっと馬鹿にして観てましたけど、途中からその熱気に本当にやられちゃったもん。そういう意味で、これもまた金字塔ですよね。次が『あしたのジョー』と『エースをねらえ!』。僕も『あしたのジョー』はTVの方ですけど。
―― 『エース』は映画ですね。
神山 『エース』は映画ですね。出崎さんって憑依型の演出家で、『ジョー』をやってる時はジョーになるし、『ゴルゴ(13)』をやってりゃゴルゴになっちゃうような演出家だって噂をよく聞くんです。しかも、アニメ界に少ない肉食の香りを漂わせた人じゃない。
―― そうですね。狩猟民族みたいな。
神山 狩猟民族な気質を持ったアニメの演出家って、あんまりいないんです。その人がね、自分の人生切り売ってるぐらいの勢いで、お話を作ってる感じがするんですよね。僕は、基本的には「あしたのジョー」は漫画のファンなんですよ。メチャメチャ漫画のファンで、アニメは否定してる派だったんですが、それでも原作にない、要するに出崎さんオリジナルの部分のエピソードが、あまりにも熱いのは認めないわけにいかない。そこにジョーという人間がいるとしか思えないんですよ。あれはもうアニメじゃなくて、1人の人間がそこにいるのを撮影してると思えるくらいの熱気があってね、それに完全にノックアウトです。演出家として、あのぐらい憑依して演出できたら、もう言う事はないと思いますよね。逆に『エースをねらえ!』の方はね、主人公が女の子だから、出崎さんがどこに憑依しているのかが分かりにくいんだけど、やっぱり宗方仁に憑依してるんだと思うんだよね。
―― 十中八九そうですね。
神山 でも、そうは言ってもね、つい最近までだったら、僕は『エースをねらえ!』を20本に入れなかっただろうと思うんです。最後に、宗方仁が岡(ひろみ)に入れ込んだ理由を訊かれた時にね、「母に似ていたから」と答えるじゃないですか。それが最近まで気に入らなかったんですよ。その寸前までパンパンに愛しているように見えるのに、あの「母に似ていたから」という一言で、ちょっと水をかけられたような感じがしたわけ。「酷いなあ出崎さん」「母かよ!」みたいなね。で、なぜそういう答えを出崎さんが出したか、僕は本人に聞いてみたわけじゃないから、本当のところは分からないけど。最近になって分かったような気がした。あれは、出崎さんが見せた「照れ」だね。
―― なるほど。
神山 答えは「俺の好きな女だったから」に決まってんです。でも、それは言えなかったんだね。狩猟民族である出崎さんですら。あれが照れなんだっていうのが、ここ数年ようやく分かったんですよ。それが分からない俺はガキだったなあと思いますよ。
―― まして、宗方が話している相手は、妹の蘭子ですからね。ひろみが好きだなんて言えない。
神山 言えないよ(笑)。だけど、「母に似ていたから」と言った事が、逆に人間くさいと最近になって分かって、僕の中で急速に殿堂入りしたんですね。
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―― なるほど。
神山 だから、演出家が丸出しなわけですよ(笑)。アニメなのに、演出家の姿が素っ裸で映ってるわけですよ。そこが殿堂入りした理由ですね。『あしたのジョー』と同じように、生身の人間が存在しますね。それほどのパワーですね。演出家としての出崎さんの情熱みたいなものが、ダイレクトに出てる。
それと同時に、やっぱり出崎さんの作品は、杉野(昭夫)さんとセットになっているところが非常に重要です。これは『ガンダム』と一緒で、やっぱり演出家とキャラクターデザイン・作監という、バンドで言えばボーカルとギタリストみたいなもんですけど、その両方が見事に存在してるという意味で、この2作品は素晴らしい。僕はそう思ってますね。いや、『999』もそれが手に入っているはずなんだけど(トータルの映像としては)ちょっと寂しいかな。『王立宇宙軍』もかなりいいんだけど、貞本(義行)さんの画があの時点で完成してたわけでもないとかね。でも、『ジョー』『エース』はそれがあるじゃない。そこが素晴らしい。
―― 高まりきった演出に、高まりきった作画で。
神山 高まりきってます。
―― 『エース』の場合は、おまけに美術と撮影も高まってる。
神山 高まってます。全てが高まってます。で、次がですね『(クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!)オトナ帝国の逆襲』。
―― これもちょっと意外ですね。
神山 うん。これもやっぱり、作品が映画になる瞬間を獲得してるというところかな。これで原(恵一)さんの『しんちゃん』が一旦、ピークを迎えたんじゃないかと思いますよね。で、自分が作家として暖めていたものとかを、本来は『クレヨンしんちゃん』の中には入らないものなんだけど、入れてしまった。シリーズを長くやってると、その作品がもってる強度みたいなものが、段々と分かってくると思うんですよ。どこまでやれるかとか、どういったエフェクトをかけると、どういう反応が起きるのかという事が体に染みついてる人が、満を持して映画にしたという感じで。
―― この場合の「エフェクト」というのは喩え話ですよね、
神山 そうそう。要するに「何を仕掛けたら、何が起きるか」という事です。それで、あれは「映画」だなと思ったね。さっきも言ったように、なにが「映画」なのかというその正体を、未だに僕は言葉で上手く説明できないんだけど、間違いなく「映画」になっていたね。
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