アニメ様365日[小黒祐一郎]

第333回 『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』

 『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』は、『マジカルエミ』のOVA版。非常に突出した作品であり、マニアックなアニメファンに、高く評価された作品だ。リリースされたのは、1986年9月28日。TVシリーズ『マジカルエミ』放映終了から7ヶ月後にリリースされたわけだ。今回、安濃高志は、監督だけでなく脚本も兼任。作画監督は岸義之。ビデオパッケージとしては60分の作品で、最初の15分ほどがTVシリーズの総集編、残りの45分が新作『蝉時雨』だ(なお、正確にはタイトルの「蝉」の文字は、新字ではなく正字で、つくりの上の部分はツでなく、口がふたつ)。
 『蝉時雨』はTVシリーズの後日談ではない。時期としては、TVシリーズの途中。夏の数日を描いたものだ。何度観ても驚くのだが『蝉時雨』には、物語らしい物語はない。起承転結もなければ、事件も起きない。エミの登場場面は少ないし、魔法を使うのは、冒頭のマジックショーのみだ。舞は母親にあやとりを教えてもらい、それを練習する。夏休みの宿題をやっている将は、舞のために買ってきたお土産をどこにやったかが思い出せない。舞の祖父は手製のオルゴールを作っている。小金井は何か気になっている事があるようで、国分寺は自分が書いた企画書にOKを出してもらえないのが不満だ。そんな登場人物達の日々を、蝉の声が響く庭、日射しが眩しい町並み、夕立といった情景と共にじっくりと描いていく。あえて、本作のクライマックスを挙げるなら、夕立の後の虹であり、皆で線香花火を楽しむ場面だ。
 派手な描写はほとんどない。日常的な描写の積み重ねで構成されている。描写は丁寧であり、BGMも極端に少ない。事件は起きないが、わずか数日の間にも、時間は動く。将はお土産を見つけ、祖父のオルゴールは完成する。国分寺の企画書にもOKが出る。『蝉時雨』が描いているものは、ゆっくりとした時間の流れであり、『蝉時雨』の魅力は情緒だ。そして、観る側が「感じとる作品」でもある。
 個々の場面も味わい深い。僕が気に入っているのが、ユキ子が美容院に行ったシーンだ。彼女は、一度は髪を切るようにお願いしたものの、迷いが生じ、切る寸前になって髪を整えるだけにしてほしいと理容師に頼む。ユキ子くらいの年齢の女性なら、そういった事で悩みそうだし、彼女が気にしているのが単に髪の事だけでないような気がした。また、そんな日常的な悩みを、丁寧に描いているのが新鮮だった。それから、突然の夕立で、舞と武蔵が雨宿りする場面も、風情があってよかった。
 瑣末な話になるが、国分寺の企画書が通った際の「オーケー! この、急に頭の働きがよくなったじゃないか。“いの一番”でもなめたのかい」「いやいや、“味の素”ですよ」という小金井と国分寺のやりとりが印象的だ。こういった妙にディテールが細かいセリフも、安濃高志監督らしいし、キャラクターに存在感を与えていると思う。ちなみに、いの一番も味の素も調味料の名前であり、かつて「味の素をなめると頭がよくなる」という俗説があった。僕の感覚では、1986年当時でも、古いネタだった。
 本編の最後に、線香花火をしていた小金井が火傷をする。驚いて、クッキーショップにいた舞の両親、祖父母といった面々が、店を出る。クッキーショップは舞の両親が経営している店だ。誰もいなくなったその店内を、カメラがじっくりと映す。セリフもない。舞の祖父が作ったオルゴールが音色を奏でているだけだ。その、人がいない店内のカットは、怖ろしく濃密に、ゆっくりと流れる時間を表現している。
 また、この作品の最初と最後に、成長した舞が自分の部屋でアルバムを見ている場面がある。本作で描かれている夏の数日間は、彼女が回想したものなのだ。舞がアルバムを見ている場面は、明け方であるようで、室内は薄暗い。エンディングは、舞が座ったまま窓の外を見ている止め絵だ。動きはない。彼女はカメラの反対を見ているので、顔も見えない。窓の外を見ている彼女を、ただFIXで撮っているだけのカットだが、誰もいない店内を映したカットと同様に、濃密な時間を描き出している。構図の取り方も見事であり、まるで観ている自分が舞の部屋にいて、背後から彼女を見つめているかと錯覚するほどの臨場感だ。これが安濃高志の演出力が極まった瞬間だろう。安濃高志は『蝉時雨』で、押井守監督が『スカイ・クロラ』で挑戦した時間の表現と同じ事をやろうとし、それを達成したのだろうと思う。
 『蝉時雨』は演出主体の作品だ。演出の表現が主であり、物語が従だ。『BIRTH』がアクション作画を観るための作品だったように、『蝉時雨』は突出した演出を楽しむ作品だ。日常性を重視したという意味でも、大人びた作品であるという意味でも、いかにも『マジカルエミ』らしい作りだ。『蝉時雨』をカルトだと言う人はほとんどいないと思うが、その徹底した演出主体の作りと、それがマニアックなファンに支持された事から、僕はカルト的な作品だと思っている。
 自分自身の事で言うと、初見時にも大変な作品だとは思ったが、実は、今ひとつハマれなかった。TVシリーズの『マジカルエミ』に満足していたというのもあるし、やはり、きちんと話があって、それを過剰な演出で描き出すような作品の方が好きなのだろう。それから、『蝉時雨』が観る側に感じさせる作品、つまり解釈させる作品であるのは分かるのだが、あまりにも思わせぶりな部分があり、それが引っかかったというのもある。まあ、これは好みの問題だ。
 『蝉時雨』が安濃高志の代表作である事は間違いない。『マジカルエミ』というタイトルの集大成と言っていいのかどうかは分からないが、『魔法の天使 クリィミーマミ』に始まった、生活感を重視した一連の作品の頂点にあるのは間違いない。

第334回へつづく

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(10.03.25)