第211回 続・池田憲章さん
今回はちょっと趣向を変えて、自分のライターとしての仕事について。話は前回から跳んで、25年くらい前。僕が「アニメージュ」でライターを始めて数年目の事だ。
僕が「アニメージュ」で働くようになったのと前後して、池田憲章さんは「アニメージュ」から離れていった。だから、同じ編集部で仕事をしていた時期は短い。ライターになった頃の僕は、あまり原稿には悩まない方だったけれど(後にやたらと悩むようになるが、それは別の話)、一時期、原稿が「池田憲章風」になるのを気にしていた。ある日、原稿を書いていて「あれ、今書いている原稿って池田さんのマネじゃないか」と気がついて、それから気になるようになった。
例えば『アルプスの少女ハイジ』や『未来少年コナン』のような、人間を肯定的にとらえた作品についての原稿を書く場合、池田さんのような原稿がぴったりと合う。別に池田さんのマネをしようとしたわけでもないのに、書いているうちに話の運びが似てしまう。むしろ、どう書くかを考えないで、自然に書くと池田さんの書き方に似てしまうのだ。池田さんの原稿が、自分にとって「アニメについての文章」の最良のパターンだったというのもあるし、自分の引き出しが少なかったからでもある。
今思えば、似た原稿を書いた回数はわずかだし、そっくりに書いていたわけでもなかったはずだ。逆にそっくりに書こうとしたとしても、池田さんほどにパワーがある原稿が書けるわけでもないのだが、とにかく似てしまうのがよくないと思った。駆け出しのクセに、生意気に、他人の書き方に似てしまったら、それは自分の言葉でなくなってしまうと思っていた。
「アニメージュ」のある号で、『未来少年コナン』について長い原稿を書く事になった。相当悩んだのだけれど、マジメに書けば書くほど、原稿が「池田憲章風」になっていく。多分、その段階で、僕は池田さんが書いた『未来少年コナン』についての原稿は読んだ事がない。だから、正確に言えば「池田さんが書いたらこう書くだろうな」と思うような原稿になっていった。一度は違ったアプローチで書こうとしたが、上手く書けそうもなかった。散々悩んだあげく、結局「池田憲章風」でまとめてしまった。他の人がどう思うかは分からないが、当時の僕にとっては、かなり似てしまった原稿だった。
このエピソードにはオチがある。その「アニメージュ」ができ上がった後、あるライターが「小黒君の『未来少年コナン』の原稿だけど、池田さんが『よく書けている』と誉めていたよ」と教えてくれた。ただでも、池田さん風に書いてしまった事でクヨクヨしていたところに、本人に誉めてもらってダブルパンチだった。その記事は、8年ほど前に出たとある出版物に再録された。再録してくれたという事は、そんなに出来が悪くなかったという事なのだろうけれど、「なにもこの記事を再録しなくても……」とは思った。まだ読み返すのは、なんとなく嫌だ。20年くらい経ったら、読み返してみよう。
「池田憲章風」になるのを気にしていたのは数年間の事で、「アニメージュ」で『新世紀GPX サイバーフォーミュラ』の担当になった頃には、そんな事で悩んだりはしなくなっていた。仕事を続けていくうちに、多少は引き出しが増えたのだ。あの頃、原稿が「池田憲章風」になるのを嫌がったのは、エディプスコンプレックスみたいなものだったのだろう。
第212回へつづく
(09.09.15)