アニメ様365日[小黒祐一郎]

第315回 『めぞん一刻』もう少しだけ

 ここ数回の『めぞん一刻』に関する原稿は、書きながら自分で、少し饒舌だと思った。『めぞん一刻』について書くのは楽しい。個々の話数、パートに見どころがあるからだ。だけど、前にも少し触れたように、本放映時には安濃高志CD時代の突出した演出も、吉永尚之CD時代の安定した語り口も、素直に受け止められなかった。
 今日の原稿を書く前に、最終回に至るまでの数話をまとめて観た。淡々と、そして、丁寧に描写を積んでいくスタイルは、間違いなくアニメ『めぞん一刻』の完成形だ。作り手が高まっていったところで、最終回を迎えたかたちだったのだろう。あまりの出来のよさに感心して、若いアニメファンに勧めたいくらいなのだが、本放映時には「最近、観やすくなったなあ」くらいにしか思わなかった。
 当時、素直に受け止められなかったのは、番組開始時に感じた「これは違うなあ」という印象を引っ張り続けてしまったためでもある。同じようなスタンスでこの作品に接していたファンは、少なくないだろうと思う。
 時を経て改めて観直すと、シリーズ通じて楽しむ事ができる。本放映時に苦手だった初期話数にも、面白いと思えるエピソードがある。ただ、まとめて観直すと、スタッフ交代による路線変更が、当時思っていたよりも激しいものだった事が分かる。さらに言うと、個々のCD時代の中でも、途中でテイストが変わっているようだ(前回、吉永尚之CD時代には華があると書いたが、同CD時代の後半になると、地味になっているのかもしれない)。観れば観るほど、シリーズとしての『めぞん一刻』は、僕の中でイメージが焦点を結ばなくなっていく。
 『旧ルパン』『ベルサイユのばら』では、監督交代による路線変更を楽しめるのだけど、どういうわけか『めぞん一刻』ではそれができない。だから、僕は『めぞん一刻』についてはモヤモヤしたものを抱えている。僕は自分の中で「この作品は、こういった作品だ」と決着をつけたい人間なので、そのモヤモヤがずっと気になっている。
 『めぞん一刻』の話題も長くなってしまった。今回でひとまず終了にしたい。まだ、各話の声優や、スタジオジャイアンツの作画(『さすがの猿飛』と並ぶ、ジャイアンツの代表作だ)についても書きたいし、どうして『めぞん一刻』のアニメ化が難しかったかについても触れたいが、それについてはまたの機会に。

第316回へつづく

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(10.02.26)