第471回 大人にならなかったニュータイプ
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』についての原稿は、今回で終わりだ。振り返ってみて改めて思ったが、やはり大変な作品だ。情報量が凄まじい。作り込めるだけ作り込んでいる。ここまでに触れたように、登場人物への踏み込みがとてつもなく深い。ドラマとしては刺激的であるし偏ったものであるかもしれないが、主張している事に説得力がある。
ただ、万人向けの作品ではない。ロボットアクションに魅力があるので、誰でもある程度は楽しむ事ができるだろうが、この作品のドラマや気分に浸れる人は、決して多くはない。また、作り手が伝えようとした事が、必ずしも観客に伝わっていないだろうとも思う。同人誌「逆襲のシャア友の会」を作った頃に、色々な人とこの映画について話をした。その時に、かなりのアニメ好きであっても、この作品のよさを理解できない人がいる事がいることが分かった。「理解できない」と書くと、まるで能力的に劣っていると言っているようだが、そうではなくて、価値観や好みの問題だ。僕は『逆襲のシャア』を「名作だ」と断言したいのだけれど、躊躇してしまうのはそのためだ。誰もが好きになれる作品ではないが、ハマってしまった人間にとってはたまらない作品だ。
他の人がどのように感じているかは知らないが、僕は『逆襲のシャア』で描かれた人の愚かさ、悲劇、乾いた感覚を、自分の事のように感じて、それを愉しんでるところがある。劇中でクェスが、人の魂が地球の重力に引かれるのが理解できる人は不幸な人ではないか、と言っている。それと同じように『逆襲のシャア』で描かれた内容を理解し、惹かれる人達もあまり幸福な人間ではないのかもしれない。などと言ったら、他の『ガンダム』ファンに怒られるだろうか。
僕は『逆襲のシャア』について、時々「どうして、あの時シャアは……」などと考える。まるで実在した人間について考えるように、キャラクターの気持ちやその言動の理由について考えてしまう。そこまで考えてしまう作品は『逆襲のシャア』だけだ。そんなふうに考え続けられるくらい、キャラクターに厚みがあり、作品として作り込まれている。
数年前に、ふっと『逆襲のシャア』でアムロが鬱屈していた事の意味に気がついた。『機動戦士Zガンダム』でも、彼は鬱屈していた。しかし、『Zガンダム』の初期において、彼は軟禁されており、彼が精神的に解放されていないのに理由があった。だが、『逆襲のシャア』での彼は、2人の主人公の1人であり、シャアと力の限りに戦う役回りだ。もっと頼もしかったり、明るいところがあってもいいのではないかと感じていた。シャアほどには引っ張ってはいないようだが、彼が鬱屈していた理由のひとつは、やはりララァの死であったのだろう。
そして、数年前にふと気がついた。気づいたのは、『逆襲のシャア』におけるアムロは、それを観ている僕達とイコールではないかという事だった。『Zガンダム』のカミーユ、『逆襲のシャア』のクェスが、作品が制作された当時の若者をモデルにしていたように、『ガンダム』第1作のアムロは、当時の若者をモデルにして描かれたキャラクターであったはずだ。
アムロはインドア派であり、機械をいじるのが好きなマイコン少年だった。よく言えばナイーブ、悪く言えば神経質。いやな事があると、すぐにいじける。そんな当時の現代っ子が、ガンダムに乗り込んで、大人のパイロット達を蹴散らしていく。彼にとっては、趣味であったコンピュータの延長線上にモビルスーツの操縦があったはずだ。インドア派の、後に言葉でいえばオタク系の少年が、自分の得意分野を活かして活躍する物語でもあったわけだ。そういった意味で『ガンダム』第1作は、当時の若いアニメファンにとって「僕達の物語」だった。少なくとも僕はそういった作品だと思って観ていた。
僕は、アムロがモビルスーツのパイロットとして経験を積むうちに一人前の戦士に成長していく、すなわち、成熟した大人になっていくのだろうと思っていた。しかし、アムロは大人にはならず、ニュータイプになってしまった。第20回『機動戦士ガンダム』でも書いたように、僕は『ガンダム』第1作最終回に物足りなさを感じた。それはシリーズのクライマックスで、彼が戦士として大きな成果を残す事がなかったからだ。
『ガンダム』第1作の放映から10年近くが経って、『逆襲のシャア』が公開された。劇中では10数年が経っており、劇中のアムロは29歳になっている(ただし、劇中でははっきりとは年齢に触れられていない)。設定的な理由は別にして、アムロが鬱屈したまま年齢を重ねてしまったのは、『ガンダム』第1作の頃の現代っ子が、すなわち僕達が、10年近く経ってもまるで大人になっていない事を反映させたものではないのか。アムロとシャアが、クェスの父親代わりができるほどには人間として成熟しなかったのも、若い男性が大人になれていない事の反映ではないか。2人が10数年前に出逢った少女に固執し続けるのも、僕達がいい年をしてアニメに固執し続けている事の比喩かもしれない。富野監督の年齢なら、僕達がそう見えてもおかしくない。そうやって考えると「νガンダムは伊達じゃない!」のセリフも、違った意味合いが出てくる。いつまでも『ガンダム』というタイトルにこだわり続けている愚かさを示したセリフであるのかもしれない。「人の心の光」や「人間の愚かさ」とは、また別の話だ。だとすれば、フィルムを通じて作り手は、「君たち、大人になりなさいよ」と言っているわけだ。
さっきも書いたように、『ガンダム』第1作で、自分達に近しい存在であったアムロが大人にならなかった事に不満を感じたわけだが、彼が大人にならなかった事が、こんなかたちで自分達に返ってくるとは思わなかった。その意味でも『逆襲のシャア』は苦い。
第472回へつづく
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(10.10.15)