第35回 出崎演出と表現力
前々回、前回の原稿を書くために、確認のために『ベルサイユのばら』後半のエピソードを数話分観返して、色々と思った事があった。まだ自分の中でも未整理なのだが、記しておきたい。出崎統監督作品の表現についてだ。
例えば、32話「嵐のプレリュード」に、こんなシーンがある。ある晴れた日、衛兵隊にアランの妹であるディアンヌが訪ねてきた。ディアンヌは初々しい娘であり、衛兵隊の荒くれ達のアイドルだった。無論、アランは彼女の事を大事に思っている。「ディアンヌ、今日は目がキラキラしてるぜ。どうしたんだ?」とアランが訊くと、ディアンヌは笑ってから、目を伏せて「兄さん……。あたし、結婚します」。そして、アランの顔を見て「結婚するの!」と言う。アランは一瞬だけ驚くが、すぐに笑顔になり、「そうか……、こら、ちきしょう。そんないい野郎、いつまのに作ったんだ」「兄さんに似て背の高い人」「ほう、生意気に」「そして、そして、とても優しい人……」。そう言うディアンヌの目に突然、涙が溢れる。そして、2人は抱き合って感謝の言葉、歓びの言葉を重ねる。このシーンでは、画面に出崎作品でお馴染みの入射光が入り、足下の水たまりは2人の姿を鮮明に写し出し、水面はキラキラと輝く。そして、抱き合った2人の頭上を白い鳥が、何羽も飛んでいく。
このシーンにグッときた。ディアンヌの目に涙が溢れた瞬間がいい。本放送でも、泣きはしなかったろうけど、このシーンで胸にくるものがあっただろう。ディアンヌの初登場は、ひとつ前の31話であり、その時も出番もほんのわずかだ。彼女の結婚話は、このシーンで初めて話題になる。それまでの描写の積み重ねはほとんどないのに、ディアンヌの幸せな気持ちが、充分に感じ取れた。いや、充分以上に表現されている。
演出が素晴らしい。会話や芝居の組み立てがよくできている。光の効果、鳥についても演出の範疇だ。大変な力業だが、単なる力ずくの演出ではない。役者の芝居もいい。アランもいいが、特にディアンヌがいい。演じたのは、元祖ヤッターマン2号や花の子ルンルンの岡本茉利だ。
そして、キャラクターの表情が重要だ。ディアンヌの輝くような表情、アランの愛情のこもった笑顔。実に「いい画」だ。涙が溢れるタイミングもいい。このシーンは、大半がアップカットで構成されている。「いい画」に期待した演出でもあるのだ。やや余談になるが、『ベルサイユのばら』に限らず、あるいは出崎監督作品だけではなく、かつてのアニメ作品には、こういった「いい画」を活かした表現があったように思う。例えば、主人公の顔のアップで、基本は止め絵。口パクだけが動くようなカット。しかし、それがたまらなく「いい画」だ。そういったカットで、何かが表現されていた。アニメブームの頃、僕はそんな表現がたまらなく好きだった(今の作品にも「いい画」はある。ただ、詳しく検証したわけではないが、今では、そこまで「いい画」に頼った演出は少ないのではないか)。
このアランとディアンヌの場面だけでなく、今回『ベルサイユのばら』を観返して、何度か目頭が熱くなった。年をとって、涙腺が弱くなったというのもあるのだろう。だけど、それだけではないはずだ。やはり、出崎監督の作品には表現力があるのだ、と思った。いや、むしろ「表現力があるとは、こういう事なのか」と思った。
他の例も挙げよう。20話「フェルゼン 名残りの輪舞」のラスト。フェルゼンは、アメリカ独立戦争に参加するために、旅立っていく。アントワネットのために、あえて彼女の前から立ち去ったのだ。遠征軍の出発の日、オスカルは彼を見送りに行かず、窓の外を見る。アンドレは見送りに行かなくてよいのかと問うが、オスカルは無言で、窓の外を見続ける。オスカルの胸に、フェルゼンへの深い想いがある事を悟ったアンドレは、その事は口にせず、目を伏せて「いけない。今日は馬の蹄鉄を変えてやる日だった」と言って、その場を立ち去る。立ち去る途中で、一度立ち止まってオスカルを見る。アンドレがいなくなった後、カメラはしばらく、立ったままのオスカルを撮し、そして、オスカルの目に涙が溢れる。
アンドレが目を伏せて「今日は馬の蹄鉄を……」と言うところが、実にいい。その時に思っているのと別の事を言わせる、あるいは無言である事で何かを表現する。それは珍しい手法ではないだろう。ただ、画面の作り方、キャラクターの物腰、音楽の使い方で、アンドレの秘めた想いの深さ、それを口にできないつらさを存分に描写している。特にキャラクターが目を伏せる事による表現は、出崎監督の専売特許ともいえるものであり、それが効いている。前々回で採りあげた19話「さよなら妹よ!」、前回採りあげた28話「アンドレ 青いレモン」が素晴らしい仕上がりだったのも、そのように深く心情が表現されている部分があったからだ。
出崎監督作品に惹かれるのは、そういう部分があるからなのだろうと思う。物語の大筋であったり、練り込んだ台詞であったり、カット割りであったり。様々な手段を駆使して、登場人物の心情を深く表現する。出崎演出と言えば、よく3回PANやハーモニーが話題になるが、その技法だけを取り出して語っても、あまり意味がないのではないか。それらは、表現のための様々な手段のひとつにすぎない。表現しているものは登場人物の心情だけでないのだが、特に僕達の胸を打つのは、そういった深い心情の表現なのではないか。
さらに言えば、そういった表現が胸を打つのは、単にその場面における気持ちを描写しているのではなく、同時に何か普遍的なものを描こうとしているからではないか。『ベルサイユのばら』で言えば「人が人を愛するというのはどういう事なのか」「人間にとって幸せとは何なのだろうか」といった事を見据えて、登場人物の心情を表現しているのだろうと思う。
第36回へつづく
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(08.12.24)