第147回 バーン・バニングスと挿入歌
これについては書くかどうかで、ちょっと悩んだのだけど、後になって「やっぱり書いておけばよかった」と思うかもしれないので、書いておこう。バーン・バニングスが泣いているシーンで流れた挿入歌についてだ。僕にとって作品コンセプトとデザイン、OPとEDを除けば、『ダンバイン』で印象に残っているのは、「東京上空3部作」と「ハイパー・ジェリル」と、34話「オーラ・バリアー」ラストで流れたとんでもない挿入歌。このみっつだ。
32話「浮上」で地上界に飛ばされた黒騎士ことバーン・バニングスは、その話のBパートでショウのビルバインに敗れて海に落ちる。34話「オーラ・バリアー」で海上を漂流していたバーンは、地上人の民間船に助けられる。彼は、船の乗組員に心を開きはしない。甲板で膝を抱えて、ひとり涙を流す。ショウに負けた事が悔しいのだろうし、故郷バイストン・ウェルへの想いもあるのだろう。ここは作画も気合いが入っていて、画にも厚みがある。ところが、そこで挿入歌「水色の輝き」が流れる。これが女性ボーカルのポップな歌謡曲で、全く画面に合っていない。本放映時には、本当に驚いた。放送事故で別番組の音声が流れ出したのかと思った。
よく聞くと、その時のバーンの想いと、挿入歌の歌詞は合っているようにも思えるけれど、曲は全く合っていない。たとえば、「水色の輝き」の明るい曲調との対比で、バーンの気持ちを描こうとしたとか、そういった意図があったのかもしれないが、やはりこの選曲は唐突過ぎたと思う。どうしてこの曲がここで使われたのか、僕は知らない。レコードメーカーが『ダンバイン』用に挿入歌を作ってもってきたが、本編で使う場所がない。それでこのシーンが選ばれた。例えば、そういった事だったのだろう。
最近、何人かの友人とこの挿入歌について話をした。1人だけ「あのバーンがオトコ泣きするシーンは、曲も込みですごくいいと思いますよ。『ダンバイン』らしいというか、富野さんらしくて」と言っていた。えー、そんなふうに思う人がいたんだ。人の感想って聞いてみないと分からないものだ。ただし、彼の感想は少数派のものであり、大半のファンが、あの場面で「なんだこりゃあ!」と感じただろうと思う。
富野監督作品で「それはないだろう」と思った挿入歌の使い方としては、他に「シャアが来る」がある。これはシャア・アズナブルの戦士としてのハードな生き方を歌ったもので、『機動戦士ガンダム』40話「エルメスのララァ」で使われた。この話でシャアは、マグネットコーティングを施したガンダムに対して劣勢であり、搭乗していたゲルググの片腕を失う。しかも、ララァに「大佐、どいてください。邪魔です!」などと言われている。そんな戦闘の中で「シャアが来る」がかかるのだ。挿入歌でうたわれているシャアは格好いいのだが、本編のシャアはえらく格好悪い。何もこんなところで、こんな歌を流す事はないのに。おそらくは挿入歌ができたのがシリーズ終盤で、他に使うところがなかったのだろうけれど、それにしてもヒドい使い方だ。
話を『ダンバイン』に戻すと、「オーラ・バリアー」には、もうひとつトホホなポイントがある。ショウと戦うガラミティ・マンガン、ニェット、ダーの3人は、『機動戦士ガンダム』に登場した「黒い三連星」のそっくりさんだった。3機のオーラバトラーで、ジェットストリームアタックによく似たトリプラーという攻撃を仕掛けてきて、同様にショウにやられてしまう。本家同様に、ビルバインに頭を踏まれたガラミティは「踏んづけていったあ!」と言う。要するに、セルフパロディだ。本放映当時、それを面白がりもしたけれど、同時にスタッフがマジメに作品に向かっていない気がして、それがちょっと残念だった。最終回の冒頭で、シーラ・ラパーナが総攻撃を命じた事に対して、ミ・フェラリオのベル・アールが「最終回だからか?」とボケをかましたのにも、同じように残念に感じた。
第148回へつづく
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