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■『ストレンヂア』
安藤真裕監督
インタビュー

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『ストレンヂア』安藤真裕監督インタビュー
第1回 あんなぷるは野武士の集団に見えた


BONESが贈る渾身の長編オリジナル時代劇『ストレンヂア 無皇刃譚 SWORD OF THE STRANGER』。大迫力の剣戟アクションとともに、よるべなき男達が繰り広げる戦いのドラマを骨太に描く、見応えたっぷりの作品だ。その映像の作り込みは、まさにBONESの集大成と呼べるもの。今回は、本作で鮮烈なデビューを飾った安藤真裕監督に、じっくりお話をうかがう事にしよう。

PROFILE
安藤真裕(Ando Masahiro)

1967年9月1日生まれ。北海道出身。高校卒業後、あんなぷるに入社し、『エースをねらえ!2』などの作品で原画を手がける。『おにいさまへ…』ではキーアニメーターとして活躍。その後フリーとなり、『機動警察パトレイバー2 the Movie』『GHOST IN THE SHELL』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』『人狼』、映画『クレヨンしんちゃん』シリーズなどに参加。『魔術士オーフェン』『新 破裏拳 ポリマー』のオープニングでも注目を集める。演出家としての活動も始め、『メダロット』『人造人間キカイダー THE ANIMATION』などで演出・コンテを担当。『COWBOY BEBOP 天国の扉』に参加して以降、BONESを拠点にアニメーター・演出家として活躍。オリジナル劇場作品『ストレンヂア 無皇刃譚 SWORD OF THE STRANGER』で監督デビューを果たした。

