第229回 『オーディーン』でアルバイト
昨日までで1984年の話題は終了。今回から1985年に入る。僕は21歳で、あいかわらず大学生だった。「第176回 大学には入ったけれど」でも触れたように、SF研究会は、最初の1年で辞めてしまった。自分でアニメ研を作ろうと思って少しだけ動いたけれど、上手く行かなかった。相変わらずアニメを観て、アルバイトをして、同人誌の真似事をしていたけれど、なんだかスカっとしない日々を送っていた。
その頃は、別に雑誌ライターになろうと思っていたわけでもないし、かといって、アニメ業界で働きたいとも思っていなかった。将来の事はあまり考えていなかった。普通のサラリーマンになって、趣味でアニメ研究をやるのがいいんじゃないかと思っていたはずだ。
何度かアニメ制作寄りのアルバイトもやっている。印象的だったのが『オーディーン 光子帆船スターライト』の仕事だった。辻田さんも「色彩設計おぼえがき」で触れていたが、この映画の制作は、大層遅れていたようだ。猫の手も借りたいという感じで、東映動画(現・東映アニメーション)内で、販売用のセルを整理するバイトをしていた僕にも声がかかった。「1人では足りない、仲間も連れてこい」と言われて、大学の友達をつれて行った。学徒動員である。僕達がやる事になったのは、ゼロックスの助手だった。ゼロックスは動画をセルにコピーする機械で、拡大や縮小もできる。トレスマシンでは難しい大判の動画にも対応できた。『銀河鉄道999』や『地球へ…』といった劇場大作で効果的に使われていた。
僕と友達は、一応、ゼロックスの仕組みを教えてもらって、指示されるままに機械にセルを入れたりした。僕達が慣れてきたら、そのまま任せるつもりだったのかもしれないが、たまたま機械の具合が悪く、何度もゼロックスが止まってしまった。結局1日かけて、こなしたのは2カットか、3カット。僕達はお手伝いをしただけで、作業に慣れるところまではいかなかった。機械の脇に立っているだけでバイト代をもらってしまったようなものだった。一緒に行った友達は「アニメの仕事って楽でいいな」と呑気な事を言っていた。その後、機械の調子がよくならなかったのか、人手が足りるようになったのかは分からないが、ゼロックスの仕事に呼ばれる事はなかった。
たった1日の事だったし、仕事らしい仕事をしたわけでもないけれど、その日の経験は新鮮だった。それまでもセル整理のバイトで、色んな作品のスタッフルームに出入りしていたけれど、制作側の作業には、それまでに感じた事のない緊張感があった。
『オーディーン』の後、海外との合作の長編で、また現場に呼ばれた。確かタイムシートのコピーをとって、それをセロハンテープで貼り合わせる作業だっと思う(タイムシートの複製を作るわけだ。海外とのやりとりをするために、タイムシートの控えが必要だったのだろう)。要するに制作進行の下請けみたいな仕事だった。他の作業もやったかもしれないけれど、覚えていない。その作品の仕事は、数日間やったはずだ。単純作業で、セル画の整理よりも退屈だった。甘ちゃんの学生としては、時間が不規則で、帰る時間が読めないのが厳しかった。「残業しろ」と言われた時には、嫌だなあと思った。もしも、それらのバイトの時に、ゼロックスを使うのを覚えたり、制作進行の下請けの作業にやりがいを感じたりしていたら、そのまま制作現場で働いていたかもしれない。
話は前後するが、『オーディーン』は公開後に劇場で観た。気にしながら観たのだが、アルバイトをした日に、ゼロックスをかけたカットは見つからなかった。そのうちの1カットは、今でもどんな画だったかを鮮明に覚えている。昨日、改めてDVDで『オーディーン』を観たのだけれど、やはり見つからない。作業を進めたものの、カットされてしまったのかもしれない。それはちょっと残念だった。
第230回へつづく
(09.10.15)