第322回 『宇宙船サジタリウス』とクサいドラマ
『宇宙船サジタリウス』について、もう少しだけ。第204回「『クサい』『ダサい』の時代」でも書いたが、1980年代に、アニメやドラマの大袈裟な描写や、ドラマチックな内容を「クサい」と言って、バカにする風潮があった。1980年代には、アニメから熱いドラマや、シリアスな内容が急激に減っていた。その代わり、ライトなノリの作品が増えた。
こんな時代に、どうすればドラマらしいドラマが作れるのだろうか。その回答が『タッチ』であり、『宇宙船サジタリウス』であり、この翌年にスタートする『エスパー魔美』だった。3作品とも大袈裟な表現をしない作品だった。熱くもならず、平熱感覚でドラマを展開した。
『エスパー魔美』や『タッチ』は生活感を強調した作品だった。日常の中で淡々とドラマを展開し、最終的にジワっと感動させるところに持っていく。『宇宙船サジタリウス』は、人の中の世知辛さ、主人公達の情けないところをたっぷり描いた。視聴者に主人公達を身近な存在と感じさせておいて、少しだけドラマチックなところに持っていった。要するに温度の高いドラマで、力ずくで視聴者を感動させるのではなく、低い温度に視聴者を慣らせておいて、ちょっとだけ温度が高いところに持っていく。そういった手法だった。
『宇宙船サジタリウス』はメッセージ性が強く、伝えるべき事をストレートでそのままセリフで言ってしまう事が多かったはずだ。それはクサいドラマの定番パターンだったが、その作劇ゆえに、視聴者がクサさに呆れる事なく、素直に観る事ができた。放映中に「この手があったのか」と思って、感心した。
と、ここまで書いて、もうひとつだけ『宇宙船サジタリウス』で書いておきたい事を思いついた。それについては、次回で。
第323回へつづく
(10.03.09)