2007年8月30日
取材場所/上井草・BONES B-studio
取材/小黒祐一郎
構成/小黒祐一郎、岡本敦史




小黒 『ストレンヂア 無皇刃譚』の話に入る前に、まずプロフィールからうかがわせてください。安藤さんが、あんなぷるに入られたのはいつ頃なんですか。
安藤 俺が入ったのは、1986年ですね。高校を卒業して、北海道から上京して入ったんですけれど、その時はあんなぷるの凄い人達がごっそり抜けちゃった後だったんですよ。それで運よく入れたのかな、って気はします。
小黒 抜けちゃった人達というのは、森本(晃司)さんとか、近藤(勝也)さんとか……。
安藤 大塚(伸治)さんとか。入ったら会えるのかなと思ったら、みんないなかったんでビックリしました(笑)。
小黒 じゃあ、あんなぷるの仕事も、合作が中心になっていた?
安藤 そうですね。時期的には、劇場『ゴルゴ13』が終わってから1〜2年ぐらい。あんなぷるが国内の仕事をしていなくて、合作中心の仕事をしていた時だと思います。
小黒 連絡先はすぐ分かったんですか?
安藤 田舎の高校生の俺には、住所も何も分からなかったんで、東京ムービーに「ファンレターを出したいので、住所を教えてください」っていう往復葉書を出したんです。そしたら、そこの事務の人が優しくて、あんなぷるの住所を教えてくれて。そこで「入社試験を受けたいんです」っていう手紙と一緒に、スケッチブックを持っていなかったので新聞のチラシの裏に描いていた大量のいたずら描きを、俺なりにベストセレクションみたいに選んで送ったんです(笑)。「入社したいって言ってるわりには、チラシの裏に描いた画を送ってくるなんて、一体どんな奴だ」って事で呼ばれて。ちょうど原画マンも抜けていたので、ちょっとテストを受けて、それで入ったんです。
小黒 その頃だと、出崎(統)さんや杉野(昭夫)さん達が、アメリカに行っている時期じゃないですか?
安藤 ああ、いや……杉野さんがアメリカに行った事はないんじゃないかな。出崎さんは行ってたと思いますけれど、杉野さんは基本的にほとんど国内で作業していたと思いますよ。合作バブルの時で、『オーボッツ』が終わって、『(ディズニー劇場)ガミー・ベア(の冒険)』とか、『バイオニック6』とか……ああそうだ、ちょうど出崎ニモ(『LITTLE NEMO』)のパイロットをやっていましたね。僕が動画で入った時、1カットだけやった記憶があります。ちょうど18歳の時。
小黒 あんなぷるには、いつまでいらしてたんですか。
安藤 1991年の『おにいさまへ…』までですね。ホントはその前に辞めようかなあ、とも思ったんですよ。『華星夜曲』とか『B.B』とか、ビデオシリーズが多かったりして、もういいかなと。ひとつの会社に3年以上いると、ちょっと緊張感がなくなっちゃう部分もあるんで、次のところに行きたいなと思ってたんです、刺激を求めて(笑)。だけど、出崎さんとはどうしてもTVシリーズがやりたかった。出崎さんとTVをやってないのでは、あんなぷるにいる意味がないと……。そこに『おにいさまへ…』の話がきたので、これだけはやってから出ようかなと思って。それで、それを最後に、って感じですね。
小黒 『おにいさまへ…』については気になっていたので、ちょっと聞かせてください。確かキーアニメーターとして、毎回3人名前が出ていたと思うんですが。
安藤 ええ、そうですね。
小黒 あれは具体的には、どういう仕事分けだったんですか。
安藤 作監は杉野さんです。で、僕らは基本、レイアウト1原をやっていました。出崎さんのコンテをもとにレイアウト1原を描いて、それを海外に出して、海外から上がってきた2原を杉野さんが修正していました。
小黒 じゃあ、3人で、レイアウトと1原を全部やっていた?
安藤 そうですね。ただ中盤から内田(裕)さんも作監にシフトしていって、(土屋堅一君と)2人でレイアウト1原を描いてましたね。国内の話数は違うんですけれど、この作品は海外グロスがほとんどだったんで、その場合は全部、そういうふうにやっていました。1人が150強のカットをやっていく感じで。
小黒 という事は、国内の作画グループの時には、キーアニメーターの方はあまり活躍しない?
安藤 そうですね。ただ、僕は『おにいさまへ…』で1度だけ作監を経験した事があったんです。それは国内の話数で。確か「マリ子刃傷事件」というタイトルで、マリ子がカッターをカタカタと動かす……。
小黒 ああ、あれですか!
安藤 あれと、そう、もう1本やっています。「マリ子刃傷事件」でちょっとやりすぎたので、その次の回は、少し大人しくやろうと思いました。2本やって、それで作監には向いていないなと思って、それ以降はやめました。
小黒 「マリ子刃傷事件」は、やたらと細かく動いているんですけれど、あれは作監として安藤さんがおやりになったんですか。
安藤 そうですね。僕ともう1人、土屋(堅一)君と2人でやったんですけれど、まあ若かったんで、いろいろとやりたかったんじゃないですかね。衝動の捌け口というか(笑)。
小黒 別にマリ子の話だから気合いが入ったというわけではない?
安藤 いや、やりすぎてしまうぐらいにのめり込める話でしたよ。とにかく韓国出しの仕事ばっかりやっていたので、せっかく1本やれるし、杉野さんのチェックも入らないという事でやり過ぎました。もう放映当時に観たきりなんですけれど、若気の至りだった気がします。
小黒 いえいえ。『おにいさまへ…』後半と言えば、あの話数ですよ。
安藤 もう正直、観た時に「ああ、うーん、作監って向いていないな」って、がっかりした思い出しかないです(苦笑)。
