第179回 『風の谷のナウシカ』続き
ラストで、ナウシカが復活する件に関しては、最近になって、ああ、なるほど、と思った。鈴木敏夫プロデューサーが、自分と映画との関係について語った「映画道楽」で、『風の谷のナウシカ』のラストシーン秘話について触れていたのだ。宮崎駿が最初に描いた絵コンテでは、王蟲の大群の前に、飛んできたナウシカが降り立つと、暴走していた王蟲が止まる。それでエンドマークになっていたのだそうだ。その絵コンテを見て、高畑勲プロデューサーと鈴木敏夫は「この終わり方はありえない」として、別の案を考えた。それはナウシカが死んで終わるというものと、さらにその後で復活するというものだった。2人は宮崎に復活案を持ちかけて、悩む彼を説得。結果としてあのラストになった。
ナウシカの死と復活が、宮崎が考えたものでないというのは納得だ。そして、最初に考えられていたラストではカタルシスが弱かっただろう。ナウシカが死んで終わるラストは、重たいテーマを受け止められるものではあるが、それではヒット作にはならなかっただろう。死と復活を描くラストは、テーマを受け止めて、観客を感動させるものだ。そのように検討していけば、あのラストがベターな選択だと分かる。だが、復活させるにしても、別の話運びはなかったのかと思う。あの復活シーンは観客を感動させるためにやっているのが見えすぎた。
気になって『風の谷のナウシカ』ロマンアルバムをひっくり返してみたところ、この本の宮崎駿インタビューでも、ラストシーンが話題になっていた。その取材は封切りの翌日に行われたもので、作品が完成しているのに、彼はナウシカが復活したシーンにまだこだわっており、「まだ終わった感じがしないんです」と語っている。それは甦ったナウシカをどう表現するかという問題で、復活したナウシカが光で金色に染まった画が、宗教絵画のようになってしまった。あれでよかったのかと考えているのだ。確かに、あの描写に関しては、僕もちょっとやり過ぎだったと思う。いや、あのシーンに感動した人がいるのは分かるし、それを否定するつもりはないけれど(当該インタビューは、単行本「出発点1979〜1996」に再録されている)。
前回、僕は「他にも釈然としないところがあった」と書いたが、例えばクロトワの扱いが気になった。何かやりそうで、結局何もやらない。ただいるだけのキャラクターだった。話の大筋にしても、長大な物語の一部だけを見せられたような気がした。『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』には、ひとつの物語を描ききっていたが、『風の谷のナウシカ』はそうではなかった。映画が終わっても「この後どうなるの?」といった疑問が残った。釈然としなかったのはそのためだったのだろう。今なら、それはそれで面白いじゃない、と思うかもしれないが、当時の僕は、宮崎駿にキッチリと完成された作品を求めていた。
こうして残念だった点を書き連ねていると、まるで満足していないようだが、そういうわけではない。凡作だとは思わないし、ワクワクした場面もあった。それから、「『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎」でも話題にしたけれど、『風の谷のナウシカ』に関しては、いまだに映画として向き合っていない気がする。対談で、細田君は「アニメージュ」の事前の盛り上げに乗ってしまったために、映画として向き合えなかったと言っていたが、僕の場合は、それまでの宮崎作品とのギャップに戸惑い、戸惑ったままラストシーンを迎えてしまったところがある。頭を空っぽにして、改めて劇場で観たら、違った感想を抱くかもしれない。
宮崎駿ヒストリーとしてみると、『風の谷のナウシカ』は、彼がアニメ作家として、次のステージに移った作品という事になる。それまで、明るく楽しいまんが映画を作ってきた宮崎が、問題意識を強め、それまで扱わなかったモチーフやドラマに挑むようになった。僕達はここから現在に至るまで、作家・宮崎駿の変化を見つめ続ける事になる。
第180回へつづく
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映像特典: 絵コンテ映像/劇場予告編集/他
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(09.07.31)