第424回 セル撮
前にも書いた(第378回 アニメージュのライターは何でもやる)ように、アニメージュではライターが素材の手配もやっていた。当時のアニメージュは、描き下おろしを使う頻度が今よりも低く、本編カットでページを構成する事が多かった。アナログでアニメを作っていた時代において、本編カットを誌面に掲載する方法としては、おおよそ
- (1)16ミリ、35ミリのフィルム(リール)から切り出して使用する。
- (2)16ミリ、35ミリのフィルム(リール、ラッシュフィルムを含む)を接写して使用する。
- (3)制作会社が用意したポジを使用する。
- (4)スタジオに行ってセルを撮影して、あるいはカット袋を借りてきて編集部で撮影して使用する。
という4つのパターンがあった。昔のロマンアルバムで、本編カットに傷が入った記事がよくあったが、あれはラッシュフィルムや傷んだフィルムを接写したものだ。
(4)のパターンをセル撮と呼んでいた。カメラマンと一緒に制作スタジオに行く。使用したいカット袋を探して、Aセル、Bセル、Cセルと、使うセルを選んで重ねて、背景に載せて、それをカメラマンに撮ってもらうのだ。カットの選択にも、セルの選びにも、セルを選ぶ人間のセンスや好みが現れる。僕は学生時代にセルを集めていたし、アルバイトで販売用のセルを組んでいたので、セルを組むなんて、お手のものだった。
アニメージュではセル撮に、35ミリではなく大判のフィルムを使っていた。大判のフィルムの面積は16ミリ、35ミリのフィルムの数倍か十数倍ある。圧倒的に情報量が多い。16ミリフィルムの切り出しだと、誌面に掲載するサイズはハガキの半分くらいが限界だった。35ミリでもやたらと大きくは掲載できない。大判フィルムなら、余裕で1ページサイズまで伸ばす事ができた。ページ構成する立場としては、セル撮ポジは16ミリ、35ミリとは比較にならないくらい使い勝手がよかった。
もちろん、セル撮にも弱点はあった。セルと背景を組んだものを素に撮るだけであり、撮影処理が入らないのだ。たとえば、本来は透過光が入っているカットでも、セル撮では透過光が入れられない。フィルター等の効果も同様だ。たとえば、ロボットがビームを放つカットだと、セル撮をしても、ビームがないロボットだけの画になってしまう。そういったカットは基本的にはセル撮できないわけだ。フィルムストーリー等では、撮影処理が入っていないカットのみをセル撮のポジを使って大きく掲載し、撮影処理が入っているカットは16ミリ、35ミリの切り出しを使って小さく掲載する。そういったかたちで、セル撮と切り出しを混ぜたページ構成をする事もあった。
アニメ制作と同じ撮影台を使って、セル撮で、本編と同じ撮影処理を入れるカメラマンもいたし、制作会社で撮影台にスチール用のカメラをセットして、撮影処理が入ったセル撮をする事もあったが、それは特例だ。
いかに、使えるカットのフィルムを、それも状態のいいものを入手できるかが、誌面を充実させるためのポイントだった。だから、ライターの中には、個人的にセル撮したポジフィルムを手元に残している人もいた。実は僕も、いまだに多少はポジフィルムを残している。
どうして、いきなりセル撮の話を始めたのかというと、『風魔一族の陰謀』について原稿を書いていて思い出したのだ。アニメージュで記事のために『風魔一族の陰謀』のセルを撮影させてもらった。その時に、前回話題にした、ルパンが歴代作品の彼にメタモルフォーゼするカットも撮影した。その記事では話題にする余裕はなかったが、いつか使えるだろうと思って撮影しておいた。その「いつか」はすぐにやってきた。「ルパン三世 年代記」という特集をやれる事になったのだ。
ところが「ルパン三世 年代記」を構成しようとしたら、セル撮したポジフィルムが見つからない。他のポジはあるのに、メタモルフォーゼするカットだけがなかった。『風魔一族の陰謀』の制作はとっくに一段落しており、カット袋は処分しているだろうから、今さらセル撮はできない。予算を考えると、35ミリフィルムを焼くわけにもいかない。仕方がないので、そのカットなしで構成をした。メタモルフォーゼのポジフィルムはずいぶん後になって出てきた。ポジフィルムが見あたらなかったのは、僕自身のうっかりであって、誰の責任でもない。だけど、『風魔一族の陰謀』でメタモルフォーゼのカットを観るたびに、ああ、このカットのポジフィルムが見つからなかったんだよなあ、惜しい事をしたなあと思ってしまう。
第425回へつづく
(10.08.06)