小黒 『おにいさまへ…』の1話で、薫の君のバスケシーンが、ちょっとトリッキーな感じだったんですが、あれはどなたの作画ですか。
安藤 あれは俺ですね。1話だけは、キーアニメーター3人だけで原画をやったんですよ、100カットずつ。それ以降は、ときどき原画も描いたりしてましたが、基本は作品の底上げをするような感じでやってましたね。
 初めてのメインのTV仕事でやれるだけの事はやったんですが、放送がBSだった事もあって、『おにいさまへ…』に関して、当時は評判を聞く事がなかったんです。でも10年くらい経ってから「あれはよかったよ」という話を聞く機会が多くて、参加してよかったなあと思いましたよ。
小黒 なるほど。それで、あんなぷるの後はフリーに?
安藤 そうですね。やっぱり同じ場所にいると、どうしても外の人達と知り合う機会がないので、「いろんな人の仕事を直に見たい」という欲求があって。それで『機動警察パトレイバー2(the Movie)』に入ったんです。劇場『パトレイバー』の1作目は、映画館で観て凄くいい映画だなと感じて。そのまま『2』をやるという話を聞いて「これはぜひやりたい」と思ったんです。アニメ雑誌を見たら、社長は石川(光久)さんという人なんだと知って、知り合いもいないのに(Production)I.Gに「石川さんいますか」って電話をかけて、結局応対したのは制作デスクさんでしたけど(笑)、それで原画をやらせてもらいました。作打ちで石川さんに会った時、開口一番「君、向こう見ずな奴だね!」と呆れながら言われましたけどね。もうなんとか爪をかけたいというか、参加したくて。その時に、沖浦(啓之)さんとか、村木(靖)さんとか、同世代に近い、凄い人達の仕事ぶりを見られたのが、ホントにいまだに財産ですね。名前では聞いていたけれど、やっぱり生の仕事ぶりを見るのとでは全然違う。
小黒 それは『パト2』の時の事ですか。
安藤 そうです、『パト2』ですね。俺も『おにいさまへ…』でたくさんの量をやってきたんで、TVシリーズの40カットとか50カット分を1カットに凝縮したら、少しはああいう凄い人達と肩を並べる仕事ができるのかな、と思ったんですけれど。いやいや、凄い人は凄いんだなあ、と思いましたね。考えている根本が違う、参りました! て、感じでしたね。
小黒 その後、アニメーターとしてエポックだった経験というと、何かありますか。
安藤 うーん……エポックではないですけど、その後、オープニングを1人でやったりとか。
小黒 『(魔術士)オーフェン』とか?
安藤 はい。やっぱり自分が学生だった時に、「オープニングって1人でやるもんじゃん」と思っていたので、それならやれるのかなと思って。やったらスゲエ大変だった。それはそれでいい経験にはなりましたけどね。大変向こう見ずなんで、とりあえずやって、挫折して学習する。そういうのが多いですね、僕は。
小黒 『(新 破裏拳)ポリマー』のオープニングも1人でおやりでしたね。
安藤 ああ、そうですね。「コンテ込みで3週間とか4週間ぐらいの中で、どれぐらいできるのかな」って。昔の人はやってた事なので、やってみたら、いやあホントに大変なんだなと思いました。やっぱり1人でやると、当たり前ですが、カットの密度が下がるんだなと思いましたね(笑)。
小黒 いやいや。前からお訊きしたかったんですが、『オーフェン』のオープニングって、絵コンテはどなたなんですか。
安藤 俺ですね。
小黒 相澤(昌弘)さんの修正は入っているんですか?
安藤 入れてもらっていますよ、レイアウトか原画の段階で。俺、あんなに色気のある画は描けないですから。
小黒 いえいえ(笑)。『ポリマー』のコンテはどなたなんですか。
安藤 あれも俺ですね。
小黒 新房(昭之)監督から「ポリマーに銅像を持たせろ」とか、そういう指示があったんですか。
安藤 いや、全然ないです。「好きにやっていいよ」って。本当に自由にやらせてくれました(笑)。ただ「2週間しかないけど、大丈夫?」って言われましたけれど。
小黒 なるほど。
安藤 ちょうど、短くてもいいから、もうちょっと全体を見たいなと思ったんです。だからオープニングとかどうかな? といった感じで。だけどオープニングって意味のないカットとか、インパクトのみのカットが多いんですよね。そういうのがあった方が確かにオープニングらしいんだけど、自分としてはあんまり興味がねえんだなというのが、やってみて分かった。もっとドラマというか、シーンで捉えて描く方が好きだったんですよ。そういうのを確認する事ができたという意味で、やってよかったと思っていますね。
小黒 『オーフェン』のオープニングって、特に後半は普通のアクションものの本編みたいな構成になっていますよね。
安藤 そうそう。だから、それはそれでいいのかもしれないけれど、やっぱりオープニングとしてはどうなのか、というのがあって。もっと効果的に、意味はないけれどインパクトのあるカットを巧く繋ぎ合わせて見せる、という素養というか興味が自分の中にはあまりない事が分かりましたね。「俺はドラマの方がやりたいのかな」と。そう、エポックといえば、劇場版『(クレヨン)しんちゃん』をやれたのは、エポックなのかな。湯浅(政明)さんの仕事ぶりが生で見られたのは刺激になりましたね。
小黒 今の話の流れだと、『しんちゃん』はちょっと異色ですよね。
安藤 そうですかねえ?
小黒 だって、あんなぷるから『パト2』を経て、リアルなアクションものとかに行って、今度は『しんちゃん』ですよ。
安藤 でも、あんなぷるにいた時から、杉野さんからは「タイミングと画に『トムとジェリー』と『ど根性ガエル』が入っているね」ってよく言われてたんですよ。
