アニメ様365日[小黒祐一郎]

第436回 『X電車で行こう』

 『幻魔大戦』『カムイの剣』をはじめ、意欲的な劇場作品を制作してきたマッドハウスは、1987年頃から、主な活躍の場をOVAに移していく。同プロダクションのりんたろう監督も『X電車で行こう』『帝都物語』『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』『真・孔雀王』と、次々にOVAを手がけていく。
 りん監督にとって、最初のOVAが『X電車で行こう』だ。リリースされたのは1987年11月6日。50分ほどの作品だ。原作は山野浩一の短編SF小説で、りん監督は浦沢義雄と連名で、脚本としてもクレジットされている。キャラクターデザインと作画監督は兼森義則で、美術監督が青木勝志。この作品は、りん監督自身の企画だった。タイトルが「X電車で行こう」なら、テーマ曲をジャズのスタンダードナンバーの「A列車で行こう」でやりたい。それで「デューク・エリントンなら、彼しかいない」と考えて、日本を代表するジャズピアニストの山下洋輔に音楽を依頼。本作の冒頭には「——この作品を、ジャズの巨匠 デュークエリントンに捧げます——」というテロップが出る。

 主人公の西原トオル(声/水島裕)は、広告代理店で働く若者。どういうわけか、やたらと鼻血を出す男だ。正体不明の幽霊電車(=X電車)が、日本中の線路を走り回るという事件が起きており、西原トオルはそれに巻き込まれる。コメディでありつつ、ホラータッチ。りん監督が、ロジックではなく感覚で作っているのは明らかである。演出的に遊んでいる。吹き出しを画面に出したり、背景を看板で埋めてみたり。いや、シークエンスの組み立てからして、遊び心優先だ。
 映像は作り込まれており、クオリティは高い。画作りはイラスト調でポップ。色遣いも面白い。兼森義則のキャラクターは非常にアクのあるものだ。アクションシーンも多い。派手なエフェクトもてんこ盛りだ。キャラクターや作品世界は、ちょっと下世話で、ルーズな感じ。トータルで言えばキッチュな作品だ。りん監督に対して、しっかりと長編アニメーションを構築する作家だという意識があったので、こういった奇妙なフィルムを作った事が意外だった。
 それから、これが重要な点なのだが、この作品はストーリーがよく分からない。感覚優先で作られているからだろう。僕は何度か観ているのだが、いまだによく分からない。一応、劇中でX電車の正体や、X電車と西原トオルとの関係について説明はされるし、オチも理解はできるのだが、それでも分からない事ばかりだ。当時、マッドハウスの社内でも「面白い」という意見も出たが、「何だかよく分からない」という感想も上がったそうだ。なんでそうなるの? この場面はなんなの? といった疑問が次々と浮かぶ。いや、疑問が浮かぶという表現は正確ではない。むしろ、観ているうちに、設定とか物語がどうでもよくなっていく。フィルムとしての緩急や、不思議な味わいが心地よくて、物語を追う気がなくなってしまう。そんな作品だ。僕にとって、決して嫌いな作品ではない。

 僕は、この作品の事がずっと気になっており、りん監督に2度取材で話をうかがっている。1度目が雑誌「アニメスタイル」2号で、もう1度が「PLUS MADHOUSE 04 りんたろう」だ。いずれもロングインタビューの一部で『X電車で行こう』について訊いている、。りん監督は「とんでもなくフリークな企画」として『X電車で行こう』の映像化を提案した。メーカーから「やりたいようにやっていい」と言われたタイトルであり、原作者の了解もとって、好き勝手に作った作品なのだそうだ。画作りにしては「ああいった作品だから、思い切って奇抜にした」、内容に関しては「もう少し話が分かるようにしないと、という計算も僕の頭の中から飛んじゃって(苦笑)」などと語っている。
 話をうかがうと、りん監督はOVAというものを、相当にマニアックなものだと捉えていたようだ。やりたいようにやってもいい企画で、やりたいようにマニアックな作品を作った。そういう事なのだろう。彼が次に監督した『宮澤賢治作品集 風の又三郎』も、マニアックと言えばマニアックな作品だ。数年後に手がけた『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』のマニアックさは、『X電車で行こう』といい勝負だ。

 『X電車で行こう』のよさは、実力のあるベテラン監督が、ユルく作ったところにある。それが独特のノリとなっている。りん監督の映像センスにおける、お洒落な部分が堪能できるフィルムでもある。

第437回へつづく

PLUS MADHOUSE 04 りんたろう

キネマ旬報社/A5/2200
ISBN : 9784873763217
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(10.08.24)