第140回 『ユニコ 魔法の島へ』
まずは訂正から。「第138回 1983年春の『東映まんがまつり』」で、表題のプログラムについて「童話等を元にした新作長編(あるいは中編)をメインにした最後の『まんがまつり』となった」と書いたが、その後に「まんがまつり」で1本だけ、童話を元にした中編があるのを忘れていた。1987年春のプログラム『グリム童話 金の鳥』だ。
ただし、この作品は1984年頃に完成したものの、公開されずオクラ入りになっていた作品だ。おそらくは1984年春の「まんがまつり」で上映するために制作を進めていたが、その年3月に東映邦画系で『少年ケニヤ』を上映する事になり、さらにその後、「まんがまつり」が路線変更したためにオクラ入りになったのだろう。改めてこの連載中で扱うつもりだが、『グリム童話 金の鳥』は「まんがまつり」のオリジナル中編でありながら、東映動画が制作したタイトルではない。マッドハウス手がけた作品で、同社ならではの遊び心に満ちた快作だった。
さて、今日取り上げるのもマッドハウスの作品だ。『ユニコ 魔法の島へ』は、平田敏夫監督の『ユニコ』に続くかたちで作られた作品。サンリオ映画の1本で、公開されたのは1983年7月16日。構成・脚本・監督は村野守美。虫プロ時代からアニメに関わってきた彼の、初めての監督作品である。作画監督は、もはやマッドハウスの看板アニメーターとなった富沢和雄。前作『ユニコ』や『夏への扉』と同じく、川尻善昭が画面構成の役職で参加。マッドハウスの2度目の黄金期を代表する作品であり、珠玉の1本という言葉がぴったりのフィルムだ。
人間を生き人形に変えてしまう魔法使いククルック。その弟子であるトルビーは、元はごく普通の人間であり、チェリーという少女の兄だった。ユニコとチェリーは、生き人形に変えられた人々を元に戻すため、魔法の解き方を知っている木馬がいるという地の果てに向かう。というのが粗筋。ククルックの悲しい過去、トルビーの葛藤といったドラマはあるのだが、ドラマ性で勝負している感じではない。むしろ、ビジュアルや世界観の面白さで惹きつける作りだ。とにかく凝っているし、ユニーク。おもちゃ箱をひっくり返したような作品だ(おもちゃ箱を……というと、明るく楽しい作品のようだけど、明るくはない。どこかに寂しさがあるフィルムだ)。長さは91分あるのだが、ドラマで押してないためか、ちょっとこぢんまりした印象ではある。「珠玉の」という事が似合うと思うのは、そのためでもあるのだろう。
キャラクターに関しては、ククルックとトルビーのキャラクター造形が秀逸。特にククルックは動きに魅力があった。他には、ブロックのような形の生き人形、これまた巨大な玩具のような恐竜のロボット(?)。生き人形が合体してできた城は、できあがる過程も面白かった。企画としては子ども向けの作品だが、マニアックな味わいのあるフィルムだ。その感覚は、本郷みつる監督時代の劇場版『クレヨンしんちゃん』に近いと思う。
全体に村野守美の持ち味が色濃く出ており、ゲストキャラクターの造形や映像的な遊びは、いわゆる手塚カラーとは異なったものだ。制作中、手塚治虫がこの作品に難色を示していたと関係者に聞いた事がある。おそらくはそういったカラーの違いに違和感を感じていたのだろう。平田敏夫監督の第1作『ユニコ』が、原作の持ち味を活かした作りだったのとは、好対照だ。
ムック「手塚治虫劇場」での本作の解説には「セル画枚数四万五千枚のうち1/3の部分は透過光が使われている(原文ママ)」とある。「劇場アニメ70年史」にも「全編の3分の1近くに透過光が使われている」と表記されている。全カットの1/3もあるかなあ、とは思うが、確かに光の表現は多い。劇場で観たら、さぞや華やかな印象だろう。
僕はこの映画を劇場で観ていない。浪人中だったので、劇場に行くのをセーブしていたのかもしれない(同じ7月に『ザブングルグラフティ』や『パタリロ! スターダスト計画』を観に行っている)。前作の第1作『ユニコ』に満足したので、逆に2作目を観る気が起こらなかったのかもしれない。初見は随分後で、レンタルビデオだった。「これは映画館で観ればよかった」と思った映画の1本だ。
第141回へつづく
(09.06.05)