小黒 そうなんですか(笑)。
安藤 確かに北海道でえらい頻度で再放送されてたおかげで、小学生の時にそれをアホみたいに観ていたんですよね。それがあるのかな? 自分ではよく分からないけど……。
小黒 『トムとジェリー』と『ど根性ガエル』?
安藤 ええ。だから『しんちゃん』も、僕の中では全然、違和感ないんです。あと自分の大きな集合体の中では、『しんちゃん』も『人狼』も同じなんですよ。
小黒 おお。
安藤 結城(信輝)さん達がやっているような作品は別ですけれど。
小黒 じゃあ、安藤さんの中のアニメ世界では、片側に『しんちゃん』と『人狼』が入っている国があって。
安藤 ええ、よく大雑把すぎると人に言われます(笑)。
小黒 その片一方に、結城さんが描くような美麗なキャラの国があると。
安藤 そうですね、顔にもハイライトが入る画の世界。だから『しんちゃん』とかも、意外と普通に、自然にできましたよ。劇場『しんちゃん』の原画も毎年6〜8週ぐらいでやるんですけれど、原(恵一)さんとか本郷(みつる)さんと一緒に仕事ができたのはよかったですね。出崎さんにしろ、押井(守)さんにしろ、若い時に優れた演出家と一緒に仕事ができた事は、自分の中では凄く財産になっています。
小黒 僕はずっと、安藤さんがあんなぷる出身という事で、それ以前のあんなぷるにいた方々の印象で当てはめるならば、森本晃司さんに近い人だと思っていたんですよ。ちょっとカッコいい感じや、トリッキーな感じもあって。直接的な影響はないんですか?
安藤 いや、もちろん好きでしたよ。『(SF新世紀)レンズマン』のオープニングとか、『(未来警察)ウラシマン』26話とか。僕らが学生の時、脂がのりにのっていましたから。だって『カムイの剣』で、いちばん最高のシーンをやっているじゃないですか。いや、最高は大塚伸治さんか……福島(敦子)さん? それとも梅津(泰臣)さん? ……でも大橋学さんの波も忘れられない。……う〜ん、この話をしだすとキリがないのでやめます(笑)。
 あの当時はやっぱり、テレコム(・アニメーションフィルム)とあんなぷるというのが、2大作画勢力というか。どっちも凄いな〜って見てたんですけれど、テレコムってのは集団作業のイメージだったんですよ。アニメ制作では当然なんですけれど(笑)、宮崎(駿)さんを筆頭にして、ひとつの集団が作っている感じ。だけど、あんなぷるは、野武士が集まっているように見えたんですよね。
小黒 その感覚は分かります。
安藤 それぞれが個性的で、その後フリーになっても、作品に合わせながら自分達の個性で仕事をしている。そういう人達を生み出せるスタジオってどういうところなのかな、という興味があったし、自分もアニメーターとして憧れた部分があった。いずれフリーになってやっていく時、そういう自分自身の力みたいなものを身につけたいなと。それであんなぷるを選んだ、というのがあるんです。出崎さんや杉野さんが生み出すフィルムが好きだった事も大きいですけど、やっぱりそこにいる原画マン集団が、あまりにも個性的だった。
小黒 話は前後しちゃいますが、安藤さんは、あんなぶるが『エースをねらえ!2』や『修羅ノ介斬魔剣』等を作っていた頃の主力アニメーターだったわけですね。
安藤 他に人もいませんでしたしね。ひと頃に比べると、あんなぷるの作品に勢いがなくなってきていた時期だと思うんです。それは中にいる若手の僕達も敏感に感じていました。自分達が参加した『エース2』にしても、杉野さんの生の画を見るとすげえいいんだけど、フィルムになると「うーん」と思ってしまう。影が少ないのに、昔の『エースをねらえ!』の方が輝いていた。仲間同士で、そんな事をあれこれ言い合っていましたね、若造の分際でたいした力もないくせに(笑)。
 あんなぷるに入って教えてもらった事って、実を言うとあんまりないんですよ。原画も教えてもらわなかったし。もうホントに、杉野さんは黙々と背中を向けて仕事をしているだけ。ただこれだけだとスゴク素っ気ないんですが、今考えてみると、“仕事に対する姿勢”みたいな、この業界で生きていくいちばん大切なものは教えてもらった部分がありますね。本当の意味での、いちばんの恩人です。
小黒 そんな安藤さんが徐々に演出の方へ移行していったのは、なぜなんですか。
安藤 まあ、そういうタイプのアニメーターさんって他にもいると思うんですけれど、徐々にカットだけじゃなくて、シーンを担当したくなって、さらにもっと作品全体の流れに興味がいくという。僕自身もオープニングをやって、やっぱりカットだけじゃ満足できない、というか志向がちょっと違うのかな、と。自分はドラマ括りで見せたいんだという事が、そこで分かった。それに、1カット単位で凄いものを描く人って、俺なんかより全然上の人が山ほどいるし。あと、20代後半にちょっと目の病気も患ってしまって。アニメーターとしてなかなか突っ込んで仕事をやれないという事が、ある時期リアルに分かってしまったんです。まあ、いろんな理由があるんですよ、実際ね(笑)。大体20代後半から30代って、原画をやってる人は、これからの道を模索する時期だと思うんですよ。俺だけじゃなくてね。

●『ストレンヂア』安藤真裕監督インタビュー 第2回につづく

●『ストレンヂア』公式サイト
http://www.stranja.jp/

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(07.09.27)

 

 
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