アニメ様365日[小黒祐一郎]

第239回 杉井ギサブローと『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』

 『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』という映画にちょっと当惑としたのは、文脈が読めなかったからだ。大袈裟な言い方をすると、アニメ史的な文脈が読めなかった。
 この頃の僕は、国内の商業作品ならどんな斬新な作品でも、それが生まれた経緯について見当がつくようになっていた。半可通マニアの思い込みだったのかもしれないが、とにかく見当はついた。つまり、「あの作品を作った監督が、この原作を手がけたから、こうなったんだな」とか、あるいは「前から凝った作品を作るスタジオだと思っていたけれど、今回はさらに力が入ってこうなったんだな」とか。それまでの流れの中に位置づけて、その作品について考える事ができた。
 だが、『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』は、そのように位置づけられなかった。まず、前回も触れたように、それまでに僕が観たどの劇場長編アニメとも違っていた。幻想的な映画ではあるが、単にフワフワとしたファンタジーではなく、緻密に設計された作品であり、重たいところのある映画でもあった。描いているものも、作品の傾向としても、それまでの商業アニメの文脈から外れいていた。
 グループ・タックと杉井ギサブローが、この映画を作ったという事についても、僕には文脈が読めなかった。グループ・タックは『まんが日本昔ばなし』を作っているブロダクションくらいの印象しかなかった。杉井ギサブローの名前は知っていたが、虫プロの『悟空の大冒険』や『どろろ』で監督をした人というくらいの認識だった。グループ・タックと杉井ギサブローは、先行してTVスペシャルの『ナイン』3部作、TVシリーズ『タッチ』を手がけており、「センスがいいなあ」とは思っていたが、ここまで凄い映画を作るとは思っていなかった。
 僕が、杉井ギサブローという作家の事をよく知らなかったのも当然で、彼は1970年代半ばから1980年代頭まで、アニメ界から離れて、あちこちを放浪していた(放浪時代にも、旅先で『まんが日本昔ばなし』の絵コンテの執筆はしていたそうだ)。つまり、『宇宙戦艦ヤマト』に始まるアニメブーム期には、ほとんど活動していない。1983年に始まった『ナイン』3部作が、彼の本格的な復帰作であり、復帰後に全力を傾けた作品が『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』なのだろう。その後、杉井ギサブローは『紫式部 源氏物語』『あらしのよるに』といった意欲的な作品を発表し、アニメ界を代表する監督の1人となる。
 監督作品を定期的に発表するようになってからも、杉井ギサブローは、僕にとってちょっと特別な存在であり続けた。「この人は何なんだろう?」と不思議に感じる監督だった。そう思った理由のひとつが、彼が演出的に突出した作品を作っているにも関わらず、演出スタイルを持たないという事だ。他の巨匠と呼ばれる監督が、独自の演出スタイルを持ち、そのスタイルで様々な作品を手がける場合が多いの対して、彼は作品ごとに演出スタイルを変えていく(また、ごく当たり前のTVシリーズも作っている)。細かく見ていけば、各作品に共通するものもあるのだが、むしろ、様々な演出スタイルを自在に扱うところに、彼の作家としての個性があるのだろう。
 また、作品に対して距離をとっており、自分が作っているものを客観的に見ているように感じられる。モチーフやテーマ、あるいはキャラクターについて、執着やこだわりが感じられない。アニメ界の巨匠には、モチーフやテーマ、あるいはキャラクターにこだわる監督が多いので、その意味でも、杉井ギサブローは異色の存在だった。
 特別な存在であるもうひとつの理由が、彼がアニメファンとリンクした作品を手がけた事がないという事だ。復帰作となった『ナイン』3部作以降、彼はいわゆるオタク的なファンにアピールする作品を作っていない。『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』はオタク的ではないし、人気マンガが原作の『タッチ』ですら、狭義でのオタク的な作品ではなかったはずだ(これについては『タッチ』を取り上げる時に触れる予定だ)。ゲーム原作だったり、人気マンガ原作であったりしても、不思議と彼が手がける作品は、オタクっぼくならない。それは、彼がこだわりや執着で作っていないからでもあるのだろう。そして、一般層を相手にして、きちんとヒット作にしている。そんな彼がアニメブーム期には休業しており、ブームが一段落した途端に『タッチ』と『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』を発表したのが面白い。まるで、時代の要請を受けて、彼が復活したかのようだ。
 話を戻すと、その後の杉井監督の仕事を観て、彼の作家としての個性が分かり、僕は『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』という作品がどういった文脈にある作品かを理解できた。ただ、文脈が読めるようになっても、『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』が際立った作品である事に変わりはなく、やはり、僕にとっては、アニメの歴史の中で、突然生まれ出た作品だという印象だ。杉井ギサブローについても同様で、いまでも「この人は何なんだろう?」とちょっと思っている。

第240回へつづく

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(09.10.29)